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No.177 ヨーロッパのアラブ文化

No.177 ヨーロッパのアラブ文化

 明けましておめでとうございます。
  本年もよろしくお願いいたします。

 時間、時というものは不思議な存在ですね。2011年も、わたしたちは時間から逃れることはできません。わたしたちは時間と共に生きていくしかありません。人間が時に区切りをつけるようにようになったのは、いつのころからなのでしょうか。人間は、太陽や月の運行を見ながら時間を区切り、日を定め、月を区切り、年を区切るようになったのは、何故でしょうか。

 ギリシャ神話のクロノスは時と運命を司る神様と云われてます。クロノスは、世界の創造に立ち会った神様だそうです。世界の創造と共に時間が生まれたとしたら、人間はクロノスの定めに従って、時間を決め、年月を区切って生きる運命にあったのかも知れません。
 新しい年の各自の持ち時間も定められています。市井にひっそりと生きてる人も、世界の大富豪も、強大な権力をにぎる国家指導者も、時間の前には平等です。
 今年も、自分の持ち時間を楽しく使いたいですね。人生を楽しく生きる秘訣は何でしょうか。それは、毎日の生活にどんなに小さくてもいいから、希望をもつことではないでしょうか。今の世の中に希望なんてもてるか、とおっしゃる方もいるでしょう。でも、クロノスの定めは、希望の定めでもあるのです。何故なら、クロノスの定めには、必ず明日という日があるからです。明日は別の日なのです。明日という別の日があるから、人は希望を持つことができるのだと思ってます。

 というわけで、われらベルギ-の在留邦人一同、今年も楽しい一年になるよう, 明日への希望とポジティブ思考でいこうではありませんか。
 わたしの個人的抱負としましては、勿論、今年も楽しく過ごしたいですね。それから、毎月の会報に拙文を書き続けられればいいなと思ってます。締め切りがすぐにくるので、結構大変なことは大変なのですが。
 小学生の時、憧れの若い女先生、池田先生に自分の作文が誉められたことが、いいトシこいた今でも文章を書く支えになっているのです。あれが男の先生だったら、どんなに誉められても、自分にこれだけの影響を与えたかどうかわかりません。不思議ですね。ですからお母さん、今年も子供さんをたくさん誉めてあげてください。

 表題に入りましょう。
 ちょっと大げさなタイトルですが、キリスト教文化圏とイスラム教文化圏の問題は、
今年も避けて通れない課題として、わたし達が住んでいるヨ-ロッパの社会に突きつけられる思います。両文化圏の対立、紛争、融和、協力等の後ろに、もう一つ、ユダヤ教の文化圏というか影響力の影がちらつきます。東洋の単一民族、単一言語、単一文化圏で育ったわれわれ日本人には、この複雑きわまる世界の文化圏の交差と対立の構造を理解することは、殆ど不可能に近いのではないかとさえ思われます。
 ニュ-スの国際版には、イラクやアフガニスタン、パレスチナ、シリア、イランなどのイスラム国のニュ-スがでますが、どちらかというとネガティブなニュ-スが多いです。自爆テロ等の狂信的自殺行為、誘拐や野蛮な人質処刑、女性に対する石打刑や女子教育の拒否などの女性蔑視、教会襲撃やキリスト教徒の虐殺などに見られる他宗教への不寛容等々、西側のプレスが伝えるイスラム国の印象はあまりよくありません。
 でもこの同じイスラム文化圏が、かって高度な文化を誇り、優れた行政機構と金融システムを持ち、キリスト教徒にもユダヤ教徒にも信仰の自由を認め、豊かで繁栄した国をつくっていた時代があったことを、わたし達は忘れがちです。
 新年にあたり、かってイスラム圏が政治、経済、軍事、学問、芸術等さまざまな面で、西欧キリスト教社会を凌駕する高度な文明国であったことに、ちょっと目を向けてみるのも悪くはないと思います。

 日本にいれば、イスラム、アラブの文化と直に接したり、対峙したりする機会は殆どないでしょう。日本の国会で、アラブ人の移民問題やイスラム系女子生徒の学校に於けるスカ-フ着用の是非をめぐって、与野党が議論を戦わせることなどありません。
 又、日本の学校では、水泳の時間に水着姿になることを拒否するイスラム系の女子生徒の取り扱いに、先生方が頭を悩ますこともありません。
 ブリュッセルの某コミュ-ンの学校で、売店の担当者が、ハムの入ったサンドイッチをアラブ系の子供に売ったため、父兄が学校に押しかけてきて騒ぎになった、といった話も日本ではないでしょう。
 豚肉を忌み嫌うイスラム教徒の親が、わが子にハム入りサンドイッチを売るとは何事か、と怒ったわけです。でも、その子がこれくださいと云ったのだから仕方がないじゃない、と考えるのはわれわれ異教徒です。イスラム教徒の親に云わせれば、ハムが何からできているかを、売る前に子供に説明すべきだというのです。一方、ベルギ-の人に云わせれば、ハムが豚肉からできていることぐらい、親が子供に教えておけばいいのに、となります。偏見や人種差別は、こういう小さい問題から育っていくのでしょうか。

 かってロ-マ人は、地中海をMare Nostrum(われら海)と呼んでいました。紀元前146年にロ-マ人は宿敵カルタゴを滅ぼし、地中海の制海権を完全に手中にしました。かれらは、地中海を縦横に往来し、各地に植民地を作り、属州を設け、総督を任命し、軍団を駐屯させ、強大な帝国をつくりあげました。Pax Romana(ロ-マの平和)が帝国の隅々まで行き渡っていた時代は、地中海はまさしくロ-マ人の海でした。
 しかし、476年に西ローマ帝国が崩壊すると、地中海は誰の海でもなくなりました。地中海が“誰かの海“になるのは、ロ-マ帝国崩壊後300年ほど経ってからです。では、地中海は誰の海になったのでしょうか。イスラム教徒の海になりました。

 戦前の人ですが、ベルギ-にはヨーロッパ中世史の世界的権威がいました。リエ-ジュ大学とゲント大学の教授だったアンリ ピレンヌです。わたしが初めてピレンヌの名前を耳にしたのは、日本のヨ-ロッパ中世史の権威で上智大学学長を勤めた故橋口倫介先生の講義においてでした。
 その後、ベルギ-に来てルーバンで学生生活をおくっていた時、通訳のアルバイトでブリュッセルにくる機会がありました。アルバイトが終わって、ブリュッセル中央駅に向かう途中、何気なく入った古本屋で偶然にもアンリ ピレンヌの著書を見つけました。値段はアルバイトの稼ぎを全部出しても足りないぐらい高かったのですが、ベルギ-に来てピレンヌの本に出会うのも何かの縁かと思いその本を買いました。お陰で一文なしになりましたが、ルーバンまでの切符は往復を買っていたので助かりました。

 余談ですが、ピレンヌは第一次大戦中、ベルギーを占領したドイツ軍に対して非暴力抵抗運動を組織しました。その結果、かれはドイツ軍に逮捕されました。ドイツ軍の将校がドイツ語で尋問すると、ピレンヌはフランス語でしか答えませんでした。ピレンヌは若い頃ライプチッヒ大学で勉強し、ドイツ語で論文を書いて博士号を取得してますので、完璧なドイツ語を話しました。それを知っているドイツ軍の将校は、何故あなたはドイツ語で答えないのかとききました。するとピレンヌはフランス語で、わたしは1914年8月3日(ドイツ軍がベルギ-に侵攻した日)にドイツ語を忘れましたと答えたそうです。

 ピレンヌは「モハメッドとカ-ル大帝」という論文を書いてます。その中に、「イスラムなしフランク帝国は存在し得ず、モハメドなしにカール大帝は存在し得なかった」という一文があります。簡単にいえば、ロ-マ帝国崩壊後、西欧キリスト教社会が成立するまでのヨーロッパの歴史の空白を埋めたのが、イスラム教徒のサラセン帝国だったということです。そして、その舞台となったのが地中海並びにその沿岸の地域だった、というのがかれの説です。

 610年に砂漠の遊牧民ベドウィン人で25歳のモハメドに、大天使ガブリエルがアラ-の神の啓示を伝えました。この瞬間が、世界の歴史に巨大な影響を与えることになるのは、後世にならないとわかりません。
 オアシスのナツメヤシと交易のラクダぐらいしか見ない、荒涼たるアラビアの砂漠から起こったイスラム教が、それこそあっという間にアラビア半島から北アフリカを制しました。そして711年にはタリク率いるイスラム軍がジブラルタル(タリクの岩)を渡り、イベリア半島に侵攻します。イスラム軍のジブラルタル上陸は、コロンブスのサンサルバド-ル上陸と並んで、世界史上最も重要な“上陸“の一つといわれてます。

 イベリア半島の大半を手中ににしたイスラム軍は、ピレネーを越えてフランク王国への侵入を企てます。732年に現在のフランスのツールとポワチエの間でイスラム軍とフランク軍が会戦し、フランク軍がイスラム軍を撃退しました。もしこの会戦でフランク軍が敗れていたら、いまのフランスもスペインのように長く回教文化圏に留まったかも知れません。もっとも、現代のフランスでキリスト教につぐ第二の宗教はイスラム教ですから、イスラム側によるポワチエの戦いのお返しということでしょうか。回教徒の支配下に入ったイベリア半島は、Al Andalus(スペイン語ではEl-Andalous)と呼ばれ、1492年にグラナダの最後の回教国がキリスト教軍に陥落させられるまで、実に8世紀もの間、回教文化圏に留まることになります。

 9世紀から11世紀のコルドバは当時の全ヨーロッパを含めて、最大の都市でした。
英明なカリフの治世の下に繁栄を続け、政治、文化、学問、芸術等のあらゆる分野で
西欧キリスト教世界を凌駕していました。
 コルドバのカリフは宗教にも寛容で、キリスト教徒やユダヤ教徒にイスラムへの改宗を強要しませんでした。中央集権の行政組織、法律の整備、金融組織、通貨など、どれをとっても当時の西欧キリスト教世界より優れていました。
 アラビア語は当時の学問の世界では国際語でした。実践科学の分野では、アラビア語が必須でした。医学、数学、幾何学、天文学、植物学、農学等々の学問は、西欧世界を含めて最高の水準に達していました。
 中世ヨ-ロッパのキリスト教哲学に多大な影響を与えたギリシャのアリストテレスの著作は、ギリシャ語からアラビア語に訳されたお陰で、キリスト教世界に入りました。イスラムの碩学、アヴィセンナやアヴェロエスは、アリストテレスや新プラトン主義思想の西欧への紹介に大きな役割を果たしています。
 つまり、中世ヨ-ロッパのキリスト教思想の土台は、イスラム教徒の協力のおかげで完成したといってもいいのです。   
 コルドバのカリフの宮廷には、当時の最高級の文化人が集まっていました。コルドバで勉強するキリスト教徒の学者も珍しくありませんでした。街の上下水道は高度に発達し、道路網は整備され、衛生面でもコルドバだけで600もの公衆浴場、ハマム(蒸気風呂)があったそうです。

 同じ時期の西欧社会はどんな状態だったのでしょうか。
 簡単にいえば、日本の戦国時代を想像すればいいでしょう。西ロ-マ帝国の弱体化に乗じて帝国領を蚕食してきたゴ-ト族、ゲルマン族、ヴァンダル族などのいわゆる蛮族が、それぞれの王国を建てて合い争う時代から有力な封建諸侯が生まれ、周りを切り従えて政治権力を構成する時代に入っていました。
 その代表がフランク王国のカ-ル大帝でした。しかし、カ-ル大帝のアーヘンの宮廷といえども、イスラムのカリフの宮廷に比べれば非常にみすぼらしいものでした。第一、カ-ル大帝は立派な宮廷を営むお金がありませんでした。商工業は未発達で所領は貧しく、戦いに明け暮れていた大帝は天幕住まいがほとんどでした。
 余談ですが、1フィ-ト(約33センチ)の単位はカ-ル大帝の足をもとにして決められたという説があります。お母さんがハンガリ-の王女で、「大足のベルタ」というあだ名があるほどの大足の持ち主だったそうです。

 かってキリスト教圏だった北アフリカからイベリア半島、そして聖地エルサレムまでイスラムの支配に屈し、東ロ-マ帝国はトルコの脅威にさらされ、どこを見てもイスラムに押されっぱなしの西欧キリスト教世界を、何とかしなければと考えた人がいました。それは11世紀最後の教皇ウルバノ二世でした。ウルバノ二世は1095年に現在のフランスの都市、クレルモン(ミシュランタイヤの本社があります)に公会議を召集し、有名な十字軍勧説の演説を行いました。イスラム教徒はキリスト教徒を殺し、土地を奪い、教会を焼き神の国を滅ぼそうとしている。諸侯は私的闘争をやめ、十字架をとって立ち上がるべきである、と説きました。すらりとした長身で、弁舌まことに爽やかだったウルバノ二世の演説は、後世「クレルモンの神秘」と呼ばれる名状しがたい熱気を諸侯の間に巻き起こしました。
 11世紀末から始まった十字軍こそが、それまでイスラム勢力に押されっぱなしだった西欧キリスト教世界が、やっと反撃のできるまでに成長した、つまり西欧キリスト教世界の成熟度を証明する歴史的な出来事だったのです。

 ところで、わたし達の日常生活にイスラムの影響はあるのでしょうか。
 皆さん、コ-ヒ-を飲みますか。エチオピア原産のコ-ヒ-がヨ-ロッパに入ったのはアラブ経由です。フランスにコ-ヒ-が入ったのは1654だそうですから、随分時間かかかってますね。コ-ヒ-砂糖をいれますか。砂糖の語源はアラビア語の「Al Souker」です。
 閑話休題。1683年、オスマントルコ帝国はウィーン攻略をめざし、15万人の大軍をもってウィ-ンを包囲しました。しかしこの戦いは失敗に終わり、トルコ軍は撤退します。この時、膨大な食料品や軍事用物資を放棄していきました。その中に、大量のコ-ヒ-が残されていたそうです。戦争の勝利を喜んだウィ-ン市民は、このコ-ヒ-を使って新しいコ-ヒ-の飲み方を作り出しました。これがかの有名なCafe viennois(ウィ-ン風コ-ヒ-)だとか。またこの時、ウィ-ンのお菓子屋さんが、トルコ軍のシンボルであった半月旗の半月の形に似せてパンを作りました。これがフランス人の朝食にかかせないクロワッサンの原型だとか。真偽のほどはわかりません。

 血液サラサラの効能があるという玉ねぎは、アラブの皆さんのおかげです。「秋茄子は嫁に食わすな」の茄子は、煮てよし、焼いてよし、糠漬けよし、浅漬けよしですが、これもアラブの皆さんに感謝しましょう。オレンジやレモンやメロンについても、アラブの皆さんに感謝しましょう。ベルギ-のメヘレン名物、ホワイトアスパラガスはメヘレンが原産ではないのですよ。
 シャ-ベットの語源がアラビア語で、シロップがアラビア語の「Charab=飲み物」からきているとは知りませんでした。ファンタとかオランジナのことを「Limonade=リモナ-ド」といいますが、これもレモンをべ-スにしたアラブの飲み物の意味だそうです。サフラン、シナモン、クミン、マスタ-ド、コリアンダー等々の香辛料に至っては、とてもアラブの皆さんに足を向けては寝れません。

 こうして見ると、わたし達は知らない処でいろいろな人のお世話になってますね。お父さんも、知らないところで人のお世話になっていることを自覚していますか。毎朝顔を合わせる会社のビルのガ-ドマンのおじさんに、“おはよう”といってますか。事務所の掃除にくるおばさんに“ご苦労さま“をいってますか。 もしいってなかったら、今年から実行しましょう。楽しい年になりますよ。     (かんとう) 

No.178 おじさんのヴァレンタインデー

178.おじさんのヴァレンタインデ-

 2月に、世のおじさん達に何の関係もないイベントがあります。何でしょうか。
そうです。2月14日のヴァレンタインデ-です。このイベントは、通常 おじさん達に関係がありません。
 ヴァレンタインデ-が、チョコレート業界のマーケットィング成功のシンボルであることは確かです。この日のおかげで、業界は大いに潤ってます。何しろこの日だけで、日本の年間チョコレ-ト消費量の20%を売り上げるそうですから、笑いがとまらないでしょう。
 さらに日本のあくなき商業主義は、ホワイトデ-なるものを考案して儲けを企み、見事に成功しています。世界に例のないホワイトデ-のために、日本のどれだけの男性が苦労していることか。日本に住んでなくて本当によかったと思ってます。もっとも、日本に居たからといってチョコをもらえる保証はないのないのですが。

 チョコレート業界の陰謀だろうが、あくなき商業主義の成果だあろうが、ヴァレンタインで-は今や日本の社会に定着しているのは事実です。年に一度、男女が胸をときめかす日があってもいいと考えるべきでしょう。でも、おじさんにはやっぱり関係のない日ですよね。
 何と? 関係があるとおっしゃいますか。恋をしているとおっしゃいますか。47年間の独身生活に、別れを告げる恋をしているとおっしゃいますか。結構ではありませんか。恋を司るのは、脳の中でもかなり原始的な部分だそうですから、恋は人間の本性に根ざしているといっていいでしょう。恋は人生の華です。恋は人の命の源です。恋は人生に艶をだします。でも、気をつけましょう。恋には魔性がひそんでいます。
恋には狂気がひそんでいます。恋ゆえに人を殺したり、恋に狂ってわが身の破滅をまねいた人の事例は、古今東西、枚挙にいとまがありません。おじさんも今日まで無事にきたのですから、ここで狂ってはダメですよ。 

 47歳のおじさんが思いをよせている彼女から、ヴァレンタインデ-の日にチョコレートが届くことを祈ってます。聞くところによれば、日本の女性は義理チョコは国産チョコで間に合わせ、本命にはベルギ-チョコを贈るとか。おじさんにベルギ-チョコが届くといいですね。もし彼女からチョコが届かなかった場合、あわてることはありません。おじさんがベルギ-チョコを彼女に贈ればいいのです。
 ヴァレンタインデ-に、女性が愛情の告白として男性にチョコを贈るのは、日本だけの特異な習慣です。この日、男性から女性にチョコレートを贈ることに、何の問題もありません。日本ではこれを「逆チョコ」というそうですね。

 ちなみに、ヴァレンタインデ-の元祖、St.Valentineはカトリック教会の聖人暦には載っていません。第二ヴァチカン公会議の典礼改革で、史実がはっきりしない聖人は典礼暦から除外されましたが、聖ヴァレンタインもこの時外されました。
 聖人とは、“隣人を自分のように愛しなさい”というキリストの教えを身をもって実践した人、死をもって自分の信仰を守った人など、あらゆる面で信徒の模範となる聖徳の高い人をいます。聖徳の高い人を没後に聖人として宣言し、信徒の崇敬の対象とするのはカトリック教会とギリシャ、ロシアなどの正教会のみです。
 カトリック教会が聖人の宣言をするようになったのは、10世紀以後のことです。それまでは聖徳の人が亡くなった後、人々の噂でなんとなく聖人と呼ばれていました。教会は聖人の宣言(列聖といいます)をするのに長い時間をかけ、厳密な調査を行います。申請がが出されてから列聖に至るまで、数十年かかるのが普通です。1431年に亡くなったジャンヌダルクは1920年に列聖されました。

 ただ、生前から聖徳の人として衆目の一致する人の場合、亡くなってから比較的早い年月で列聖されるケ-スもあります。例えば、1231年に亡くなったパドワの聖アントニオは1232年に列聖されてます。
 余談ですが、聖アントニオはポルトガルの貴族の家庭に生まれました。その家系はカール大帝にまでつながり、ブイヨンのゴッドフロア(現ベルギ-のアルデンヌにあるブイヨン城の城主。ブリュッセルの王宮広場に立ってる騎士像の主人公)とも親戚関係にあった名門貴族でした。ヨーロッパには、聖アントニオ様にお願いすると失せ物が見つかるという俗信があります。また、1997年に亡くなったマザ-テレサは、2003年に列福(列聖の一歩手前)されてます。
 ちなみに、日本のカトリック大阪教区から出されている高山右近の列聖申請は、もう数十年たってますが未だに実を結んでません。

 またまた余談ですが、カトリック教会には聖人の史実を厳密に調べる研究達がいます。この研究者達をボランディスト(Bollandistes)といいます。今から約400年前にイエズス会の神父、Jean Bollandが創設した団体です。メンバ-はすべてイエズス会の神父さん達です。その本部はベルギ-にあります。Etterbeekのコミュ-ンにあるイエズス会の名門校、Collège Saint-Michelの中にあります。この学校は、王族の子弟といえども成績が悪ければ落第させるので有名です。サンミッシェル校の反対側の通りの名前がボランディスト通り(Rue Bollandistes)です。ま、本稿を読んでいただいている皆さんにとって、どうでもいいことかもしれませんが。

 ヴァレンタインデ-のチョコレ-トの後に、おじさんが成すべきことは何でしょうか。それはやっぱり、彼女を素敵なレストランに招待することでしょう。彼女がおじさんの招待を受けてくれるなら、おじさんの恋は一歩前進です。
 レストラン選びは慎重にやってください。料理のおいしいレストランを選ぶのはもちろんですが、レストランの雰囲気も非常に大事です。いくら料理がおいしいからといって、場末の小汚い場所は避けてください。そういうレストランは、グルメの玄人筋に任せておけばいいのです。女性によっては、料理の良し悪しよりも、雰囲気の方に重きを置く人がいますので気をつけましょう。

 レストランが決まったら、予約です。今時、ちゃんとしたレストランに予約なしで行く人はいないでしょうが、問題は予約を先延ばしにすることです。デ-トの日が迫ってきた段階で、予約の電話を入れたら満席で断られたなんて、目もあてられません。特に、彼女にレストランの名前を告げてある場合は最悪です。予約は早めにです。
 予約の際に、出来れば席の場所のリクエストもしたいものです。森に面した窓際の席とか、湖が見渡せる眺望のよい席とか、彼女に喜んでもらえる席を予約するのも、おじさんの大事な任務です。そのためには、自分で行ったことのないレストランは避けましょう。初めて行くレストランなら、下見をしておいた方が無難です。

 47歳のおじさんの恋の成就には、入念な準備と細心の気配りが必要です。女性にもてる男性の秘密は、顔がいいとか背が高いとか、そんなものではありません。そういう要素はいずれ飽きがきます。もて男の秘密は、女性に対する細心の気配りにあります。そして、楽しくて豊富な話題で彼女の心を豊かにしてあげることです。会話が楽しければ、食事もおいしくなります。
 彼女が食事の後で、今日はとても楽しかった又この人に会いたい、と思ってくれるならおじさんの努力は報われたことになります。そうはいっても難しいんですよね、これが。

 約束の日に、おじさんが彼女を迎えにいくなら時間を守りましょう。ただ、女性は支度になにかと時間がかかるものです。多少待たされても文句をいってはいけません。そして、彼女が車に乗るとき車のドアをあけてあげましょう。47歳の恋を実らせるために、女性にたいする尊敬といたわりの精神を態度に表さなければ駄目です。照れるてる場合ではありません。彼女はおじさんの態度を高く評価するに違いありません。

 さあ、レストランに着きました。車係りのいるレストランなら、車係りの人に車のキ-を渡しましょう。帰りに車を受け取るとき、彼へのチップを忘れないでください。
彼は店から給料をもらってません。チップだけが収入源です。蛇足ですが、レストランの車係りに、一ユ-ロコインぽっきりはちょっと恥ずかしいです。
 席への案内は給仕長かボ-イさんに従いましょう。いうまでもないことですが、着席は女性が奥で男性が手前です。おじさんが女性に対する最低の礼儀を守らずに、さっさと奥に座るようでは、彼女に軽蔑され以後会ってもらえなくなりますよ。

 席につくと、ボ-イさんがアペリティフの希望を聞いてきます。何処に行っても“まずビ-ル”のおじさんは、ちょっと高級なレストランに行ったからといって、ここで気取る必要はありません。どこのレストランでも勧めるシャンペンなど、好きじゃなかったら頼まなくていいのです。堂々とビ-ルを注文すればいいのです。
 ただ、“まずビ-ル”をいう前に彼女の希望を優先させてください。彼女がシャンペインを頼みたかったのに、おじさんがビ-ルといったために、彼女が頼みにくくなる状況は避けるべきです。
 難問はメニュ-です。メニュ-に出てくる料理用語は本当に難しいです。知らない食材やシェフ独特の造語もあり、読解に苦労します。こういうときは、素直に給仕長かボ-イさんに説明を求めるのが一番です。彼女の手前、格好をつけて「アントレはこれにします」と指差したのが、レストランの名前と住所だったりすると悲劇です。 
 たいていのレストランには、本日のお勧め料理、或いはシェフのお勧め料理があります。シェフが季節に合ういい食材を見つけて、それに工夫をこらした料理は確かにお勧めの名に値するでしょう。ただ中には、仕入れ過ぎた材料や利幅の大きい材料を使ってお勧めとするレストランもありますので、一概にお勧めがいいとはいえない場合もあります。結局、こういうことは店への信頼度で判断するしかないでしょう。


 メニュ-の選択はあくまでも彼女優先でいきましょう。彼女の好きなものをまず選び、それからおじさんの料理を選んでください。自分の好きなものだけさっさと選び、彼女に「ほんでもってあんた何にすっかね」なんて聞くようでは、おじさんの恋は直ちに終焉を迎えます。 
 あるレベル以上のレストランでは、女性用のメニュ-には値段が書いてない場合があります。おじさんのメニュ-にはしっかりと値段が書いてあります。彼女の選ぶ料理の値段でハラハラドキドキするのはやめましょう。みっともないです。おじさんのそういう態度は彼女にも微妙に伝わります。彼女に、「まあ、この人ってこの程度の器の男だったのね」なんて思われたら、困るのはおじさんですよ。
 ここは一番鷹揚にかまえましょう。たとえ彼女が、イラン産の最高級キャビアを選んだとしても、泣いてはいけません。泣くのはカ-ドの支払い明細が来たときでいいのです。

 メニュ-の選択が終わった後に、次の関門がまってます。ワインの選択です。これがまた結構なプレッシャ-になります。ここでも、まず彼女に好みのワインがあるかどうかを聞くのが礼儀です。 日本人で自分の好みのワインをはっきりという人は、男女含めて少ないですよね。たいていの場合、「お任せします」という答えが普通かと思います。しかし最近は女性のワイン通がいますのでので、油断はできません。
 おじさんがワインに詳しければ、彼女の選んだ料理に合わせてワインを選べばいいですが、もしそうでなければ、ソムリエのアドヴァイスを受けるのが賢明です。
 ソムリエはお客をよく見ています。けっして法外な値段のワインを勧めたりはしません。お客の選んだ料理に合うワインで、この値段なら問題なかろう的なワインを勧めてくれます。

 ワインが決まったら第三の関門が待ってます。 ワインのテ-スティングです。
意外と苦手な人がいるんですよね、これが。コツはゆっくり、あわてずです。急いてはいけません。まず、ソムリエが確認をもとめて差し出すワインボトルを、しっかりと見てください 。個人的な経験ですが、さるレストランでソムリエがもってきたワインの年代が、自分の注文したワインの年代と一年違っていたことがありました。自分はその年のワインが飲みたかったので、翌年のワインは困ります。直ちに交換を要求しました。
 グラスに注がれたワインを見てください。この場合、グラスをちょっと傾けると、よく観察できます。ワインは白でも赤でも、色によってある程度年齢がわかります。
例えば、白ワインは年を重ねるほどに色が黄金色に近くなってきます。一方、赤ワインは年代ものになるほど、色が薄くなってきます。若いときは真紅や紫に近い濃い色
のワインが、次第にルビ-から褐色に近い色になってきます。
 傾けたグラスを動かすと内側に跡が残ります。これをワインの涙とかワインの脚といいます。涙がグラスの内側に留まって、それからをゆっくり降りていく場合、そのワインはアルコール分の強いワインだそうです。

 色を見たら、グラスを回してワインと空気の接触を促進します。グラスを強く回し過ぎて、ワインを外に飛ばさないようにしましょう。わたしは昔これをやって大恥をかいた経験があります。
 空気に触れたワインは香りを立ち昇らせます。この香りが、ワインの産みの親であるぶどうの種類から畑の土の性質、成熟の度合いなど、そのワインの生涯を語ってくれるのです。しかし、ワインの香りからワインの生涯をかぎ取るのは非常に難しいです。ワインを専門に勉強しないと無理だと思います。ブルゴ-ニュやロワールの赤、或いはボ-ジョレのように、よく知られた一種類のぶどうから作られたワインは辛うじてわかる場合がありますが、ボルドーのように2-3種類のぶどうを混ぜて作るワインはアウトです。驚くのは、ワイン講座の生徒のなかにこれをぴたりと当てる人がいることです。
 香りを確かめた後はワインを口に含んでください。ここでもワインの生涯がかなりわかります。口に含んだワインが舌全体に行き渡るように、口をクチュクチュさせます。ワインの味わい方について専門家はいろいろなことをいいますが、おいしいと感じたらそれでいいんじゃないですか。
 テ-スティングの一連の作業の間、ソムリエ氏はワインを捧げもっておじさんの傍に立っています。この横に立つソムリエ氏が気になって、急いでテ-スティングを済まそうとする人がいますが、あわてることはありません。ゆっくりやってください。

 料理のサービスが始まり、グラスにはワインが注がれてます。後はおじさんがどういう話題で彼女と楽しいディナ-をするかです。こればっかりは誰もおじさんを助けることはできません。おじさんの頭に10の話題の引き出しがあれば、その中の一つを使うぐらいがちょうどいいのです。一つしかない話題の引き出しから、10の話題を引き出そうとしてもそれは無理です。そういう人の話しはおもしろくないのです。話題がなくて、苦しまぎれに「日本政府の国債発行高が史上最高」だとか、「日銀の公定歩合が....」なんていう話題を持ち出すのはやめましょう。それから、自分のことばかりしゃべる人は嫌われます。会話はピンポンです。二人の会話のやりとりの妙が、二人の心を近づけるのです。
 食事の後、彼女を送っていってお別れをいう前に、予め買って車のトランクに入れておいた花束を彼女に贈れば、その日の締めくくりとして最高でしょう。
 それでも、彼女にふられたらどうするかですって? 知りませんよ、そんなこと。
                              (かんとう)     

No.179  何処かにいるお金持ちのはなし

179.何処かにいるお金持ちのはなし

 この間、ベルギ-の雑誌を読んでたら面白い記事がありました。
それは、このご時世に高級ブランド品や高価な奢侈品、贅沢品の売り上げが伸びているというものです。また、高級アパ-トやいわゆる豪邸の売買成約件数も伸びているそうです。リ-マンショック以来の経済危機はどこにいったのか、とはその雑誌のタイトルです。
 例えばHermesですが、ベルギ-エルメスの売り上げは2010年第3四半期だけで31%も伸びそうです。どんな商売でもそうですが、売り上げを3割も伸ばすなんて大変なことです。商品や製品にもよるでしょうが、血の滲むような営業努力をしても、売り上げ30%増は極めて困難な数字ではないでしょうか。
 ところが、香水、衣類、バッグ、時計などを庶民の手の届かない値段で売ってるヘルメスが、楽々と売り上げを伸ばし続けるのですから、世の中どうなってるんだろうと思ってしまいます。おかげでヘルメスの株価は上がる一方で、一年で倍になったそうです。
一方のCartierは、ヨ-ロッパ全体で23%の伸びで、アジアマ-ケットではなんと41%も売り上げを伸ばしてます。

 世界の高級ブランドのトップ企業LVMH社(Louis Vuiton,Moet,Hennessy)の総帥、ベルナ-ル  アルノ(Bernard Arnault)氏(彼自身がフランスで七番目の富豪)によれば、世界の高級ブランドのマ-ケットは2012までに売り上げが倍増する見通しだそうです。アルノ氏はマ-ケットの寡占化を目指してか、ヘルメスを傘下に収める意図を隠しません。さらにホテル業界への進出を計画し、2012年にオマ-ンに超豪華ホテルをオ-プンするプロジェクトを進めています。このアルノさん、どこまでやったら気がすむのでしょうか。

 景気がいいのは高級ブランド業界だけではありません。
パリのCrillonとかBristolといった高級ホテルでは、去年の9月から満室状態が続いているそうです。この手のホテルは、安いスタンダ-ドの部屋でも一泊600ユ-ロはとられます。わたしは年末に添乗でヨルダンに行きましたが、かの国の公務員の平均給与は月に550から600ユ-ロぐらいです。この給料は、パリのクリヨンやブリストルホテルの一泊分です。
 同じくパリの超高級ホテル George Vの部屋の稼働率が、去年の夏以来90% を記録しています。もう一つの超高級ホテル Plaza Athénéeの昨年夏の売り上げ高は、1913年の開業以来の記録的な好成績だったそうです。
 パリには2012年までに、さらに三つの超高級ホテルが開業します。新ホテル開業のプロジェクト関係者によれば、こういうホテルの客は「黙ってても向こうから来てくれる」のだそうです。

 豪邸やVillaなどの高価物件、(一件が300万ユ-ロから1000万ユ-ロ)を専門に扱う不動産業者も、経済危機の影響は余り受けてないそうです。こういう時代こそ、お金持ちは確実な投資先として不動産を選ぶ傾向が強いからです。
 不動産の投資先は海外にも向かいます。モロッコのマラケシュの土地や不動産の値段は、今やうなぎ登りの上昇を続けています。マラケシュに別荘を持つのが、ヨ-ロッパ、特にフランスやベルギ-のお金持ちの間で流行になってます。
 当社が入っている建物のオ-ナ-会社の社長さんも、マラケシュに別荘をもっています。暇があるとマラケシュに行ってゴルフ(彼はシングルプレイヤ-)をやってます。彼は当社の住所、Stassart通りにも幾つかの不動産を所有しています。何年か前に、「この通りの名前を○○(彼の名前)通りにしたらどうですか」と社長に冗談をいったら、「不動産なんて持つものじゃないですよ。税金を払うために持ってるようなもんだからね。そのうち全部売却しようと思ってますよ」との答え。売る気なんてさらされないくせによく云うよ、とその時思いました。勿論、今もしっかりと持ってます。

 知人にブリュッセルの貴金属店の経営者兄弟がいます。わたしは彼らの亡きお父さんポ-ルと友達でした。ポ-ルは老舗の旦那として商売に精を出していたのですが、病に倒れ亡くなってしまいました。
 ポ-ルの店は、日本でいえば江戸時代から続いている老舗で、ベルギ-王室御用達の店でもあります。お父さんの跡を継いだジャックとアルノ兄弟は店の暖簾を守り、さらに発展させている孝行息子達です。ジャックが経営全般を見ており、弟のアルノは宝石ディザナ-です。フィリップ皇太子がマチルドさんと婚約したとき、皇太子がマチルドさんに贈った婚約指輪はこの店で誂えたものです。
 ジャックとアルノ兄弟の話では、2010年の売り上げは前年比15%増だそうです。兄弟の顔がひとりでにほころびてくるのもうなずけます。
 王室御用達だけあって、この店の品物は貴金属でも時計でも高級品ばかりで、簡単に手の出る値段ではありません。それでも売り上げが伸びるのですから、不思議です。いったい誰が買うのでしょうか。

 デラックス志向、高級志向は旅行業界にもみられます。
 毎年、南仏はカンヌの高級ホテルで開催される Luxury Travel Marketは前年比45%の伸び率とか。このマ-ケットの顧客層は、夫婦又は家族で一回のバカンスで30,000ユ-ロから100,000ユ-ロぐらい使うそうです。プライベ-トジェット、プライべ-トヨット、自分達だけの島等他との違いを求めると同時に、最高級のサ-ビスを要求する人達のようです。
ジャパンP.I.トラベルではこういうツアーは取り扱っておりませんので念のため。
 豪華客船のマ-ケットは100億ドル規模といわれてますが、こちらも好況で、船会社は浮かぶ宮殿とも呼ばれる豪華客船の新造船発注を始めてるそうです。

 さて、車はどうでしょうか。こちらも高級車ほど売れ行きがいいようです。去年、ベルギ-では4日に一台の割りでポルシェが売れました。これはフランス全体の販売台数の半分に当たるそうです。ベルギ-はフランスの6分の1しかない国です。べルギ-人はフランス人よりお金持ちということでしょうか。
 BMWやAudiも高級なカテゴリ-の方が売れ行きがいいようです。BMWの7シリ-ズタイプの販売台数が13%増で、AudiのR8タイプが22%増だそです。
 去年、ベルギ-国内で1000台以上のJaguarが売れました。他にAston Martinのスポ-ツカ-が100台、Bentleyが31台、Ferrariが92台、Lamborghiniが16台、Maseratiが65台、Rolls-Royceが13台、そのうち2台は409,000ユ-ロはするPhantomタイプが売れました。このベルギ-で誰かが買ったのです。もしかしてお父さん、あなたではないでしょうね。

 車関係の雑誌の専門家によれば、高級車の販売は経済危機や不況にあうと一時落ち込むが、回復の速度は一般車よりはるかに早いとのことです。
 高級品の購買層は商品の価格で文句をいわない代わり、品質や希少価値にはうるさいそうです。その他大勢がもっていない物、高額で高品質な物を所有することによって、自分達が特別且つ恵まれた階層に属している人間である幸せにひたるのだそうです。生涯に一度でいいからそういう幸せにひたってみたいものです。

 皆さん、トリュッフは好きですか。わたしはあの黒いへんてこなキノコが、どうしてあんなに珍重され、値段が高いのか理解できません。収穫量が少ないから高いといわれれば、ま、そうかと思いますが、それにしても高過ぎませんか。香りも味も悪くはないにしても、大枚はたいて食べる価値がありますか。
 トリュフというキノコは印象が暗いです。性格がいじけてます。容姿に好感が持てません。樫や楢の林の地下にじっとうずくまっている姿は、世の中に背をむけ、世をすねているとしか思えません。自分がこうなったのは、みんな世間が悪いから、周りが悪いからと、反省の色もみせない自己中の塊のような印象を受けます。

 生涯の多くの部分を地中で過ごす生き物はたくさんいます。蝉の幼虫もそうです。でも、ひとたび地中を出て蝉に孵化すれば、チ-チ-とかミンミンと鳴いて人々に夏の喜びを告げてくれます。地中にある百合根やチュウリップの球根は地上に美しい花を咲かせます。
 それなのにトリュッフはミンとも鳴かなかれば、花も咲かせません。とにかく性格がいじけてます。豚にだけわかる香りをだして豚に見つけられるなんて、高貴なキノコのやることではありません。豚に媚を売ってどうしようというんですか。品性が卑しいとしかいいようがありません。

 トリュッフの顔はひどいです。色が黒い上にいぼいぼがあるあの顔を、鏡でみたことがあるのでしょうか。恥ずかしくないのでしょうか。ま、当人(?)も、自分の顔が人様にお見せできる顔ではないと自覚していればこそ、地上に出てこれないのかも知れません。
 ところがトリュッフは、豚に見つけられて地上に出てくると態度を豹変させます。あの暗い陰気な態度が急に尊大になり、横柄でさえあります。これはトリュッフを見つけて収穫する人、売る人、料理する人の責任です。トリュッフをちやほやし過ぎるのです。ブリュッセルの有名レストランに、トリュッフの名前がついた店があります。この店は年間にトリュッフを200キロから300キロ使うそうです。トリュッフの仕入れ値は1キロ2000ユ-ロはしますから、計算してみたください。店のオ-ナ-、ルイジさんがトリュッフを見る時、とろけるような笑顔をします。可愛くて仕方がないという顔です。ああいう態度がトリュッフを甘やかすのでしょう。もっとも、トリュッフのおかげでルイジさんしこたま儲けさせてもらうのですから、とろけるような笑顔になるのも無理のないことかも知れません。

 フランスのテレビで、トリュッフに関わる面白い番組を見ました。
 フランスの有名な食味評論家に、トリュッフ料理で有名なレストランに来てもらい、本物のトリュッフと偽物のトリュッフを識別してもらう番組です。
 まず、二枚の皿に薄切りしたトリュッフが並んでます。見た目には違いがまったくわかりません。評論家氏は香りをかいで、ちょっと迷ってましたが、右側の皿のトリュッフを本物と認定しました。次いで、トリュッフ入りのオムレツが二皿出されます。評論家氏は二つのオムレツを食べると、迷うことなく左側の皿を本物と認定しました。
結果は一勝一敗でした。見た目と香りで本物と認定したのは、1キロ40ユ-ロで買える中国産のトリュッフもどきにトリュッフの香料をつけた偽物でした。オムレツを食べて迷うことなく本物を認定したので、評論家氏の面目はどうにか保たれました。

 最高級のトリュッフはフランス南西部ぺリゴ-ル地方でとれます。でも、19世紀のペリゴ-ル地方の農民にとって、トリュッフなど庭先に転がっているジャガイモ程度の価値しかなかったのです。つまり、いくらでも採れたのです。
 それが次第に採れなくなり、希少価値が増してくると、トリュッフに対する評価が変わってきました。「黒い女王」、「妖精のりんご」、「黒い真珠」、「キッチンのダイヤモンド」等々、ペリゴ-ルの農家の庭先に転がっていたころとは身分がガラッと変わってしまいました。それに、フランスの王様や貴族達が、トリュッフには強精効果があると信じ込んだため、トリュッフの地位はさらの向上しました。
 まあ、トリュッフの悪口を散々いいましが、結局、レストランに行ってもトリュッフ入りの料理は高いので、なかなか注文できない人間の逆恨み、ととられても仕方がないかもしれません。ところで、こないだ行ったイタリア料理店で食べたトリュッフ入りリゾットは、そんなに高くなくて本当においしかったです。トリュッフってやっぱりおいしいんですね。

 トリュッフに次いで、或いはトリュッフと同じぐらい珍重されているのがキャビアですか。キャビアもチョウザメの乱獲で、生産量がどんどん減っているようです。
 個人的に好きなキャビアの食べ方です。まず、冷凍庫にウオッカ用グラスとウオッカを壜ごと入れてギンギンに冷やします。これを取り出し、霜で白くなってるグラスに、冷凍庫に入れておいたため比重が変わって、ちょっととろりとした感じになっているウオッカを注ぎます。このウオッカを飲みながら食べるキャビアが最高ではないでしょうか。なんていってますが、最後にキャビアを食べたのは、思い出せないぐらい昔のことです。

 お金持ちが口にするワインは多々あるでしょうが、世界のお金持ちが邸宅のワインカ-ブに是非とも持っていたいワインは何でしょうか。そうです、Romanée-Contiです。このワインは一般のワイン専門店に行っても買えません。店頭には滅多に姿を見せません。ところが、ブリュッセルにRomanée-Contiを売っている店があります。この店は、皆さんもよくご存知の高級食料品ス-パ-“Rob”です。Robのワイン貯蔵庫にはこのワインがあるそうです。でも、売れるのは一年に一本ぐらいだとか。それはそうでしょう。安くても一本5000Euroはしますから。日本では一本100万円の値がつくワインです。一本5Euroのワインを飲んで喜んでいる人間がいれば、一本5000ユ-ロのワインを飲む人もいるのが世の中というものでしょう。

 お金持ちは何処にいるのでしょうか。皆さんのお知り合いに富豪はいませんか。皆さん自身が富豪だったら、大変結構なことです。是非、お近づきになりたいものです。
 世界的に有名な富豪といえば、なんといってもビル ゲイツさんでしょう。ビル ゲイツさんについてこんな小話があります。
 ビル ゲイツは1秒間に250ドル稼ぐ。これは月に2000万ドル稼ぐことになる。年収では73億ドルになる。彼がカジノで1000ドルすっても、あわてることはない。4秒まてば1000ドルが入ってくる。
 アメリカの国家予算の赤字高は6兆1200億ドルに達する。これをアメリカの各家庭割にすると、1家族当たり67000ドルに相当する。しかしアメリカの国家予算の赤字額はそんなに大したものではない。ビル ゲイツの資産の61倍に過ぎない。
 ビル ゲイツが地球上の全住民に一人当たり15ドルを配っても、彼のポケットにはまだ600万ドルのお小遣いが残っている。
 この間までスポ-ツ選手としては最高の年収を誇っていたマイケル ジョ-ダンが、ビル ゲイツと同じ資産を持つのには、飲まず食わずで1ドルも金を使わない生活を277年続けなければならない。
 ビル ゲイツを国家に例えるなら、彼は世界で36番目に豊かな国になる。企業に例えれば、ビル ゲイツはアメリカで13番目の大企業に相当する。
 ビル ゲイツの資産を全部1ドル紙幣にして並べると、地球と月の間を14回往復する距離になる。またこの紙幣を運ぶのに、ボーイング747クラスの飛行機が713機必要になる。
 しかし、世界中のMicrosoft Windowsのユ-ザ-が、コンピュ-タ-の調子が悪くなるたびにビル ゲイツに1ドル請求すれば、かれは3年以内に倒産する。

 ところでお父さん、お父さんは何処かにいる金持ちの一人じゃないですか。Robで。
Romanée - Contiを買ったのはお父さんでしょう。大丈夫ですよ、誰にもいいませんから。でも、今度ロマネを開ける時はよんでくださいよ。口止め料です。(かんとう)  

No.180  権力を求めて

180.権力を求めて




 中東が大揺れに揺れてます。
 ついこの間まで鉄壁の支配体制をもって君臨していたチュニジアのベンアリ大統領は、国民の反政権デモの奔流の前に、20数年に及ぶ強権政権をあっさり投げ出し、夫人や家族と共に国外に逃れました。逃亡機には1トン半の金塊が積み込まれていたとか。
 そして今度はエジプトです。チュニジアの民衆パワ-による大統領追放の余波は、エジプトの民衆を立ち上がらせました。カイロやアレキサンドリアなどの都市で始まったムバラク大統領の即時退陣要求のデモは、首都カイロのタハリ-ル広場を中心に激しいうねりとなり、なにびともこれを止めることのできない力になりました。
 頑として辞任を拒否していたムバラク大統領も、ついにこの民衆パワ-のうねりに屈し、大統領を辞任しました。 
 こうして30数年に及ぶ強権政治は終焉しました。同時に、ムバラク大統領の次男のガマル氏へ権力継承によるムバラク王朝への野望も消え去りました。

 チュニジア、エジプトの強権政権を倒した民衆パワ-の波は、近隣諸国の独裁国に波及してます。リビア、イエメン、バ-レン、アルジェリアなどでは、民衆のデモと政権側の衝突で多数の死者がでています。ひどいのはリビアのカダフィ大佐で、空軍を使って国民を空爆させたり、金で集めたきた傭兵を使って国民に銃を向けさせてます。ただ反政権勢力は、市民側についた軍とともにトリポリへ包囲網を縮めており、カダフィ大佐の命運も時間の問題かも知れません。

 「権力は腐敗する」とはよくいったものです。
 権力者、特に独裁者や強権支配者は自分が手にした権力を手放しません。手放さないためになんでもやります。多選を禁ずる憲法の改正などお手のものです。自分の地位を脅かす者に容赦はしません。投獄や粛清、場合によっては暗殺などを平気でやります。
 権力者は金を貯めこみます。蓄財に励みます。これは逃げる時のことも考えているからでしょうか。権力者は、国民が飢えていようと困窮していようと、豪奢な大統領宮殿にすみ、贅沢三昧な生活を享受します。
 アフリカの某独裁国家の権力者が、アジアのさる国からプレゼントをもらいました。そのプレゼントとは、豪華な大統領宮殿を建ててもらったのです。プレゼントの贈り主は、その独裁国の資源が欲しいアジアの某大国でした。

 権力者は権力の中枢に自分の息子や家族、親族あるいは取り巻きをを配します。これはを「ネポティスム」といいます。権力者は最終的には孤独で猜疑心が強く、他人を信じることができないからでしょう。独裁的な権力者は自分が手にした権力を手放しません。息子がいれば息子に権力を世襲させ、いなければ女婿などに権力を継承させ、一族の王朝化を画策します。
 また、権力者は自分の銅像を国内の主要都市の広場に建てさせたり、自分の肖像画や写真を国中に掲げさせます。ご承知のように、アジアの某独裁国の権力者は、自分の顔をバッジにして国民の着衣につけさせてます。

 しかし、権力が国民の手に戻った時、真っ先に引き倒されるのがこういう銅像であり、引き剥がされて足蹴にされたり、火中に放り込まれるのが肖像画や写真なのです。
かつてのル-マニアの大統領やイラクの大統領の銅像や肖像画、写真がどんな扱いを受けたか、現存の独裁者や強権支配者は見ているはずです。それでも、自分の銅像や肖像画を国中にばらまくのをやめないのは、自分だけは国民に愛されているという偉大な妄想にひたっているからでしょうか。

 ここで、世界の独裁者や強権支配者に共通している「ネポティスム」、近親者登用主義とでも訳すのでしょうか、について説明します。
 「Népotisme」の語源はラテン語のNeposやイタリア語のNipoteです。いずれも意味は「甥っ子」です。歴史上、ネポティスムが最もはびこったのは、なんとヴァチカン、ロ-マ教皇庁においてです。ローマ教皇の地位を利用してネポティスムをやった教皇はたくさんいますが、そのなかでも悪質な例をいくつかあげてみます。

 1455年に即位した教皇カリスト3世は、俗人だった25歳の甥っ子ロドリゴを枢機卿に任命しました。枢機卿は神父、司教、大司教の上に立つ教会の最高位の聖職者です。ロ-マ教皇の選挙権と被選挙権を有します。本来俗人がなれるわけがありません。ロドリゴ俗人枢機卿は後に神父になりますが、それは12年後のことです。

 後に、この甥っ子枢機卿はアレクサンドル6世として教皇位に就きます。教会の歴史でこのアレクサンドル6世ぐらい堕落し、悪徳に満ちたた教皇はいないでしょう。生涯独身であるべき聖職者の身で、この教皇はヴァノ-ザ という妾との間に4人の子供をもうけてます。歴代の教皇で妾や子供のいた教皇は他にもいますが、自分の子供を公然と認めたのは、アレクサンドル6世が初めてです。堕落した教皇は、58歳のとき15歳の少女に子供を産ませてます。ついには、成長した自分の息子でまだ18歳のチェザ-レ ボルジアを枢機卿に任命しました。
 1471年に教皇位に登ったシクスト4世はイケメン好きで、美貌の若者を何人も枢機卿に任命しています。そして、17歳でしかない美少年の甥っ子を枢機卿に任命しました。
 ルタ-が、教皇庁の腐敗を糾弾して宗教改革に立ち上がったのも、無理のないことです。

 今回、国を追放されたチュニジアのベンアリ大統領は、1987年に独立の父、ブルギバ大統領から権力を奪取して大統領になりました。
 大統領になった彼は、秘密警察網を国中に張り巡らせて国民を監視し、反政権的な動きを許しませんでした。そして、「権力は腐敗する」の言葉通り、蓄財に走り、豪華な大統領宮殿、国内の景勝地に家族のための豪奢な別荘をいくつもつくり、権力の中枢を近親者で固めました。こうして20数年にわたり、強権政治をもってチュニジアに君臨を続けてきたのです。
 チュニジアに行った時、チュニスの大統領宮殿を遠くから見たことがあります。小高い丘と周辺の広大な敷地を含む宮殿は鉄条網に囲まれ、とても近づけない雰囲気でした。一緒にいたチュニジア人のガイドさんに、ベンアリ大統領について質問しても「よく知らない」といって答えませんでした。秘密警察が怖かったのでしょう。

 ムバラク大統領とその家族が34年の間にため込んだ資産は、5兆8000億円を超えるそうですね。エジプトの人口8000万人のうち40%に当たる国民は、1日2ドルから3ドルの収入しかないというのにです。
 しかも、ムバラク大統領は自分の息子に権力を継承させようとしました。これはエジプトという国の私物化です。長い間権力を独占していると、自分にできないことはないとという錯覚に陥るみたいです。

 権力の錯覚組がもう一人います。未成年買春罪と職権乱用罪で起訴されたイタリアのベルルスコ-ニ首相です。
 今、ヨ-ロッパのプレスを賑わせている“ルビ-ゲ-ト”は皆さんもご存知でしょう。問題になっているのは、去年の10月に、ベルルスコ-ニ首相は17歳の売春婦ルビ-に7000Euroを払って彼女と一夜をともにしたという疑いです。これは、未成年者買春罪として訴追の対象になります。
 さらに首相には、万引きで捕まったルビ-を、裏から手を回して釈放させたとう疑惑もかかってます。職権乱用罪です。

 イタリアですっかり有名になったルビ-の名前は、Ruby Rubacuori(ルビ- ルバクオ-リ)といいます。本名ではなく源氏名ですが、意味がふざけてます。イタリア語のRubareは盗むという意味で、Cuoriは心、Coureの複数形です。
 “心のぬすびと“美少女ルビ-の魅力に負けて、ベルさんは彼女に心を奪われてしまったのでしょうか。ルビ-の本名はKarima El Mahrougで、モロッコ出身です。

 ベルルスコ-ニ首相ほど女性問題でスキャンダルをおこしている政治家は、EU加盟国の首脳のなかにいないでしょう。今年75歳になるシルビオさんは、日頃から“美少女好き”を公言してはばかりません。
 最近の例だけでも、2009年5月のノエミ レティチアという18歳の美少女とのスキャンダル。このスキャンダルに激怒した2度目の奥さん、ベロニカさんは即離婚(舞台女優だったベロニカさんはベルルスコ-ニさんと長期間の不倫関係の後に結婚しました)。懲りないベルさんは翌月の6月にパトリチア ダリオという美貌のコ-ルガ-ルを別荘に呼んだ疑い。さらに“ルビ-ゲ-ト”騒動の真っ最中の今年の1月に、イリス バラディという19歳のブラジル美女をサルデ-ニャの別荘に呼んだ疑い等々、わかっているだけでも大変のものです。

 2001年に首相に返り咲いて以来、ベルルスコ-ニ首相は汚職その他の容疑で何度も起訴されています。しかし、同首相は巧みな議会工作をおこなって自分に都合のいい免責法を通すなどして、無罪を勝ち取り実刑を免れてきました。
 でも今度は正念場みたいです。なにしろ相手が首相の天敵、ミラノ地検の女性主任検事ボッカシ-ニさんだからです。これまでの汚職容疑とはちがって、未成年者買春容疑という醜聞容疑で、首相は全イタリアの女性を敵にまわしてしまいました。
 ボッカシ-ニ主任検事は、自分が指揮をとる対ベルルスコ-ニチ-ムを、すべて女性検事で固めてるそうです。
 イタリアで2番目、世界で75番目の富豪といわれる富を持ち、首相の権力を手中にしているベルルスコ-ニさんも、今度ばかりはいつもの逃げ切りが難しいかもしれませんね。

 腐敗した権力の張本人の後ろには、張本人と同じかそれ以上に国民の怨嗟をうける存在があります。それは権力者の奥さんです。今回のチュニジア政変でも、ベンアリ大統領の奥さん、レイラ夫人はチュニジアで最も嫌われてる女性として国民の激しい指弾を受けました。チュニジアの田舎の貧しい家庭に生まれたレイラさんは、チュニスに出てきて美容師になります。
 彼女は大変な野心家だったそうで、自分の美貌を武器に、当時、軍の将校で3児の父だったベンアリ氏の愛人になります。そしてベンアリ氏に奥さんを離婚させ、妻の座につくことに成功しました。大統領夫人となった彼女は、その一族(男兄弟10人)を次々と政府や関係機関の要職に登用します。レイラ夫人を頂点とする一族の汚職、利権漁りは凄まじかったようです。
 チュニジア脱出に際して、国庫からの金塊般入と、逃亡機への積みこみを指図したのはレイラ夫人だといわれてます。余談ですが、パリのDiorの店は、今回の政変でレイラ夫人の買い物代3万ユ-ロを払ってもらえなくなったみたいです。

 ムバラク大統領夫人、スザンヌさんはお父さんがエジプト人医師でお母さんがイギリス人の看護師でした。彼女はカイロのアメリカン大学を卒業し、修士号を得ているインテリです。大統領夫人としてあからさまな汚職や利権漁りはしてないようですが、夫婦と息子二人で6兆円近い資産を作り上げていたのですから、やり方が巧妙だったのでしょう。スザンヌ夫人が一番非難されているのは、夫の政治的な決定、閣僚や軍の人事等に強い影響力を行使していたことです。

 過去の事例を見て、国民からひどく嫌われていた権力者の奥さんを3人をあげるとしたら、皆さんは誰をあげますか。
 わたしは江青、エレナ チャウシェスク、イメルダ マルコスの3人をあげます。
 毛沢東夫人江青がやったことは、ここに書く必要がないほど有名です。1966の文化大革命から4人組による党中央の権力奪取の企みなど、彼女は激しい権力闘争の渦中に身をおいてました。江青夫人の錯覚は、自分に権力があると思ったことです。1976年に毛沢東が亡くなると、彼女はあっという間に失脚してしまったのは、彼女の権力がどこから来ていたのかを明確に物語っています。

 1989年12月のル-マニア革命で、夫のチャウシェスク大統領とともに銃殺刑に処せられたエレナ夫人も、ル-マニア国民から徹底的に嫌われていた女性です。
 彼女も権力の錯覚者でした。国民からは無知と無教養のかたまり、誇大妄想と虚栄心のかたまりとして軽蔑されていましたが、独裁者の夫の権力に酔っている彼女に事実を告げることは事実上不可能でした。 
 エレナ夫人は若いころ化学実験所の助手をしていたことがあります。この経験が、彼女をして自分は偉大な科学者であるという誇大妄想へ駆り立てました。大学に命じて自分の卒業の経歴を捏造させ、代作させた論文で化学の博士号取得を図ります。しかし論文を審査したこの分野の高名な教授は、内容が博士論文のレベルではないとして通しませんでした。するとエレナ夫人は、論文をはねた教授を大学から追放してしまいます。そして、権力に阿る三流教授が論文を激賞して博士号を認めると、この教授は学長に任命されました。

 彼女は夫とともに外遊するとき、訪問国の大学から名誉博士号を授与されることに異常な執念をもやしてました。ルーマニアとの外交的配慮から、ギリシャなどの国の大学が彼女に名誉博士号を授与してます。
 1975年にチャウシェスク大統領夫妻は日本を公式訪問してますが、幸いなことに日本のどこの大学も彼女に名誉博士号を授与してません。ル-マニア国民だけではなく、各国の大学関係者の間で、彼女が水の分子構造さえ知らないことは有名でした。

 靴、3000足といえばかの有名なイメルダさん、フィリピンのマルコス大統領夫人です。1986年2月の革命でマルコス大統領夫妻がハワイへ逃げたあと、マラカニアン大統領宮殿に押しかけた民衆が見たのは、靴3000足、1000個のバッグ、500着以上のドレス等々のイメルダ夫人の持ち物でした。
 亡命先のハワイで、新聞記者から靴3000足について質問をうけたイメルダ夫人は、「マラカニアン宮殿に死体がころがっていたわけじゃなし、靴がちょっとあったぐらいでなにを騒ぐのよ」と平然と答えたそうです。

 権力は本当に魔物です。人を狂わせます。今の日本の政治など、権力闘争をめぐる田舎芝居みたいなものです。権力志向の親玉みたいな役者が金の問題で引っ込んだ思ったら、観客がもういいといってるのに必死になって舞台にしがみついている役者がいます。田舎芝居もいいですが、もうちょっとマシな役者はいないのでしょうか

 ところでお父さん、お父さんの権力は腐敗してませんか。腐敗した権力にあぐらを書いていると、年金受給日にお母さんから「お世話になりました」なんていわれますよ。なんと…..、お父さんの権力はずっと昔にお母さんの手に移ってますか。いいことですよ。家庭の平和のためにも、そしてお父さんの身の安全のためにも。(かんとう)

No.181  ありがとう、ベルギ-の皆さん

181.ありがとう、ベルギ-の皆さん




 福島市に住んでいる姪からきたメ-ルにこんな一節がありました。
「今、福島は桃、りんご、梨の花が満開です。花は例年通りきれいに咲いてます」
 この季節(4月下旬)、故郷は果樹の花々に覆われます。でも、姪の文章には、咲き誇る美しい花を愛でる心よりも、花々をつつむ空気中に、もしかしたら濃度が高くなっているかもしれない放射能への不安が垣間見られます。

 わたしは、今や悲しいまでに有名になってしまった「福島」の出身です。世界中の新聞や雑誌に数え切れないほど書かれ、今も書かれ続けている「Fukushima」。外国テレビのアナウンサ-が定時ニュ-スの度に発音した結果、発音が正確になった「フクシマ」。大地震と津波に加え、原発事故の十字架を背負わされた福島が哀れです。

 福島県のキャッチフレ-ズである「うつくしま福島」を、以前はなんとなくあか抜けのしないキャッチフレ-ズと思ってました。でも、大震災と原発の放射能、加えて風評被害に苦しむ故郷の人たちが住む場所の山河を思い、少年期を過ごした桑折(こうり)という田舎町の風景を思うと、福島は確かに「うつくしま」と呼んでもいい所です。春には、姪が書いているように果樹の花がいっせいに咲き出します。桃の花はピンク、りんごや梨の花は白です。
 今は住宅地になってますが、わたしが子供のころは生家の後ろの方は一面の田圃でした。田圃の向こうの山の裾野に植えられたたくさんの桃の木に花が咲くと、そこはピンクの屏風のように見えます。気温が上がると、ピンクの屏風は靄というか霞というか、うっすらとした空気の幕のようなものに覆われます。それは本当に美しい風景でした。洟垂れ小僧だったわたしの目に焼く付き、今でも色鮮やかに思い起こすことができます。

 思えば、白河の関から向こうは大和朝廷の権威に服することを拒否する蝦夷(えみし)の住むところでした。京の朝廷から見れば、東北地方は未開の蛮族が住む土地でした。蝦夷の人々が武力を蓄え、統一した政治権力をうち立てるためには、寒冷地の作物はあまりにも貧しかったのです。やがて蝦夷の土地は、大和朝廷の武力に切り従えられていきます。
 平安時代に、東北地方に初めて統一した政治権力が誕生しました。有名な平泉の藤原三代です。しかし藤原三代といえど、結局は京の関白家、藤原氏の庇護下に入り、莫大な砂金を献上して藤原の姓を名乗ることを許されたのです。そして、三代しか続きませんでした

 日本の歴史上何度かあった大飢饉で、最も悲惨な目にあったのも東北の人々です。もともと熱帯性の植物である稲を東北の土地に植えるのですから、ちょっとした天候不順は稲作に壊滅的な打撃を与えます。飢餓に苦しむ人々は、草を食み、木の皮をかじり、塗りこめられた藁を口にするために壁土を溶かして飲み、そして餓死していきました。

 明治維新に至る戊辰戦争では、東北の多くの藩は薩長軍と戦い賊軍とされました。会津藩、白虎隊の少年たちの行動が人の心を打つのは、大義のために滅びへの運命に敢然と殉じていったからではないでしょうか。
 明治政府は富国強兵の名のもとに近代化を急ぎ、軍事力の増強に努めましたが、その強兵の供給地は東北地方でした。東北の若者は忍耐強く、不平不満をもらさず、黙々と上官の命令に従い、数知れない若者が戦場の露と消えていきました。

 戦後の高度経済成長期には、東北は安価な労働力の供給地になります。上野駅は集団就職で上京する少年、少女たちのメッカになりました。
 名作「ALWAYS 三丁目の夕日」で、下町の自動車修理工場、鈴木オ-トに集団就職でやってきた六子(掘北真希)も東北弁でした。
 「男はつらいよ」シリーズで、寅さんの実家柴又帝釈天前のだんご屋、“とら屋”の裏にあるタコ社長の朝日印刷の若い職工さんたちも、大半が東北出身として描かれるいます。
 「北へ向かう人の群はみんな無口で…..」と、石川さゆりさんが“津軽海峡冬景色“で歌ってますが、この人の群とは上野駅から東北各地行きの列車に乗る人々のことでしょう。「北へ向かう人」のイメ-ジには、なぜか華やかさがありません。
 無口で、やや肩をおとしながら歩き、時々ため息なんかついたりして、どう見ても人生はバラ色、世界は自分のため、ふところ豊か、息子優秀、かあちゃんきれいという印象ではありません。東北の人々が背負って生きてきた苦難の歴史が、人々を無口にし華やかさを奪ったのでしょうか。念のために申し上げれば、わたしは無口ではありません。

 農業技術の進歩は東北地方を一大稲作地に変えます。しかも、すばらしくおいしい米の生産地になったのです。東北地方のおいしい米、おいしい果物、おいしい野菜、おいしい魚は首都圏の台所を豊かにし、首都圏の住民を幸せにしてきました。そして福島は首都圏の電力まで供給することになるのです。
 結果はご承知の通りです。
 首都圏向け食料基地、電力供給基地の福島は、地震、津波、原発事故による放射能危機という三重苦に苦しんでいます。特に東電福島第一原子力発電所に近接する浜通りの双葉町や大熊町、そして先月号の会報に寄稿された田河さんのご実家のある浪江町、及び近隣の市町村在住の人々は住み慣れた郷里を捨てて避難しなければなりませんでした。
 これだけ苦しんでいる人たち追い討ちをかけてるのが、風評被害です。福島産というだけで野菜も果物も売れません。避難先の土地の学校に通い始めた子供たちが、放射能汚染という理由でいじめに会ってるとか。そういう学校に乗り込んでいって、「馬鹿ガキどもいい加減にしろ !!」と怒鳴りたくなります。

 スリ-マイルアイランド、チェルノビルそしてフクシマと原発の問題が起きるたびに原子力エネルギ-利用についての議論がおきます。
 福島原発事故を受けて、ベルギ-のテレビでも原発賛成派と反対派の討論会が企画されました。ベルギ-は電力の50%を原発に依存しています。
 テレビ討論会の原発賛成、反対の双方の言い分には、それぞれに納得のいくものがあります。これまでの事故を見ても、核エネルギ-を生み出す核融合が、人間のコントロ-ルを離れた時、それがどれほど恐ろしい悪魔的存在になるかは明らかです。できれば無い方がいいのかもしれません。
 しかし原子力発電は、数グラムのウラン燃料で数10トンの石炭や重油に匹敵する電力を作り出し、しかも地球温暖化の元凶であるCo2をまったく出さないというメリットをもってます。
 テレビ討論会で、賛成派の人が反対派の緑の党の議員に、あなたは電気を使わない生活をしてますか、家に帰って電気をつけないのですか、テレビは見ないのですか、朝のコ-ヒ-はなんでわかしますか、トラムやタリスに乗ったことはないのですか等々の質問をぶっつけていました。
 確かに、電力の恩恵は享受するが、その作り方がけしからと言ってるだけでは、問題は解決しません。太陽エネルギ-による発電や風力発電は今後発展していくでしょう。サハラ砂漠の太陽熱を取り込むだけで、全ヨ-ロッパの電力需要をまかなえるという意見もあります。ただコストがかかりすぎるのだそうです。

 人類の歴史はエネルギ-獲得の歴史といってもいいかもしれません。ギリシャ語の「Energia」はもともと「労働」という意味だそうです。
 人間はまず自分の身体の力を使って労働をしてきました。次いで動物を家畜化することによって、動物の力をエネルギ-としてつかうようになります。やがて奴隷制ができると、動物と並んで奴隷の力がエネルギ-源になります。
 ちなみに、古代ギリシャの平均的家庭では、日常生活をとどこうりなく行うため、5人の奴隷が必要だったそうです。現代の先進国の平均的家庭が、6KWの電源を使用して日常生活を営む場合、これを奴隷の力エネルギ-に換算すると36人の奴隷が必要になるそうです。

 人類は自然界の力をエネルギ-として使うことを覚えます。水の流れや落差を取り込んで水車をまわし、風をとらえて風車をまわします。ロバや牛を使って粉引きの臼をまわすより、水車や風車をつかって臼を回すほうが、時間に関係なく作業が続き、餌代もいらず効率的であることは誰にでもわかることです。
 さまざまな機械の登場は、エネルギ-源にも大きな変化をもたらします。エネルギ-源として、石炭、天然ガス、石油そしてウラニウムと進んできました。
 原子力の原子、“Atom”は分けられないものの意味だそうです。分けられないものの存在を突き止め、そこに秘められた巨大なエネルギ-を取り出すことに成功したのは人類の叡智です。自らが見つけ出した恐るべきエネルギ-を、安全に利用できる方法を見つけ出すのも、人類の叡智ではないでしょうか。 

 未曾有の大震災に襲われて亡くなった方々、いまだに肉親の消息がわからない方々、営々と築き上げてきたものを全て失ってしまった方々、肉体的にも精神的に極限に近い避難所暮らしを強いられている方々に対して、お悔やみやお見舞いの言葉が無意味に思えてしまいます。
 しかし、苦しんでいるときや悲しんでいるとき、誰かが自分の苦しみや悲しみを共有してくれているという事実、誰かが自分のことを心にかけてくれているという事実は、やはり大きな支えであり、慰めになるということを、ベルギ-の人々に教えられました。皆さんも、日本人ということで、ベルギ-の人々やここに住んでいる外国の人たちから、励ましや慰めの言葉をたくさん受けたことでしょう。

 大震災のニュ-スが伝わった段階で、わたしも皆さんと同じようにこの国の人たちから数え切れないほどの電話やSMSのメッセ-ジ、e-mailをもらいました。いずれも本当にわたしのことを心配し、日本の家族の安否を気にかけてくれる真心のこもった言葉でした。自分の家族が原発から60Kmの辺りに住んでいる事実をベルギ-の友人、知人に話すと、なにをのんきなことをいってるの、すぐに避難させなきゃと、本気で心配してくれます。中には、君の家族が来たら家の開いてる部屋を使っていいよといってくれた友人もいます。

 わたしは長いことこの国に住んでいますが、今回ほどベルギ-の人々の温かさ、優しさを感じたことはありません。友人、知人はもとより、毎週りんごを買いにいく近所の八百屋のおかみさんや、道行く人からまで慰めの言葉をもらいました。
 震災後のある晩、乗馬仲間に会うため乗馬クラブのバ-に行った時のことです。そこにクラブのオ-ナ-で、日曜日の森の乗馬の先生でもあるヴィクト-ルとクラブのレストランのシェフであるセルジュがいました。かれらはわたしを見るとすぐに傍に来て、セルジュがわたしを抱えるようにして、「大変なことになったな。日本の家族は大丈夫か。おれたちの心はお前の心といっしょだ。お前の家族の心といっしょだ」といって見舞いの言葉をくれました。
 口下手なヴィクト-ルは黙ってわたしの肩に手をおいて、静かに慰めの態度を示してくれました。この時わたしは不覚にも涙を流してしまいました。かれらの態度がうそ偽りのない真心からのもであることを感じた瞬間、涙が止まらなくなりました。ベルギ-に来て以来、人前で涙を見せたことなど一度もありません。それが、自分でも驚くほどポロポロと涙を流してしまったのです。
 セルジュがレストランで使う紙ナプキンを渡してくれました。わたしはナプキンで涙を拭きながら、この国の人々の心の真髄に触れた思いをかみしめました。

 在留邦人の音楽家の皆さんやベルギ-人の音楽家の皆さんが、日本を支援するためのコンサートを開いてくれました。ブリュッセルのオーデルゲムであったチャリティ-コンサートには、有名な歌手のアダモさんも来てくれたそうですね。そして会場にはベルギ-の市民の皆さんがたくさんきてくれて、立見席ができたほどだったと聞きました。ベルギ-の皆さん、本当に有難うございます。
 お見舞いや慰めのことばと同時に、ベルギ-の人たちから、日本人へ賞賛のことばもたくさんもらいました。
 未曾有の災害と不幸に直面しても冷静さを失わず、規律を守り、相互に助け合う被災地の人々の姿は、ベルギ-だけでなく、世界中に人々の賛嘆の的になりました。
「人間としての尊厳をこれほど見事に体現してる民族が他にあろうか」、「世界中の民族は日本民族を見習わなければならない」、「日本民族はわれわれの尊敬と賞賛を受けるに値する民族である」、「日本民族は信じ難いほど高貴な精神をもつ民族である」等々、こちらのプレスに出たことばです。

 わたしの友人の中には、「世界中の民族が日本民族のようだったら、地上から戦争や紛争は消えるだろう」とまでいった人間がいます。いくらなんでも誉めすぎです。   わたしは過度の日本民族礼賛に出会うと、日本人をあまり美化しないように、理想化しないように頼みます。
 日本には、無人となった原発周辺地区の家に忍び込んで金品を盗む不届き者、募金運動に名を借りて募金詐欺をする不届き者、ボランテアを装ってこそり泥棒を働く不届き者、原発地区から避難してきた子供をいじめる愚かなガキどもや、避難者の宿泊を拒否するホテルや旅館の馬鹿大人など、とてもとても尊敬に値するなどといえない輩がいます。
 でもいえることは、大震災の被災地の方々が見せた態度は、馬鹿者や悪者の存在を凌駕するほど立派なものだったということです。世界130数カ国の人々が日本救援に立ち上がってくれたのは、日本が前例を見ないほどの巨大な災害であったことが最たる理由ですが、テレビの映像を通じて世界中の人々が見た被災地の方々の「尊厳に満ちた」態度も、少なからぬ影響があったのではないでしょうか。

 最近りんごを買いに行ったとき、八百屋のおかみさんこんなことをいわれました。「ムッシュ-ジャポネ(わたしをこう呼びます)、うちに来るお客さんに聞いたけど、日本政府はアフリカで国が一つ入るぐらいの土地を買おうとしてるって本当?」
「初めて聞いたけど、日本政府がどうしてアフリカに土地を買うの?」
「なんでも、日本はもう住めないから、アフリカに日本をそっくりもって行くって話よ。アフリカの人たちにはいい話だわよ。日本の高い技術が行くんだから」
「どうしてそういうばかばかしい話がでてくるの、信じられない」
「知らないわよ。お客さんがいってるんだから」 
 あいた口がふさがらないとは、こういうときにいうのでしょうね。これも一種の風評被害ですか。

 ところでお父さん、今回は真面目なお願いがあります。お父さんは日本酒が好きですよね。ブリュセルの日本メシ屋のカウンタ-で、ゆっくりと日本酒を飲んでる姿を見てますよ。今度日本に行ったら、福島産の日本酒を買って飲んでください。福島にはいい酒がたくさんあります。風評被害で、福島産は酒まで売れないのです。
 それから日本の本社に社員食堂があったら、食堂で使う野菜に福島産を入れてください。放射能汚染地区と無関係な土地の野菜も売れないのです。根拠のない風評被害で苦しんでいる人たちを助けてください。そうじゃないと、親切にしてくれているベルギ-の皆さんに申し訳が立ちません。            (かんとう)

No.182  娘の結婚

182.娘の結婚




  4月末のある土曜日に、娘が結婚式をあげました。
 長女のゆきとパ-トナ-のミカエルは学生時代からの付き合いで、事実婚暦が10数年を越えるカップルです。二人とも会社は別ですが、ベルギ-の企業で働いており、アパ-トも購入し、共通の趣味である居合い道に打ち込み、仲良くこのまま暮らしていくのだろうと思ってました。
 それがある日、二人は結婚することにした、といってきました。どういう心境の変化なのか、第三者にはわかりません。
 2009年6月に息子が結婚式をあげました。その時の模様を本会報2009年9月号に、No162「息子の結婚」と題して書きました。その時わたしは、冒頭に「わが家で最初で最後の結婚式がありました」と書きました。息子の姉にあたる二人の娘は、日ごろから結婚の意志がないことを明言していましたので、わが家では二度と結婚式はないもと思ってました。でも、4月にわが家で二度目の結婚式が発生したのです。

 ヨ-ロッパ各国の伝統かと思いますが、ベルギ-では結婚式をあげる前に未来の新郎、新婦が通るべき関門があります。それは未来の新郎の場合が「独身埋葬式」、未来の新婦の場合が「パンティ-焼却式」とか呼ばれる関門です。これは「息子の結婚」にも書きました。
 「独身埋葬式」の企画、実行をするのは、新郎の学生時代の友だちや職場の親しい同僚たちです。勿論、メンバ-は男性に限ります。「パンティ-焼却式」もことばは違いますが、要するに女の子の独身お別れ会のことです。未来の新婦の学生時代の友人やその他の親しい女性の友たちが企画、実行の中心になります。
 ここで大事なのは、実行の日時や企画内容を未来の新郎或いは未来の新婦に気づかれてはならないことです。それはある日突然やってきます。まず当人がラッチされます。そして、実行委員の仲間に命じられたことは無条件で実行しなければなりません。

 わたしは全く偶然に、ミカエルの「独身埋葬式」に出くわしました。
 ある日の土曜日、某日本食品のス--パ-で買い物をしていた時、店のなかで年配の女性と品物を見ているミカエルを見つけました。その女性はミカエルの一番上のお姉さんでした。お姉さんに挨拶をしてミカエルと話しをしていると、店に若い男性のグル-プ10数人がどやどやと入ってきました。狭い場所はたちまち男性軍でいっぱいになりました。
 彼らは店で写真を撮ったりした後、ミカエルをつれて店を出て行ってしまいました。店に残ったお姉さんに聞くと、お姉さんの長男、ミカエルの甥っ子は日本食が大好なんだそうです。その甥っ子が家で日本食パ-ティーをやるので、日本食品の買出し手伝いをミカエルに頼んだのだそうです。でもそれは嘘で、ミカエルをおびき出すために仕組まれた罠だったのです。お姉さんはミカエルの友だちに頼まれて、罠の仕掛けに一役かったわけです。
 後で聞いたたら、ラッチされたミカエルは市場につれていかれ、決まった予算で食材を買い、人数分の食事を制限時間内に作る命令を受けたそうです。もともと料理が好きなミカエルなので、この関門はうまくクリア-できたみたいです。

 娘の「パンティ-焼却式」の実行には、わたしも一役かいました。次女のミナが実行委員の一人で、わたしに協力を求めてきました。
 それは、ゆきをおびき出すために彼女にアルバイトを依頼して欲しいというものです。ゆきは学生時代にわたしのところでアルバイトをしたことがあります。それは、日本からくる団体旅行のためのガイドの仕事でした。ガイドといっても、ベルギ-の歴史、地理、文化やブリュッセル、ブル-ジュなどの都市の歴史の知識がないとできない仕事なので結構難しいのですが、娘は評判がよくて、日本の代理店から“Ms.Yuki Kanto requested”などという依頼がきたぐらいです。

 ミナは姉のこの経験を利用して彼女をおびき出す策略を立てました。協力を快諾したわたしはさっそく筋書きを作りました。
 内容は、日本の某ビ-ルメ-カ-が優良販売店のインセンティブツア-としてベルギ-招待旅行を実施する。その際に、ブリュッセルのさくらんぼビ-ルの醸造所“Cantillon”(ブリュッセルのミディ駅の方にあります)を訪問したい。ついては、“Cantillon”の説明兼案内役を神藤ゆきさんにお願いしたい。以前に行ったベルギ-招待旅行の時に、案内してくれた神藤ゆきさんの説明がとてもよかったので今回も是非お願いしたい、というものです。

 娘に上記の筋書きを話し、日本のグル-プが醸造所訪問をする日、○月○日の土曜日、13時30に“Cantillon”の前でグル-プとミ-トして、醸造所の案内をしてくれるよう頼みました。娘は、「喜んでやるよ」といって引き受けてくれました。
 さっそく、会社のインバンド担当社員に事情を話し、インチキツア-のファイルを本物らしく作ってもらいました。誰がみても正真正銘のツア-ファイルができあがり、それを娘に渡しました。娘はファイルをみてこのアルバト話を完全に信じました。

 しかし決行日の2週間前になって、娘がアルバイトの話を断りたいといい出しました。彼女がいうには、ミカエルの独身埋葬式が決行されたので、自分のパンティ-焼却式もそろそろ実行されると思われる。時期として、ちょうどアルバイトの日の土曜日あたりが危ない。せっかく友だちがいろいろ考えてくれてるのだから、この日は他の約束を入れないほうがいいと思う、というものです。娘もムシの知らせを感じたのかもしれません。

 これにはあわてました。まさしくその日がパンティ-焼却式決行予定日なので、なにががなんでも娘に醸造所“Cantillon”の前に行ってもらわないと困るのです。
 そこでわたしは厳しい顔をしていいました。
「ゆきは社会人になってもう何年になるの。一度引き受けた仕事をそんなに簡単に断ることは、社会人として許されると思ってるの。パパの会社だって立場がなくなるんだよ。一度O.K.したMs.Kantoができなくなりましたなんて、いまさらいえないよ。もうちょっと、仕事を真面目に考えてくれないと困るよ」
 娘はわたしの説教を真面目に聞いた上で、「わかった。ちゃんとやるよ」といいました。娘を罠にかけるために説教し、それを真面目にきいている本人をみて、内心やや忸怩たるもにがあったのは事実です。

 娘はビール醸造に関する資料を読み、醸造関係の日-仏 単語も勉強して、準備万端整えてその日に備えたようです。決行の日、娘は学生時代以来久しぶりのアルバイトに心も弾み、勇躍“Cantillon“に出かけました。
 しかし彼女がそこで見たのは、“Cantillon” の扉の前に前勢ぞろいしているパンティ-焼却式実行委員会のメンバ-の女性軍の面々の顔でした。自分の妹までいるではありませんか。娘はその時、「やられた !!」と思ったそうです。同時に、説教までして自分を罠にかけた父親の顔を思い浮かべ、「あのクソオヤジ、今度会ったらただじゃおかないぞ」とも思ったそうです。

 以後は笑い笑いの楽しい焼却式だったようです。
まず変身の儀で、金髪の鬘にコスプレ風の衣装を着せられ、ほっぺたにル-ジュを塗られ、手には赤い渦巻きの入った丸い団扇のような飴を持たされました。わたしは実際に見たわけではありませんが、後で見た写真の姿です。
 その格好で女性軍を引き連れて醸造所内を回り、さくらんぼビ-ルの作り方の説明をしました。ゆきはアルバイトのため内容を真剣に勉強をしていたので、この説明はとてもよかったと、現場にいた次女がいってました。
 その後、市内に出て実行委員会の命令でいろいろなことをさせられたようです。地下鉄に乗って乗客のチケットコントロ-ルの真似ごとをさせられたり、カフェーに入ってそこにいるお客さんたちに向かってブリュッセルの方言で演説をさせられたりと、写真を見ても本当に楽しそうでした。

 いよいよ結婚式の前の日になりました。
 結婚式の日、花嫁は自分の生まれ育った家から出て行くのがしきたりなので、娘は花嫁衣裳その他をもって家に泊まりにきました。新郎のミカエルは両親の家に泊まりに行ってます。
 香港のフランス系の会社に勤務している息子夫婦も結婚式のためベルギ-に戻ってきており、久しぶりにわが家は全員集合の場になりました。
 娘の高校時代からの親友で、新婦側の結婚の証人役を務めるドミニックも泊まりにきました。
 全員集合の食事会は楽しく大いに盛り上がりました。わたしも取っておきのワインを開けて参会者をもてなしました。両親の家で食事をしていたミカエルも、途中からこちらの食事会にジョイントするために駆けつけてきたので、会はさらに盛り上がりました。
 食事をしながら、翌日の結婚式の具体的な行程表の話になりました。そこで娘がとんでもないことをさらりといいました。
 「で、市役所の結婚式場についたら、パパがわたしと腕を組んで入り口から正面の市長さんの席まで進むのよ」
 「なに、そんなこと今初めてきいたよ。みんなが見てる式場の真中をゆきと腕を組んで歩くなんて、恥ずかしいよ。やめてくれない、それ」
 「バカなこといわないでよ。花嫁衣装のわたしが式場の真中を一人でひょこひょこ歩けると思ってるの。花嫁の父親の大事な役目なのよ、これは」
 そうなのです。わたしは花嫁の父親の役を生まれて初めて演ずることになっていたです。

 当日は快晴のすばらしいお天気になりました。
 花嫁は朝から準備が大変です。美容院だけでもずいぶん時間がかかるものなんですね。花嫁の父はといえば、花嫁が乗る車をきれいににすることぐらいしかやることがありません。やがて娘が親友のドミニックと美容院から戻ってきました。いよいよ花嫁衣装を着る時がきました。この花嫁衣装は新郎のミカエルにも見せていない秘密の衣装です。

 娘が選んだ花嫁衣装はとてもよく似合ってました。花嫁衣装の娘を見てきれいだなと思いましたが、涙は流れませんでした。
 事実上所帯をもってるとはいえ、花嫁姿となって家を出て行く娘を見ていると、やはり父親として感慨深いものがありました。
  赤ん坊のゆきが初めて熱を出した時、娘はこのまま死んでしまうのではないかと、死ぬほど心配したこと。子供がよく熱を出すことは後で覚えました。幼稚園で覚えてきた“Ron ron macaron”とか“Une Pomme verte”などの歌を歌いながら遊戯を見せてくれたあどけない顔。
 こちらの小学校を卒業した後、ゆきはわたしの勧めに同意して、日本語勉強のため一年間の予定で日本行きました。日本まで送って行ったわたしがベルギ-へ戻る日の前の晩、枕を並べて寝ていたゆきが、わたしに気づかれまいとしてか、布団の中で声を押し殺して泣いていました。フランス語など一言も解さない日本の家族の元で暮らす不安、言葉のわからない日本の子供たちと机を並べて勉強する不安、ベルギ-の家族と離れて暮らす寂しさなどで、小学校を終えたばかりの娘の心は、押しつぶされそうだったのに違いありません。そんな娘が不憫で、日本語勉強などやめてベルギ-につれて戻ろうかと悩んだ夜。娘の結婚式の日に開ける目的で買い込んだワインを、娘がまだ小学生のころに全部飲んでしまって、娘に怒られたこと、どこかで食事をしたり、どこかのワインバ-でミカエルと飲んでる時、電話をくれて「○○で飲んでるけどパパも来ない」と、誘ってくれる優しい娘、等々の思い出が浮かんでは消えて行きました。

 コミュ-ンの結婚式会場には新郎新婦の交友関係の広さを示すたくさんの人が来てくれました。二人がやっている居合道の高名な先生が、この日のためにわざわざ日本から来てくださったのには感激でした。しかも先生は、ベルギ-に来ることを二人には内緒にしておいて、結婚式会場に現れて二人を驚かすというパ-フォ-マンスをやってくれました。
 心配だった花嫁の父の役は、危ない場面もありましたが、なんとか無事に演じ終えました。花嫁と腕を組み、静々とバ-ジンロ-ドを歩み始めたのはよかたのですが、会場入り口に段差があるのに気がつかず、あやうく転びそうになりました。花嫁の腕に支えられこと無きを得ました。さらに途中で花嫁衣装の裾を踏んづけそうになり、これを避けようとしてずっこけそうにもなりました。満員の会場の皆さんは、笑顔と温かい目で花嫁とダメ親父を見守ってくれました。 

 市長さんの祝辞の後、新郎新婦双方への結婚の意志確認と結婚証書へのサイン、二人の証人のサインの後、市長さんがサインをして婚姻成立の宣言があり、式は無事に終わりました。二人は晴れて夫婦になりました。
 新郎新婦が腕を組んで式場出口にくると、庭には合気道クラブのメンバ-が稽古着に袴姿で剣のトンネルを作って待っててくれました。日本刀のトンネルを新郎新婦が通る場面は、ベルギ-ではなかなか見られない光景で見事でした。

 披露宴は郊外の大農家を改造した結婚式会場でおこなわれました。おりしも好天に恵まれ、夏の到来を思わせる燦燦たる太陽の光が降り注ぐ会場は、周りの田園風景に溶け込んだすばらしい場所でした。
 アペリティフの間、たくさんの人から祝福の挨拶を受けました。中でも、次々と挨拶にくるお嬢さん方には、わたしは大変な人気でした。理由は、「パンティ-焼却式」実行に果たしたわたしの役割がすばらしかったといものです。「娘のパンティ-焼却式に協力する父親なんて普通いないけど、ゆきのパパのあの準備はすごい」、「お父さんの協力がなかったら、あんなにうまくはいかなかった」等々。

 こちらの結婚式で助かるのは、いわゆる挨拶、スピ-チの類がないことです。両親への花束贈呈とか感謝の手紙朗読とかも勿論ありません。本当に助かります。自然で和気藹々としたいい披露宴でした。
 唯一のスピ-チは、宴も酣のころ新郎新婦が立ち上がり、それぞれがこれから夫婦として暮らす相手への思いを述べたことです。それは率直で気負いも衒いもない自然な愛のことばで、ほろりとさせられました。

 ところで娘さんのいるお父さん、お父さんはもう花嫁の父を演じましたか、これからですか。考えてみれば、自分の結婚式以外にこんな晴れ舞台に立つことははありませんね。この後はもう濡れ落ち葉か粗大ごみですか。気をつけましょう、ご同役。
                               (かんとう)

No.183  もういい加減にして欲しいイタリア留学の記

183.もういい加減にして欲しいイタリア留学の記


 タイトルを見て本稿を読むのをやめる方もおられるかと思います。「かんとうさん、もう本当にいい加減にしたら」という声が聞こえてきそうです。
「何度イタリアに行ったら気がすむの」、「毎年のようにイタリアに行ってるくせにまだイタリア語覚えないの」、「よっぽど物覚えが悪いとみえるね」、「ボケも進んでるらしいし」、「本当は会報のネタ探しじゃないの」、等々の声が聞こえてきそうです。

 会員各位のコメントをものともせず、この夏またまたイタリアに行って来ました。今度はイタリア中部、トスカナ地方のシエナに行ってきました。シエナの国立外国語大学でイタリア語夏季集中講座に参加して、1ヶ月ほど勉強してきました。
 これまで行ったロ-マ、フィレンツェ、ボロ-ニア、アレッゾの各学校は私立の語学学校でした。しかし今回の学校は堂々たる国立大学です。自分もついにイタリアの国立大学で学ぶ身分になったかと、しばし感慨にふけったものでした。
 ま、大学とはいえ夏期講座ですので、所定の手続きを踏んで申し込めば誰でも入れるので、特に感慨にふけることもないのですが。
 私立の語学学校ですと1週間単位で授業を申し込めますが、今回は大学なので1ヶ月単位の授業しか受付けてもらえません。それで滞在が長引きました。

 皆さんはイタリア旅行でシエナに行ったことはありますか。同じトスカナ地方でも、有名なフィレンツェまでは行っても、シエナまで足を伸ばす方は意外に少ないみたいですね。次回は是非足を伸ばしてみてください。歴史的にも由緒ある町ですし、町の雰囲気もイタリアらしい味わいのある町です。
 ブリュッセルからフィレンツェまで飛行機で2時間、フィレンツェの空港から駅までバスで20分、フィレンツェ駅前の長距離バス発着所からシエナまでバスで1時間20分という旅程です。

 シエナと聞いて、ある歴史上の人物の名前を思い出す方はカトリックの方か、西洋中世史に造詣の深い方です。さらに、シエナの名前から南仏のアヴィニョンを連想する方は、「おぬし、できるな」といわれるぐらい中世史に造詣の深い方です。
「シエナの聖カタリナ」という名前を聞いたことはありませんか。
聖カタリナは1347年にシエナの町の染色職人の子供として生まれました。1380年にロ-マで亡くなるまでの33年間の短い生涯でしたが、彼女は教会史、西洋中世史に大きな足跡を残した女性です。
 聖カタリナは7歳の時、生涯をキリストに捧げる誓いを行い、聖ドミニコ修道会の第三会員として修徳と学問に励みます。

 カトリック教会の長でヴァチカン市国の国家元首はロ-マ教皇と呼ばれています。当たり前のことですが、それは教皇がロ-マにいるからです。ところが、このロ-マ教皇が68年間もロ-マを離れて南フランスのアヴィニョンに教皇座を置いた時期があります。
 これは、フランス王の圧力に屈してアヴィニョンに教皇座を移したクレメンス五世
から数えて、7代の教皇がローマを離れてアヴィニョンにいました。
 1305年に教皇クレメンス五世の即位式がフランスのリヨンで行われましたが、その時、徒歩で教皇の乗る白馬のくつわをとったのが美貌王と呼ばれたフランス王フィリップ四世でした。この王様の軍隊は3年前の1302年に、今のベルギ-のコートレイク市の近くで、フラマン市民軍にこてんぱんに打ち負かされています。ブル-ジュのMarktに建っている二人の人物像はこの戦いのフラマン軍の英雄です。
 皆さんは南仏Avignonの教皇宮殿を訪ねたことがありますか。或いは、Chateauneuf du Papeというワインを飲んだことはありませんか。もしそういう機会があったら聖カタリナのことを思い出してください。
 彼女はアヴィニョンにいた教皇グレゴリウス11世を説得して、教皇座をロ-マに戻すことに大きな役割を果たしました。彼女の優れた学識と聖徳が教皇説得に力があったのでしょう。なお、聖カタリナはヨーロッパの守護の聖人になってます。

 飛行機とバスを乗り継いで、7月3日の日曜日、シエナの町に到着しました。
 最初の晩は、シエナの駅の近くのホテルに泊まりました。何故なら下宿がなかったからです。大学の学生受け入れセンタ-に下宿の斡旋を頼んでいたのですが、ブリュッセルを出発する日になっても返事がもらえませんでした。
 翌月曜日にクラス分けの試験を受けるため学校にいきました。その時、学生受け入れセンタ-に下宿がどうなっているか聞きに行きました。すると、何度もメ-ルのやり取りをしてすっかり名前を覚えてしまったパオラさんが、「大丈夫ですよ、今日からでも入れますよ」といってくれるではありませんか。一安心です。
 パオラさんが、わたしの目の前で家主さんに電話をしてくれて、その日の午後のアポイントをとってくれました。

 クラス分けの試験を受けるための教室に行く途中、廊下で出会う学生が殆ど中国人であるのにびっくりしました。中国の大学に来たのかと思うほどでした。
 後で聞いたのですが、この大学はマルコポ-ロ講座という特別なプログラムを設けて、中国人学生の誘致を積極的に行っているのだそうです。この夏だけで480人もの学生が中国から来ているといいますから驚きです。
 マルコポ-ロ講座を受講する中国人学生は、われわれ一般の受講生とは完全に別枠で、試験もわれわれとは無関係でした。
 クラス分け試験には40人ぐらいの生徒がいました。自分ではまあまあの出来だったと思います。

 試験の後,家主さんとの約束に時間まで町をぶらぶらしました。シエナは前にも二度ほど来てますのでよく知ってます。家主さんとの約束の場所は、有名なカンポ広場の近くのバールの前でした。バールはイタリアやスペイン固有の場所で、コ-ヒ-を立ち飲みしたり、朝食を取ったり、軽食を食べたり、イタリアではジェラ-トを食べたりもできます。スペインではタパスと呼ばれる各種のつまみを食べながらいっぱい飲んだりできるとても便利な場所です。地域の人のたまり場にもなっています。
 約束の時間に5分ほど遅れて、40代半ばと思われる上品な感じのご婦人が「かんとうさんですか」といいながら近寄ってきました。家主のベリ-ニさんでした。正式にいうならAnnamaria Belighiさんです。「家はここから近いんですよ」といって案内してくれた場所は、歩いて5分足らずの所でした。

 来てみてびっくり。下宿はなんと小さいながらも一戸建ての家ではありませんか。ベリ-ニさんはその家の後ろの方にある大きな家に住んでます。もらった名刺をみて二度びっくり。ベリ-ニ夫人はDr.の学位を持ち、私が勉強しようとしている大学の事務総長だったのです。
 聞けば、私の下宿が見つからなくて困っていた大学の学生受け入れセンタ-から相談を受け、自分の持ち家が空いてるから使ってもいいといってくれたのだそうです。
しかも家の場所が、かの有名な聖カタリナの生家のすぐ近くなのです。
 下宿と呼ぶには立派過ぎる家で、しかも生活に必要なすべてが揃ってます。台所は広く、オ-ブンから電子レンジ、料理道具、食器類などすべてが完備してます。
 有難いのがトイレットぺ-パ-です。これが意外と曲者で、過去の下宿で苦労した経験があります。下宿に着いてトイレットぺ-パ-がないと、知らない場所でスーパ-などを探して買いに走らなければなりません。今回はブリュッセルからもって行きましたが、ベリ-ニさんの家にはちゃんとトイレットぺ-パ-が備わってました。
 恐る恐る家賃を聞くと、なんと1ヶ月の家賃が去年アレッゾで借りた下宿の家賃、2週間分より安いのです。聖カタリナ様のお陰でしょうか。
 自分もイタリアの古都、シエナで一戸建ての家に住める身分になったかと、しばし感慨にふけってものでした。


 シエナは中世以来の城砦都市です。従って、旧市街はいうならば山の上にあります。その後シエナは、時代と共に城砦の足元の方に市街地を発展させてきました。従って、シエナは城壁に囲まれた上の方の旧市街と、下の方の駅も含めた新市街から成り立っています。そのため、シエナの旧市街に入るためには、どこから来ても急坂を登らなければなりません。歩いて登るのには相当きつい坂です。
 そこでシエナの人たちが考えたのがエスカレ-タ-です。町の要所に新旧上下を結ぶエスカレ-タ-が設置されてます。このエスカレ-タ-は百貨店などと比べものならない大規模なもで、10基ぐらいが繋がってます。私の下宿の近くからも、中心のDuomoまでいけるエスカレ-タ-がありました。

 試験の結果がでて自分のクラスが決まりました。
 幸いなことに、自分のクラスの授業は駅の近くの本校ではなく旧市街にある分校の教室で行われたことです。
 下宿の家のドアの鼻先がバス停ですので、そこからバスに乗ると3分で急坂を登り旧市街につきます。シエナの街は道路が狭いので、バスは全部座席数が10人ぐらいの小型バスです。旧市街のバス停から教室までは、カンポ広場を見ながら歩いて10分。なんとも便利な下宿です。

 授業の初日、教室に入ると時間前なのにもう先生が座ってました。先生の名前はフランコ ディオッティ(Franco Diotti)さん。40代前後の男の先生。
 生徒数は結構多くて20人。殆どが女子生徒で男はわたしを入れて4人だけでした。生徒の国籍は、チェコ、ノルウェ-、ハンガリ-、オ-ストラリア、アメリカ、トルコ、イスラエル、スロヴァキア、フランス、インド、ミヤンマ-、台湾、中国、香港、それにわたしの日本と、まことに多彩な国から来ています。
 殆どが20代の学生さんで、社会人や現役のお医者さんもいましたが、それでも30代です。完全なおじさんはわたし1人でした。不完全なおじさんというのはいないのでしょうけど、みんなはこの完全なおじさんをクラスメ-トとして暖かく迎え入れてくれました。
 先生の提案で、各自がイタリア語で自己紹介をすることになりました。聞いていてちょっぴり安心しました。なぜなら、大多数の生徒の会話力のレベルが、意外と低いことが分ったからです。例年クラスメ-トの会話力に対して劣等感をもつのが常でしたが、今年はそれで苦労しなくても済みそうです。「日本のおじさんをなめんなよ」と、心の中でつぶやきました。

 フランコ先生は生粋のシエナっ子で、シエナへの愛郷心は半端ではありません。わたしは不覚にも授業の初日早々、先生の愛郷心を傷つける発言をしてしまいました。それはパリオ(Palio)についてです。パリオというのは、毎年7月2日と8月16日にカンポ広場で行われる一種の競馬のことで、シエナ最大の行事です。
 シエナは中世以来17の区域に分けられています。この区域のことをコントラ-ダ(Contrada)と呼びます。各コントラ-ダは固有の旗を持ち、集会所や事務所をもってます。その結束と他のコントラ-ダへの対抗心はわれわれ日本人には理解できないほど強固なものがあります。強いて例をさがせば、纏をもって火事場での先陣争いをしため組とかは組などの、江戸の町火消しの対抗心にちょっと似てるかもしれません。
 パリオはこのコントラ-ダ対抗競馬なのです。パリオにかけるシエナっ子の熱狂ぶりは、部外者には想像もできません。

 わたしがシエナに着く前の日にパリオがありましたが、そこで出走した馬が一頭死亡したのです。拾い読みした地元の新聞によれば心臓麻痺だったようです。
 授業中にフランコ先生が、シエナについて知ってることを話しなさいというので、わたしは、パリオで馬が死亡した事実と、狭い上にすり鉢型になっているカンポ広場で馬を走らせるのは適当とは思わないといいました。
 わたしの発言はシエナっ子の先生のプライドを傷つけてしまったようです。先生は、まさに口角泡を飛ばす勢いでパリオ擁護の弁をぶち始めました。
 「パリオは16世紀から続いているシエナの由緒ある伝統行事である。われわれの1年はパリオのためにあるといってもいい。馬を大事にし、馬を愛する心はコントラ-ダの基本的な掟である。今回不幸にして一頭の馬が死亡したが、こんなことはめったに起きることではない。世界中の競馬場で、骨折した馬を安楽死させる数に比べたら微々たるものである」等々。
 授業そっちのけでしゃべるフランコ先生は、わたしに止めをさすように、「きみはわれわれの傷に指をつっこんだな」いいながら、そのイタリア語の表現を黒板に書いてくれました。日本では「傷に塩をなすりこむ」といいますよといったら、せんせいはどっちも痛そうだねと笑ってました。

 シエナの人はコントラ-ダ伝統のせいか、よそ者にはあまり愛想がよくありません。わたしガ家の前のバス停でバスをまってる人に「今日は」をいっても、「今日は」を返す人が意外とすくないのです。
 毎朝、朝食を食べにいく家の目の前のバールでも、最初はなかなかうちとけてもらえませんでした。わたしが行く時間に必ず来ている近所のおばあさんも、最初はうさんくさそうわたしをみてました。

No.184  イタリア留学の記(その2)

184.イタリア留学の記(その2)


 本会報の原稿を少なくとも2回分は稼がないと、イタリア留学の元が取れませんので(その2)を書きます。

 苦学生の一日は次のようなものです。
 朝は7時00前後に起床。洗面その他の身支度ををして、7時45分ごろお向かいバ-ルに行きます。イタリアでコ-ヒ-といえばエクスプレッソのことですが、朝食のパスタ(クロワッサンやブリオッシュもパスタといいます)を食べるのに、一口で飲んでしまうエクスプレッソではとても足りません。
 3日目ぐらいの朝に、「大きなコ-ヒ-カップでお願いします」と頼んだら、バ-ルのおじさんが「アメリカンでいいかい」といいます。あの薄いアメリカンは嫌いなのですが、他になければ仕方がないと思って頼みました。
 ところが出てきたコ-ヒ-は、たっぷりと豆を使った濃くて香り豊かなとてもおいしいコ-ヒ-でした。おじさんに「このコ-ヒ-はおいしいですね」と誉めると、
以後、毎朝黙ってこの”アメリカン”を作ってくれるようになりました。
 朝食をとりながら、テラスにすわって地元の新聞をながめながら拾い読みします。イタリア語の語彙が足りないので、新聞を読むとはいえません。

 先月号に書いたおばあさんがいると話をします。このおばあさんのいいところは、わたしのイタリア語を決して誉めないことです。
 おばあさんとの会話はだいたい通じるのですが、それでもおばあさんは「あんた、もうちょっとイタリア語勉強した方がいいよ」とはっきりいってくれます。
 外国語を勉強する者にとって危険な言葉は、「お上手ですね」的な誉め言葉です。ある国の言葉を学んで、その国の人と対等に議論ができるまでになった時、相手は「お上手ですね」などと決していいません。もう上手、下手を意識しなくなってるからです。自分のイタリア語がその域に達するのは永久に無理でしょうが、おばあさんの言葉を励みにして勉強を続けなければと、おいしい”アメリカン”を飲みながら思ったものです。

 朝食の後、家に戻って歯磨きその他をしてから朝のテレビニュ-スを見ます。日本の震災復興担当大臣が放言の責任を問われ、就任7日でクビになったというニュ-スは、朝のテレビニュ-スで知りました。
 8時35分のバスに乗るためには、8時34分に家のドアを開ければ間に合います。家のドアの目の前にバスが停まりますので、まことに便利です。バスは急坂を登り、3分で旧市街のバス停に着きます。
 イタリアではバスの車内で切符を買うことはできません。乗車前に街のタバッキ(Tabacchi )で乗車券を買います。タバッキというのは、バールと一緒になってる場合が多いのですが、タバコ、切手、乗車券の販売権をもつ店です。
 お向かいのバ-ルはタバッキを兼ねているので、初日にバスの乗車券を買おうとしました。すると、バ-ルのおやじさんが、「毎日買うと高くつくから、一ヶ月定期を買った方がいいよ」というので、「じゃあ、その定期をください」というと、「うちじゃ売ってないから、中央郵便局の近くにあるバスセンタ-で買うといいよ」と教えてくれました。
 なんて親切なんでしょう。なにも知らないわたしに、毎日バスの切符を売った方が店の売り上げになるのに、それを犠牲にして、わたしが少しでも得をするように定期のことを教えてくれたのです。おかげで、一ヶ月の交通費は半分ですみました。

 旧市街のバス停から学校までは歩いて10分です。通学路はカンポ広場に沿ってる道なので、最も観光客が多く、お土産屋から高級ブティックが立ち並ぶシエナきっての繁華街です。ただ朝は、地元の通勤の人や学生が多く、意外と静かです。
 学校には授業開始時間の10分前、8時50分ごろにつきます。
 感心するのは、フランコ先生がこの時間にはもう教室に来ていることです。通常、先生は生徒より遅れて教室に入ってくるのですが、この先生は別でした。
 授業は9時00から休憩をはさんで午後の1時30分までです。授業中に蝉の鳴き声などが聞こえてくると、イタリアにいることを実感します。
 授業が終わって帰る途中、切り売りピッザとかパニ-ニ(サンドイッチみたいなもの)を買って食べます。昼食代は3ユーロか4ユ-ロです。

 家に帰ると、まず宿題に取り組みます。外は30度以上あっても、家の中はひんやりしとして勉強にはぴったりの気温です。イタリアの家は本当によくできていると、いつも思います。宿題を終えるのに、たっぷり2時間はかかります。
 宿題が終わったら、ちょっと昼寝をします。午後の4時ごろの外はまだまだ暑いので出歩く気になりません。昼寝の後は、ブリュッセルから持ってきた本を読む時間です。日頃読みたいと思ってても、なかなか読む時間がない本を何冊か持ってきてます。
 そのうち、夕食の時間になります。ス-パ-で買ってきた材料を料理します。苦学生がレストランで夕食をとるなど分不相応な行為ですので、ひたすら自炊生活に徹しました。
 これでも料理をするのは好きですので、自炊は苦になりません。イタリアでは塩と胡椒、それにオリ-ブオイルとバルサミコの酢があればたいていの料理ができます。果物と生野菜が大好きなので、食事には必ずサラダを作りました。ス-パ-で買うきゅうりやトマトの味がベルギ-とは違って実においしいのです。やっぱり、太陽をたっぷり浴びた野菜の味は違います。でも、りんごや桃のおいしさは、郷里福島にはかないません。手前味噌ではなく、福島の果物は本当においしいいです。皆さん、日本に行ったら福島の果物を買って食べてください。

 食後はテレビです。わかってもわからなくても、夜は必ずテレビを見るようにしました。朝食のとき、バールに置いてある新聞のテレビ欄をみて、面白そうな番組をチェックしておきます。映画、タ-ミネ-タ-などNo1からNo3まで見ました。吹き替えなので主人公役のシュワルツェネッガ-がイタリア語をしゃべるのが面白かったです。「なでしこジャパン」の試合も全部見ました。アメリカに勝って優勝した翌日、学校でアメリカ人のカティ-にこのことを話したら、彼女はなにも知りませんでした。

 ある朝、家のお湯が出なくなりました。あまり朝早く電話をするのも悪いと思い、バ-ルで朝食をとる時間に家主のベリ-ニさんに電話をしました。
 「あなた、今家にいるの」
 「いえ、バールで朝食をとっています」
 「そう、それじゃその電話をバ-ルの旦那さんに代わってもらってくれる」
 携帯をバ-ルのおじさんに渡すと、おじさんはベリ-ニさんとなにやら話しながら、「うん、来てるよ」、とか「わかった、かれにいうから大丈夫」などと話して電話を切りました。そして、バ-ルでコ-ヒ-を飲んでいた常連の作業服の若い男性に、「この人が住んでいるアンナマリアの家のボイラ-をみてくれないか」と頼みました。
作業服の男性は快諾して、わたしと連れ立って家に来てくれました。さすが専門家、どこをどういじったのか知りませんが、たちまちお湯が出るようになりました。
 それにしても、ご町内の皆さんのこの連携プレ-の見事さには感心させられました。

 恒例により、といってもわたしが勝手に決めた恒例ですが、クラスメ-トの紹介をします。全員の紹介はできませんので印象に残っている生徒を書きます。
 アイアイタン(ミヤンマ-)女:クラスで一番イタリア語が上手。ラング-ンで英語とイタリア語で観光ガイドをしているというから、上手なのも納得。なぜわれわれのクラスに来たのか不明。もっと上級のクラスに行けるはず。ずばずばとものをいうフランコ先生が「ス-チ-さんはどうなってるの」ときくと、「彼女はまったく自由でなんの問題もない」と答える。イタリアに留学して、その後ヨ-ロッパ旅行して帰るというから、家族はかなり余裕のある現政権側か。

 リ-ボベルグ(ノルウェ-)女:19歳の女子大生。別のクラスにいるボーイフレンドと一緒にきている。フランコ先生のお気に入り。オスロの事件の翌日は学校に来たが、相当ショックを受けた模様。家族や知人に犠牲者はいないといっていたが、しばらくして学校に来なくなった。

 ヴィンチェンゾ(オ-ストラリア)男:名前が示すとおりイタリア系。両親は小さい時にオーストラリアにきたので家庭では英語しか話さない。アブルッゾに親戚がいるので電話をしたが通じなかったと嘆いていた。気のいい男で、休み時間には学校近くのバ-ルでよくコーヒーを飲んだ。1年間の留学の後、親戚とイタリア語で会話ができるよう祈る。

 ルガ(インド)男:最高位のカ-ストに属し、父親は銀行家。シンガポ-ルの銀行で修行した後、現在パリの銀行で働いている。英語は勿論、完璧に近いフランス語を話す。イタリア語も上手。将来父親の跡を継いで銀行の頭取?パリの日本レストランで食べる寿司が大好きという気取らない好青年。

 ヘレ-ナ(チェコ)女:クラスで一番陽気で明るい子。オペラ歌手志望。クラスのみんなにせがまれて一度歌ってくれたが、さすがプロを目指すだけあって声量豊かな堂々たる歌いぶりに大拍手。

 カティ-(アメリカ)女:テキサスはヒュ-ストンの女子大生。典型的なアメリカ娘。授業中、よく食べるか飲むかし、そうでないときはガムを噛んでいる。話す方はいまいちながら、イタリア語を読むのが上手。先生が「だれか読む人」というと、真っ先に手をあげる。よく食べるにしては、すらりとした美女。

 デニズ(トルコ)女:30代半ばと思われる大学病院に勤務する医師。いつもにこにこしていて感じがいい。患者さんにもやさしいに違いない。途中からボーイフレンドと一緒に授業にでる。彼はトルコで雑誌の編集の仕事をしているとか。イタリア語の勉強ではなく、彼女に会いにきたらしい。彼女も授業中、彼の肩に頭をのせたり、手を握り合ったり、いっ時も離れたくないといった感じ。トルコでは、公衆の面前でこんなことはできないらしい。

 シェンスィ-スィ-(池思思)(中国)女:せっ江省出身。高校生かと思ったら大学生。1年の予定でシエナ留学。でもあまり勉強しない。授業もよくさぼる。わたしの横の席に座り、宿題の答えを写すのが朝の仕事。ベルギ-に帰る前の日に街でばったり出会ったので、「明日帰るよ」といったら、「困ったな、だれに宿題をみせてもらおうかしら」と嘆いていた。

 ザオチェン(越辰)(中国)男:北京出身。背が高くアイドル並みのいい男。ただ、話すとき蚊のなくような声で話すので聞き取れない。ミラノに工業デザインの勉強に来たが、語学力不足のためこの学校に入った。スィ-スィ-と同じく勉強しない。授業をよくさぼり、出てきても居眠りしてる。

 マレク(スロバキア)男:プラハ大学医学部の学生。空手茶帯。スロバキア語とチェコ語は近いらしく、順調に医学部を進級している由。日本に強い興味をもち、休み時間にいろいろな質問をしてくる。後半、チェコ人のヘレ-ナといつも一緒にいるようになったから、シエナの恋が芽生えたのかも。

 リンティアンアン(林庭安)(台湾)女:台北の女子大生。毎朝、今起きたばかりという顔で教室に入ってくる遅刻常習犯。日本には家族で4回も行っている日本大好き娘。おばあさんは日本語ぺらぺらよと自慢げに話す。植民地時代に日本語を強制されたことを恨みに思わない台湾の人のおおらかさに、こちらもほっとする。

 ルバ(イスラエル-パレスチナ)女性:クラスで一番印象に残っている生徒。自己紹介の時、国籍はイスラエルですが、パレスチナ人ですとはっきりいう。イエスの故郷ナザレト出身。シエナ大学の医学部に入るため、必死でイタリア語を勉強している。
学校の帰りに一緒になり、道々聞いた話では、イスラエルではいくら国籍があってもパレスチナ人である限り、大学への入学が厳しく制限されていて簡単には入れない。かといってイスラエル国籍であるため、パレスチナの大学にも入れない。父親が銀行からお金を借りてシエナ留学の資金を出してくれた。だから、なにがなんでも医学部に入り、医師としてナザレトに帰らなければならないという、まことに悲壮な決意。
 正直にいって、彼女のイタリア語のレベルで医学部に入学できるのかどうか心配でした。でも、ルバにはなんとか医学部入学を果たし、立派な医師になってほしいと心から願ってます。

 ホ-シャンシャン(何珊珊)(香港)女性:香港の女子大生。非常に真面目でよく勉強する。日本に行くのが夢。面白いと思ったのは、中国から来ている学生とはあまり話さないのに、台湾の学生とは仲良く話すこと。

 授業中に、文法の前置詞のことでちょとした議論がありました。イタリア語でどこかの国へ行くという場合、in+国名で、都市の場合a+都市名です。先生が、台湾へ行くという文章でa Taiwanといいました。わたしはすぐに手をあげて、台湾は都市や町ではないし、少ないとはいえ国家として承認している国もある。それに対してaの前置詞はおかしい。サルデ-ニアや九州にinをつけるのに、なぜ台湾にinをつけないのか、と質問しました。先生は苦笑しながら、君のいうことは正しい、でもイタリア語ではそうなっているのでわたしが変えるわけにはいかないんだよ、といいました。
 休み時間に台湾の林とツァイ(草冠に祭り)がわたしのところに来て、授業で台湾のことをいってくれてありがとうとお礼をいい、コ-ヒ-をおごってくれました。やっぱり気にしているんですね、台湾の立場を。

 苦学生といえど週末には自由時間があります。
 週末はバスに乗って、トスカナの田舎を訪ねました。トスカナ地方は起伏の多い美しいところです。取り入れの終わった麦畑、今をさかりと咲き誇るひまわりの黄色い絨毯、そしてワインの名産地だけあって、いたる所にぶどう畑がみられます。これらの風景のアクセントとなるのが、すらりと高い糸杉の群です。
 バスツア-で銘酒の里モンタルチ-ノやモンテプルチア-ノを訪ねました。ワインを愛する者にとっては聖地巡礼みたいなものです。
 また、フランコ先生の紹介でアグリツ-リスモをやっている農家まで行って、馬にも乗ってきました。ただ乗馬経験のない人もいるので、ぶどう畑の間を突っ走るという夢は適いませんでした。でも、美しいトスカナの田園風景を馬上から満喫しました。

 ところでお父さん、先月号で予告した快記録とはなんでしょうか。誇れるものとてなにも無い、わが人生の金字塔とはなんでしょうか。それは、シエナ留学中の一ヶ月間、ワインやビ-ルといったアルコ-ル類を一滴も口にしなかったことです。いいワインがゴロゴロしているトスカナにいながら、これを一滴も口にしないというのは、酒飲みの自分にとっては大変なことなのです。それも、一ヶ月もの長きにわたってです。これは記者会見でも開いて、広く世間様に知っていただいてもいい記録なのです。花火をあげて祝ってもいい記録なのです。
 禁酒はなにか理由があってのことではありません。やれるかどうか試してみただけです。そしたらできたのです。
 酒を断ち、自炊、洗濯をしながら勉学に励んだ苦学生は、国民栄誉賞の対象にはならないのでしょうか。                      (かんとう)

No.185  ワイン講座受け売りの記

185.ワイン講座受け売りの記


 昨年の9月から今年の6月まで、1年間のワイン講座の夜学に通いました。動機は、前にも本会報に書きましたが、同じ講座に通った娘がワインについての知識や識別の能力において、父親たるわたしを追う抜いてしまったからです。
 ワインについての知識や識別能力の面で、よもや娘に遅れをとるとは思っていませんでした。なにしろ飲んだワインの本数から、巡り歩いたシャト-の数々、どれをとっても娘などわたしの足元にも及ばないからです。
 しかしこの自己満足による自信は、系統だって勉強した娘の知識と、専門家の先生の指導のもとに行うテ-スティングによって育まれた識別能力の前に、あえ無く崩れ去ってしまいました。

 こういう場合、父親といえど謙虚にならなければなりません。素直に、娘に頭をさげて教えを請わなければなりません。謙虚な父親に対して、娘は自分が通ったワイン講座に通うことを勧めてくれました。本当にワインを知りたかったら、専門家について系統だって勉強しないと駄目だといいます。識別能力も専門家についてテ-スティングを繰り返さないと身につかないといいます。娘先生のおっしゃることは全くそのとおりで、ワインをのんで酔っ払っているだけでは駄目なのだと反省しました。

 一念発起、ワインの夜間講座に登録しました。
 学校はブラバン州立のC.E.R.I.A.という学校で、ミディ駅の向こうのアンデルレヒトにあります。この学校は有名な職業訓練学校で、料理、お菓子、ホテル、旅行業、園芸などいろいろなコ-スがあります。べルギ-の有名シェフのなかにも、C.E.R.I.A.出身者がなん人かいます。旅行業コ-スは4年制の大学レベルです。
 公立なので授業料はタダみたいに安いです。しかし、いくら授業料が安くても、夕方のラッシュ時間にミディ駅周辺を抜けて、18時00の授業開始に間に合うよう学校に着くのは大変です。それに食べる時間がないので、お腹はいつもぺこぺこです。

 このワイン講座の全課程を修了するのには3年かかります。毎年の試験に合格して 3年の課程を修了すると,晴れてソムリエの資格が与えられます。
 ソムリエの資格でもとっておけば、将来会社をクビになってもなんとか食っていけるのではないかと考え、結構まじめに学校に通いました。
 ソムリエをおくようなレストランは一流の店ですので、来店するお客さまもそれなりのレベルの人や、セレブのお客さまが多いことになります。
 そういう一流のレストランで、黒服に葡萄のバッジをつけてセレブのお客さまとワイン談義をするなんて、夢のような世界ではありませんか。

  セレブが優雅に食事を楽しんでいる超のつく一流レストランに、珍しく女性一人のお客さまの予約が入りました。来店したこのお客さまを、ソムリエのわたしがうやうやしくお出迎えします。歳のころなら34―5、身に着けているものはいずれも一流ブランドながら全体を控えめに抑えた見事な着こなし。軽くカ-ルシタ栗色の髪。上品な鼻すじ。長いまつげにやや憂いを含んだ眼差し。どこから見ても貴夫人の趣。
 わたしの案内で席に着いた貴夫人がいいます。
 「このお店は亡くなった主人のお気にいりでしたのよ。主人はお料理も気に入ってましたけど、このお店が揃えているワインが好きでしたの。あら、あなた新しいソムリエさん」
 「はい、先月からソムリエを勤めさせて頂いております。よろしくお願いいたします。こちらが本日のお勧め料理でございます」
 ゆっくりとメニュ-を見てから貴夫人がいいます。
 「そうね、前菜にソレット(小さな舌平目)を頂こうかしら。どんなワインがよろしいかしら」
 「さようでございますね。ソレットですとちょっと主張するところのあるシャルドネ種の白ワインより、控えめながらすっきりと料理を引き立てるソヴィニョン種などはいかがでしょうか。それもニュ-ジ-ランドのソヴィニョンの白が今世界中で評価を高めております。お試しになってはいかがでしょうか」(全部受け売りです)
 「そう、ではお勧めの通りその白ワインをいただくは。それから、メインは子鹿のヒレ肉の狩人風ソ-スをとりたいけれど、ワインは何がいいかしら」
 「この料理に太刀打ちできるワインですと、グルナッシュ、シラ、マルベックなど南仏のセパ-ジュ(葡萄の種類)を使ったワインがよろしいとおもいます。カオ-ル、ジゴンダなどはいかがでしょうか。ボディ-もしっかりしておりますのでジビエにはよく合ううワインかと思います」(これも全部受け売りです)
 「そうね、この料理にはジゴンダのほうが合うような気がするけどどうかしら」
 「すばらしい選択です、マダム」
 そして、食事を終えて帰る貴夫人はわたしにこういうのです。
 「あなたのワインのアドバイスのおかげでとってもおいしい食事ができたわ。こんどお食事などご一緒できないかしら」と。そして貴夫人とソムリエの間は……..。

 ワイン講座に通うためには、揃えるべき用具があります。一番大事なのはテ-スティング用のワイングラスです。これはワイン学会認定のワイングラスで、形、容量など決まってます。普通のス-パ-では売ってません。ワイン専門店かMakroで売ってます。それと、口に含んだワインを吐き出す容器が必要です。一回の授業で、少ない時で10-12本、多い時は15-16本のワインをテースティングしますので、これをすきっ腹の状態で全部飲み込んでいたら大変です。口に含んだ後はたいてい吐き出します。パンが配られますので、ワインが変わるときパンをちょっと食べて前のワインの味を舌から消すようにします。

 先生は前にも書きました通り、ス-パ-デレ-ズのワイン仕入れ部長を勤めるオディ-さんです。余談ですが、皆さんは買い物をする時、デレ-ズ派ですか、或いはカルフ-ル派ですか、はたまたロブ派ですか。家から近いからとか、ベルギ-に来て最初に行ったス-パ-だからとか、理由はいろいろでしょうが、皆さんも行きつけのス-パ-がありますよね。最近はそうでもなくなりましたが、昔は、“ワインはデレ-ズ”という評判がありました。これはス-パ-デレ-ズの祖先がフランスのワイン屋だったという歴史的な事実が影響しているのかもしれません。
 オディ-先生は毎日ワインに囲まれて仕事をしており、安くておいしいワインをお客さまに届けるためワインの産地にもしょっちゅう行ってますので、説明は具体的でわかりやすいです。

 授業の前半がワイン学(エノロジ-)の講義で後半がテ-スティングです。講義の方はいいのですが、問題はテ-スティングです。これは本当に難しいです。
 ワイングラスに注がれたワインを色、香り、味の三つの基準に従って評価します。先生はこの評価を生徒にさせます。順番に当ててくるので、自分に当たると冷や汗ものです。当たらないように顔を伏せていてもダメです。必ず当てられます。
 この世に存在する飲み物のなかで、ワインほど複雑で神秘的な飲み物はないのではないでしょうか。
 おいしい料理を食べたとき、そのおいしさを表現する言葉はどのぐらいありますか。
料理番組やグルメの番組で、試食するタレントが「おいしい」だけじゃ芸がないと思ってか、「驚きです !!」、「うわあこの味、最高です !!」」とか、表現に苦労してますね。

 ところがワインの場合、表現には苦労しません。むしろ、表現の言葉が多すぎて苦労します。まず、グラスに注がれたワイン見て視覚による評価をします。
 基準はワインの透明度、色、それからグラスの内側を滴り落ちる状態などです。原則として、白ワインの場合、年代を重ねるほど金色や琥珀色に近づきます。赤ワインの場合は逆で、年代が古くなるほど色がうすくなっていきます。
 グラスの内側をゆっくり滴り落ちるワインは、アルコ-ルの度数が高く、すっと落ちていくのは度数の低いワインだそうです。皆さんも今度ワインを飲む時、試してみてください。

 視覚による評価はまだいいです。グラスを揺らして立ちのぼるワインの香りを表現する言葉は、気が遠くなるほど多岐にわたります。10や20の表現では収まりません。その表現はこまかいのも入れたら100近くあります。
 大別すると、ミネラル(石墨、黒鉛、火打ち石、石灰など)、花(多すぎて書ききれません)、果物(多すぎて書ききれません)、植物(松、森の木の下、茸、干草、黒すぐりの新芽、腐植土など)、スパイス(胡椒、シナモン、ウイキョウ、ヴァニラ、タイムなど)、燃臭(焼いたパン、焼いたア-モンド、カカオ、コ-ヒ-など)、動物(琥珀、ジビエ、獣脂、毛皮、馬小屋、とり小屋など)、化学製品(塩素、硫黄、薬品、酢など)、その他(バタ-、ビール、ヨーグルト、接着剤、英国ボンボンなど)があります。

 膨大な数のワインの香りの種類を全部書くわけにはいきませんが、主なセパ-ジュの特徴ある香りを受け売りで書いてみますので、皆さん今度ワインを飲むとき、本当にこんな香りが立ちのぼってくるかどうか試してみてください。
 <カベルネソヴィニョン(Cabernet Sauvignon)> :フランスのボルド-左岸、メドック(Medoc)地方のワインはこのセパ-ジュが土台となっています。同じくボルド-左岸の有名な五大シャト-のワインの土台となっているのもこの種類の葡萄です。長期保存に耐える高級ワインをつくります。
 香り:赤い果物、ヴァニラ、スミレ、グリ-ンピ-マン、スパイス、皮革、焼いたパン、コ-ヒ-、甘草など。

<カベルネフラン(Cabernet Franc)>:フランスのロワ-ル地方は白ワインで有名ですが、カベルネフランの赤ワインも有名です。会食者のメニュ-が肉だったり魚だったりで、ワインの選択に困るときロワ-ルの赤ワインを選ぶのが無難です。タンニン分が少なく軽くて飲みやすいワインです。
 香り:木苺、スミレ、コワン(マルメロの実)など。

<メルロ(Merlot)>:ボルド-右岸のボルド-ワインはメルロと上記カベルネフランが中心のセパ-ジュです。まろやかで柔軟なワインをつくります。
 香り:黒すぐり、あんず、桑の実、苺、甘草、ヴァニラ、森ノ木の下(から感じられる香り)、スパイス、皮革、毛皮など。

<ガメ(Gamay)>:ご存知ボ-ジョレヌボ-はこの葡萄からつくられます。速成醸造なので若いうちに飲むワイン。
 香り:木苺、黒すぐり、バナナ、さくらんぼ、苺、バラ、英国ボンボンなど。

<ピノノワ-ル(Pinot Noir)>:ブルゴ-ニュのワインはこの葡萄一種類からつくられます。他の葡萄を混ぜません。一本100万円のワインからス-パ-で売ってる10ユ-ロのワインまでつくる不思議なセパ-ジュです。
 香り:木苺、桑の実、苺、さくらんぼ、あんず、甘草、カカオバタ-、麝香鹿、(猪、鹿などの)獣脂、腐りかけている茸。

<グルナッシュ(Grenche)>:南仏の太陽と高い気温を糧に育つ葡萄。黒に近い濃い赤ワインで個性が強くアルコ-ルの度数が高い。好きになると離れられなくなるワイン。妖艶な女性のようなワインというべきでしょうか。
 香り:赤い果実、黒い果物、タイム、菩提樹の葉、えにしだ、ハッカ、タバコの葉、茸、イチジク、石灰など。

<シラ(Syrah)>:どちらかといえば南仏の葡萄。でもCote du Rhoneの北半分の地方でできるワインはこのセパ-ジュだけでつくられてます。濃い色で香りゆたかなワイン。上記のグルナッシュと混ぜてChateauneuf du Papeなどの有名なワインがつくられてます。
 香り:スミレ、チョコレ-ト、トリュッフ、白いタバコの葉、シナモン、甘草、森の木の下など。

 学校のテ-スティングの時先生に質問したのですが、ワインの香りとして先生が列挙するさまざまな香りを識別するのに、まずその香り知っているべきではないか、ということです。
 わが人生で一度も嗅いだことのない香りを、どうやって識別できるのでしょうか。例えば、自分は甘草がどんな香りなのか知りません。麝香鹿も知りません。ブルゴ-ニュの白ワインの中心となるシャルドネ種の特徴である火打ち石の匂いも知りません。
 さらに、一杯のワイングラスからかくも多様な香りを識別することが本当にできるようになるのか、自分にはまったく自信がないと先生にいいました。 
 先生は、ワインの香りの識別能力は一朝一夕にできるものではない。忍耐と嗅覚の絶え間ない訓練が必要である、といいます。
 正直なところ、わたしが現段階でわかるのは果物の香りぐらいで、甘草や火打ち石など五里夢中の状態です。ソムリエになる夢は遠のくばかりです。貴夫人との出会いもまず無理でしょう。


 上記してませんが、ワインの香りとして識別可能なアイテムに信じられないものがあります。それは、猫のおしっこ、濡れた犬、古いスポ-ツシュ-ズ、汚れたジャクジ、押し潰されたみみず、汗等々です。これは香りではなく、嫌な臭いですよね。
 こんな臭いのするワインを飲みたいひとはいないでしょう。でも“猫のおしっこ”だけは、ボルド-の白ワインのセパ-ジュ、ソヴィニョン(Sauvignon)種の特徴として、堂々と認められています。

 ソムリエへの道を断念したわたしは、この9月からベルギー人のワイン愛好家のクラブに入会しました。ちょっと閉鎖的なクラブで、日本人の入会に難色を示すメンバ-もいたようですが、わたしが一年間のC.E.R.I.A.のワイン講座を修了した事実が効いて入会を認められました。
 先日、某レストランで行われた例会に初参加しました。こちらが身構えるほどのこともなく、メンバ-からあたたかい歓迎をうけました。
 例会に参加して感じたのは、ワイン文化がこちらの人たちの血肉になっている事実です。ワインと向き合っていて無理がありません。あの難しいワインの香りの識別も自然です。新参者のわたしが辛うじて面目を保ったのは、その晩テ―スティングした9本のワインの中から最もいいワインを選ぶ投票で、わたしの投票が当たっていたことでした。

 ところでお父さん、ワインと好きになった女性は似てませんか。好きな相手を知ろうとして追えば追うほど相手は自分から遠ざかって行く、そんな気がします。お父さんがお母さんを好きになった時はどうでしたか。なに、お母さんがお父さんを追いかけて来た。ワインの話はできませんね、お父さんとは。
                                (かんとう)

No.186  草食系か肉食系か

186.草食系か肉食系か


 日本を離れて久しいので、日本の現代用語に疎くなってます。
 草食系とか肉食系ということばも、最初は草食動物や肉食動物のことかと思ってました。ところが全然違う意味なんですね、これが。
 草食系とか肉食系というのは、主に男子に向けていわれることばみたいですね。日本の雑誌などを読むと、草食系のイメ-ジは次のような感じですか。
 争いを好まない。仕事はきちんとするけど出世には余り興味を示さない。ばりばりの営業マンより総務、経理畑が合っている。人生はマイペ-スが原則。料理をしたり、掃除をすることも苦にならない。激務をこなさなければ出世できないなら、出世しない方がいいと考えている。野球やサッカ-のような集団でやるスポ-ツは好まない。恋愛や女性との付き合いに積極的ではない。かといって、女性が嫌いというわけでもない。結婚願望はあるが、結婚に至るまでの女性との付き合い等のプロセスが面倒。傲慢なところがなく、謙虚で物腰も柔らかいので周囲の人には好かれている。つまり、いい人と思われている。

 肉食系は上記草食系の反対になるのでしょうか。そうすると、なんだか体育会系の猛者的な男性を想像してしまいます。
自己主張が強い。議論をすれば相手を論破するまでやめない。出世欲がつよく、そのために激務もいとわない。自分の評価をあげるのに熱心。好きな女性には猛烈なアタックをかける。サッカ-やラグビ-のような、集団の中で相手を蹴散らすスポ-ツを好む。家事、料理などはしない。結婚すると亭主関白。自分に自信があり、他人を見下す傾向がある。周囲から生意気、傲慢と見られ勝ち。出世コ-スに乗ると、一気に社長までいってしまうこともある。一度手にした権力は手放さず、自分に従順な後継者を据えて院政を敷くタイプ。
 ま、世の中は草食系と肉食系が混在しているのでうまく動いているのでしょう。第一、人間はそんなに簡単に区分けできる存在ではありません。両系の特徴を併せ持っているのが普通の人間かとおもいます。勿論、どちらかといえば一方の特徴が勝っている人はいるでしょうが。

 草食系と肉食系を世界の民族にあてはめた場合どうなるでしょう。
 わが日本民族はどちらにはいりますか。やっぱり草食系でしょうか。なにしろ、つい150年前までは原則として肉食をしなかった民族です。肉を食べる食べないの問題ではなく、国民性としてわれわれ日本人は草食系に入ると思いませんか。
 われわれ日本人は万事に控えめで出しゃばりません。
 皆さんの中で、ベルギ-の語学学校に通っている方がいると思いますが、クラスでどんどん手をあげて質問したり、発言したりしますか。先生に指されなければ、一言も発言することなくその日の授業が終わってしまう日も珍しくないでしょう。
 日本人が国際会議などでがんがん発言して議論をリ-ドしたり、議論で相手を完膚なきまでに論破することなんて、あまり見ませんよね。

 先日、ドイツとフランスが共同で運営しているアルテ(ARTE)というテレビを見ていたら、ドイツの社会心理学の女性教授が、日本人の行動様式でどうしても理解できない部分があると発言していました。その例として、大震災の被害者の行動様式をあげてました。
 それは、大震災で自宅が壊滅的な打撃を受けた上に、夫や子供まで失った女性が、瓦礫と化した家の前で泣くでもなく叫ぶこともなく、静かに被害の状況を説明している姿は、西洋人のわれわれには理解できない日本人固有の心理であり、行動様式であるとその教授はいってました。

 被災者の方々の冷静で秩序だった行動、助け合い、分かち合う姿の映像が世界中に流れました。地震や津波で未曾有の苦難に直面した被災者の方々の行動が、世界中の人々の賞賛の的になったのは記憶に新しいところです。
 ベルギ-人の友人がわたしに向かって、おまえを見てても日本人が偉いとは思わないけど、被災地の人々の行動には本当に感動した。日本人は本当に偉いと思ったといいました。いわれてうれしかったです。日本人であることを誇りに思いました。

 思えば、日本人は自然を友として生きてきました。
 美しい山河と四季の恵み、豊かな海の幸と山の幸に恵まれた日本の人々は、自然を敵とみることなど考えられませんでした。自然に抱かれ、自然を友として生きてきました。自然がもたらす災害は、山の神、地の神、天の神、海の神の怒りとして受け止めました。自然がもたらす災害を従容として受け入れる精神、自然に対する諦観は日本人の精神構造に深く根付いています。
 世界中の人々が賛嘆した被災地の人々の行動に、日本人のもつ自然に対する諦観を見るのは間違いでしょうか。 
 日本の山河は概して穏やかです。山の稜線は丸みを帯びてます。富士山の美しい姿は、仰ぎ見る人々の心をやわらかく包んでくれます。ところが、天に向かって牙をむき、天に向かって挑むかのごときアルプスやヒマラヤの切り立った荒々しい姿は、見る者の心を挑戦的にします。ここで自然は友としてではなく、征服すべき相手として写ります。

 日本人は有史以前から稲を植え、野菜をつくり、魚や貝、山野の木の実を獲って生きてきました。稲を植え米を収穫する歴史のなかで、稲作に不可欠な水をみんなで平等に使うため、抜け駆けを許さない村落共同体意識が生まれました。また、田植えや収穫の時期が集中する稲作には、村落共同体を構成する者同士の助け合いが絶対に必要でした。これに参加を拒否することは、共同体の中で生きていくことを拒否することでした。「村八分」という制裁が待ってました。
 余談ですが、わたしが育った田舎では、助け合うという意味の「結い」という言葉を、わたしが子供の頃はまだ使ってました。皆さんの郷里ではどうですか。 
 横並び、出る杭は打たれる、自己主張はしない方がよい、自分の行動は周りを見てから決める等々の日本人の精神構造の土台は、日本の稲作文化と密接に結びついていると考えられます。

 日本人が草食系の民族なら、欧米民族はやっぱり肉食系でしょうか。
 皆さんは、ゲントのカテドラル、聖バ-フス教会の祭壇画「神秘の子羊」を見たことがありますか。まだの方は、ベルギ-在勤中に一度は見ておいた方がいいですよ。門外不出の世界的名画です。
 この絵を描いたのはヤンとヒュベ-ルというファンアイク兄弟(Jan en Hubert Van Eyck)です。1432年に完成してます。
 「神秘の子羊」の作者が肉食系となんの関係があるのかと問われれば、直接の関係はありませんと答えます。回りくどいのですが、Van Eyckとい名前をヒントにしたかったのです。

 Van EyckのEyck 又はEike(蘭語)、Chene(仏語) 、Oak(英語)は、どの辞書を引いても樫の木と訳されてます。でもこれは間違いなのだそうです。今は亡き中世史の大家、堀米庸三先生の本を読んで初めて知りました。アイク又はエイク とかシェ-ヌとかオ-クと呼ばれる木は落葉樹で、ナラ(楢)の木と訳すのが正しいのだそうです。樫の木は常緑樹なので、落葉樹であるナラの木とは別の樹木なのです。
 ベルギ-人の名前や通りの名前にVan EyckやEikeが沢山あります。ということは、この辺りにはナラの木が沢山あったし今もあるということです。冬場、完全に葉を落としたナラの木と、これに寄生する宿り木の緑はベルギ-や北ヨ-ロッパの冬の風物詩といっていいでしょう。ケルト人は宿り木のついたナラの木を、聖なる木として崇めました。

 また余談ですが、もう一つ日本語訳で困るものがあります。それは、ナラの木になる木の実です。日本語で“どんぐり”と訳されてますが、日本のどんぐりとこちらのどんぐりは似て非なるものです。
 秋も深まる頃、こちらの八百屋さんに行くと、今年採れた胡桃、栗などと一緒にどんぐりそっくりの木の実が売られてます。一度買って食べてみてください。
 日本のどんぐりは食べられませんが、こちらのどんぐりは食用で、ちょっぴり甘みがあっておいしいです。実る木が違うのでしょう。スペインにはこのどんぐりを使ったお菓子まであります。

 スペインといえば、スペインには世界最高級のハム(とわたしは思います)、パタネグラがあります。このハムを生み出すスペイン黒豚の大好物がこのどんぐりです。
 最近、フランスのテレビで黒豚の飼育とパタネグラハムの作り方についてのルポルタ-ジュを見ました。その中で、黒豚の好きなどんぐりはシェ-ヌ(Chene)の木になる木の実である、という解説がありました。ということはナラの木の実がヨ-ロッパのどんぐりなのでしょう。
 テレビで、ナラの実を黒豚に食べさせる場面が紹介されました。豚を飼っている農家の若い男性が、かっこいいイベリア馬にまたがってナラの林にやってきます。そして、先端に縄か紐のような物がついた長い棒でナラの枝をたたきます。ぱらぱらと地面に落ちてくる木の実を、黒豚の群が一斉に食べ始めます。
 パタネグラの高級ハムは、ナラの実をたっぷり食べた黒豚の太ももからのみ作られます。いくらスペインの黒豚でも、ナラの実を食べてない黒豚からはあのおいしいハムはできません。 

 堀米先生は、ヨ-ロッパの中世を知りたかったらナラの木に聞くがよいと、本に書いてます。何故なら、かってのヨ-ロッパは森の王国だったからです。わたしたちが住んでいるこのベルギ-も昔は深い深い森に覆われていました。その名残りがブリュッセル近郊のソワ-ニュの森です。 
 「神秘の子羊」の作者名から始まって回りくどい話をしてますが、いいたかったのはヨ-ロッパの人々にとって自然は友ではなく、闘うべき相手、征服すべき敵であったということです。ヨ-ロッパの歴史は森との戦いの歴史でした。
 中世のヨ-ロッパの森は暗く、冷たく、狼や猪、熊などが徘徊し、野盗が潜む恐ろしい所でした。人々はある意味で森に支配されてました。人々は森と戦わなければなりませんでした。
 人々の生活圏は森の周辺に限られていました。森の周辺の木を切り倒し、開墾によって耕地を広げて麦をつくり、羊や豚を飼って衣類や肉を手に入れてました。しかしちょっとでも手を抜けば、森はたちまち耕地を取り戻して森に変えてしまう凶暴性をもってました。森に迷い込むことは、しばしば死を意味しました。
 ジャガイモが入ってくる前のヨ-ロッパの人々の食料事情は非常に厳しいものでした。極端ないい方をすれば、穀物と豚肉が命でした。

 日本の伝統的な精神として、できるだけ自然に手を加えず、自然を友とし、自然をありのままに楽しむ姿、風流があります。また、わび、さびといった日本文化固有の概念も、自然の心を心としてこそ可能な概念でしょう。
 日本には、穏やかで静かな自然に加えて明るい太陽の光があります。日本人にとって、自然に身を委ねることは心の平安を得ることでもあります。
 しかしヨ-ロッパの人々にとって、荒々しい自然に身を委ねることは、死の危険をおかすことでした。ヨ-ロッパの人々が狼の恐怖から開放されたのは、猟銃による狼退治が可能になった18世紀末からだそうです。

 自分は性格も食べ物の嗜好も肉食系ではないので、日常生活で肉はそんなに食べません。週に一度だけ、血のしたたるようなステ-キを食べます。なにがまずいといって、焼き過ぎたステ-キほどまずいもにはないと思ってる人間です。
 果物王国、福島の出身ですので、果物は大好きでたくさん食べます。特にりんごが好きで毎日必ず食べます。ベルギ-で売ってるりんごは全部試しましたが、今は近所の八百屋で売っているニュ-ジ-ランド産のジャズというりんごが一番好きです。
 例え路上生活者になっても、一日一個のりんごを買うお金だけは持っていたいです。そのお金さえもなくなったら、子供たちに一日一個のりんごを買ってくれるように今から頼んでます。子供たちは、路上生活者になった父親への援助がその程度で済むならと,快諾をしてくれてます。

 ところで、わたしたちが住んでいるこのベルギ-で、平均的なベルギ-人は生涯でどのぐらいの肉をたべるのでしょうか。このあいだ読んだベルギ-の雑誌に出てた記事を紹介します。
 平均的なベルギ-人が生涯に食べる肉類は、牛5頭、羊7頭、豚42頭、鶏891羽、七面鳥43羽、兎24羽だそうです。すごいですね。食べ物に関してやっぱり肉食系なんですね、こちらの人は。
 日本人の肉食に関する数字があるといいのですが、どなたかお持ちではありませんか。日本人の場合、肉よりも魚介類の消費がすごいでしょう。マグロが何100キロ、サバが何100キロ、タコ,イカが何100キロといった具合ではないでしょうか。

 幼い時から脳に刷りこまれているのかも知れませんが、こちらの人の肉、特に牛肉に対する考えかたには、一種の信仰に近いものがあります。
 牛肉をいうことばは仏語でViande rouge(赤い肉)ですが、これはステ-キのことです。ベルギ-人の好きなステック-フリッツは有名です。
 肉を食べないと身体が弱ると本気で考えている人はたくさんいます。牛の生肉と鶏卵の黄身で作るタルタルステ-キ、またの名をフィレアメリカンは、病み上がりの人に食べさせます。滋養がある上に、消化吸収がよくて体力をつけるのには非常にいい食べ物なのだそうです。

 人でも民族でも、草食系と肉食系の優劣を論ずることは無意味でしょう。
 ただ、食べ物に関していえば、どちらが健康にいいのか悪いのかは、客観的な事実として論じてもいいと思います。
 世界的な寿司ブ-ム、日本食ブ-ムは欧米の人々の健康志向と無縁ではない筈です。ベルギ-の保健省は肉の過食を戒めるキャンペ-ンをやってます。肉の過食は寿命を縮め、大腸癌等の誘発原因になるそうです。
 また、肉を1キロ生産するのに、飼料としてトウモロコシなどの穀物が2キロ以上必要というのも問題です。世界の人口が70億に達した現在、トウモロコシさえ食べられない人々の人口が増え続けているのです。

 ところでお父さん、お父さんはなに系ですか。気配り型で調整型ですか。上の評価は高く、部下にも好かれている。役員一歩手前というところ、草系でよかったですね。
でも、お母さんに出会った時は猛アタックしたとか、この辺は肉系なんですね。要はバランスが取れているということでしょう。めでたしめでたしです。

 今年は本当に大変な年でした。来年こそいい年になんて軽々しくいえませんが、やっぱり希望をもちたいです。人が希望を失う時、つまり絶望は死を意味するからです。皆さん、よいお年を。                   (かんとう)