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No.22 思い込んだら命がけ

No.22  思い込んだら命がけ(1996年12月号)



 この世の中で、何がこわいといっても、思い込みほどこわいものはありません。思い込み捜査で逮捕され、思い込み裁判で裁かれ、無実の罪で20年以上も獄舎につながれた人がいます。オーム真理教の一部の信徒の例も、彼らが組織的-マインドコントロールによって、思い込みを徹底された結果、当人の持つ知性や社会常識を完全に外れた狂気の行動を正しいと思い込むに至った、恐ろしい例と言えるでしょう。又、思い込み恋愛や思い込み結婚などというのもありますが、これは双方が、勝手に相手に対する思い込みをしていただけの話しで、まあ、お互いさまというべきでしょう。 実は、私もこの思い込みの恐ろしさをしみじみと味わうハメに陥った経験があります。場所はオーデルゲムのスーパー、Maxi G.B.のパーキングに於いてです。この G.B.は日本人の買物客が多いので有名ですが、私は住んでいる所が違うので、めったに行きません。或る日、当社主催のバスツアーの集合場所として、Maxi G.Bのパーキングを利用しました。私も朝の集合時間前にG.B.のパーキングに車を停め、夕方同じ場所に帰って来ました。そして、折角なので買物をして帰ることにしました。買物を終えて、すでに暗くなっているパーキングに出て、自分の車の場所まで来た時、私は愕然としてしまいました。何故なら、私の車がないのです。車をおいた場所が、ポッカリと空白になっているではありませんか。とうとうやられたかと思いました。
 ひとまずキャリアを空白になっているパーキングに置いて、周囲を懸命に探しました。でも、やっぱり車はありません。困ったなと思いながら、とりあえず届けを出すため、G.B.のお客様サービスのカウンターに行きました。係の人に話すと、ガードマンを呼んでくれました。このガードマン氏、閉店時間が迫っていたせいか、全くヤル気のない態度で私に車の車種を尋ねました。私が車種を言うと、「あっ、それはダメです。その車種は今、車ドロのベストセラーですから。警察を呼んだ方がいいですよ」と言って、さっさと行ってしまいました。 私は、お客様サービスの係の人に頼んで電話を貸してもらい、オーデルゲムの警察に電話をしました。警察の人は親切にこちらの説明を聞いてくれ、「すぐに行きますから、そこのカウンターに居てください」と言ってくれました。私は警察が来るまでに外に置いてあるキャリアを持って来ようと思い、パーキングに戻りました。しかし、またまた驚いたことに、今度は私のキャリアが忽然と消えているではありませんか。折角買った物が全部盗まれてしまったのです。運命は、何故にこのような苛酷な試練を私に課すのかと、天を仰ぎ、地に伏して泣きたい気持
でした。キャリアドロの件をG.B.の係の人に言っても、どうになるものでもなく、私は買物を終えて家路を急ぐ人々の群を寂しく眺めながら、お巡りさんの来るのを待ちました。
 閉店時間ギリギリに二人のお巡りさんがやって来ました。私は車を盗まれた上に、買物の商品まで盗まれた事情を話し、とにかく現場を見て下さいと頼みました。その時、一人のお巡りさんが、「車を置いた場所は確かですか。もう一度思い出してみて下さい」と私に言いました。私は「100パーセント確かです。私の車の前後にあった車もよく覚えていますし、横の植え込みの木の種類まで覚えています」と答えました。それからお巡りさん達と現場に戻りましたが、もとより車やキャリアのある訳がありません。
 お巡りさんに、「一応署に戻って調書を作りますから、一緒に来て下さい」と言われ、パトカーに乗り込みました。パトカーを運転していた若い方のお巡りさんが、「念の為パーキングをひとまわりしてみましょう」と言って、道路に近いG.B.の入口の方に車をまわしました。パトカーがコーナーを曲がった瞬間、私は自分の目を疑いました。そこに私の車がちゃんとあるではありませんか。私は一瞬の間に全てを理解しました。私は自分の車をG.B.の入口の近くに停めていたのに、出口の方を探しまわっていたのです。私は平身低頭お巡りさんに謝りました。「植え込みの木の種類まで覚えている」などとタンカを切った手前、ただ恥しくて、穴があったら入りたい心境でした。それでも、二人のお巡りさんは本当に親切な人達で、「車が見つかってよかったですね。でも買物の盗難についての調書を作りますから、署まで来ませんか」と言ってくれました。私は、「滅相もない。これ程お騒がせした上に、こまかい買物のリストの調書など作って頂いてはバチが当たります」と固辞しました。それはそうでしょう。今さら署に行って、ハム上300グラムOOフラン、ワイン、トカイピノグリ一本OOフラン、トイレットペーパーOOフランなどと調書に打ってもらい、お巡りさんの時間を取ることなど出来るものではありません。
この夜は車が出て来た喜びを胸に(と言っても車はもともとそこにあったのですが)、但し手ぶ
らで家に帰りました。大学生の長女にこの件を話すと、「おとっつあん、しっかりしてよ」と言われま
 した。長女が私のことを「パパ」と呼ばず、「おとっつあん」と呼ぶ時は、私がヘマをやったりバカなことを言った時に限ります。
 今年も恥じ多き一年ではありましたが、オーデルゲムのG.B.では極めつけの恥の上塗りをやってしまいました。来年はもう少し慎重に身を処して行きたいと考えています。皆さんも、まずはよいお年を。             

No.30. 根なし草     

No.30. 根なし草



 この夏、ベルギーのさる名門の貴族のお宅を訪れる機会がありました。 この名門の貴族とは、たぶん皆さんの中にもご存じの方が多いと思われるアルデンヌの有名なお城の所有者である伯爵家です。現伯爵は40になったばかりの若い当主で、血筋をたどればフランス王家にまでつながる家系だとか。一方、まだ30代の伯爵夫人は、ご主人に負けない名家の出で、 血筋はブルボン王朝につながるのだそうです。
 伯爵夫妻は大変気さくな人柄で、私のために大きな庭園の片隅でバーベキューをしてくれました。使用人がいるのに、ご主人自ら火を起こし、奥さんが肉や、ソーセージを焼き、小学生の二人の娘さんが皿を並べるお手伝いをするという、一般の家庭と何ら変わりのないやり方でもてなしをしてくれました。 一般家庭と違う点と言えば、伯爵一家が住んでいる邸宅と、それを囲む敷地の広さでしょうか。うさぎ小屋スタイルに慣れた我々日本人から見たら、本当に気が遠くなるほどの広さです。 又、食事の際に出されたワインが自家製だったのも、一般家庭とは違う点でしょう。自家製ワインと言っても、私のような貧民が、地下室でこそこそと密造したワインのようなものを想像しないで下さい。 私がいただいたワインは、伯爵家がフランスに所有するシャトー産の第一級のワインなのです。 ワインのラベルには同家の紋章がのっていました。
 私は元来、血筋とか、家柄とか肩書きと行ったものに、余り重きを置かない人間でした。現在私の目の前にいるその人がどういう人なのか、それが一番大事なことと思っています。貴族や名家と言ったところで、 祖先はただの人だったわけです。昔、ルーヴァン大学の中世史の大家、 レオポルド・ジェニコ先生がベルギーの主だった貴族の祖先についての研究を発表したことがあります。この研究は貴族階級からは大変不評でした。何故なら、乙にすまし込んでいる貴族の祖先が、王様のための足洗いだったり、宮廷の道化だったり、或いは粉ひき小屋の番人だったりという事実が、天下に公表されてしまったからです。 日本でも、徳川家の祖先が、三河の松平郷にいた祭文語りの乞食坊主だったという説があるではありませんか。
 しかし、それでもなお人々は王族や貴族、 名家の出の階層の人達に関心を持つのは何故なのでしょうか。ヨーロッパの社会で、王族や貴族の動向を写真入りで紹介する雑誌が幅広い読者を持っているのは何故なのでしょうか。単なるゴシップ好みといってしまえばそれまでですが、私にはそれだけでは説明できない要因があると思います。
 それは、継続への尊敬、評価だと思います。にわか王族やにわか貴族は尊敬されません。昔、中央アフリカのボカサさんが皇帝を僭称したことがありますが、これは茶番に終わりました。たとえ、祖先が馬の足洗いだったとしても、何世紀にもわたってその家を続け得ることが出来た事実は、評価に値するのではないでしょうか。継続はまさに力なのです。
 くだんの伯爵家で、同家の家系図を見せてもらいました。見せてもらった家系図は一部分だったのですが、その複雑多岐に渡ること驚くべきものでした。面白かったのは、歴代の党首が例外なく、庶子を得ていることでした。場合によると、嫡子より庶子の数の方が多い当主もいました。家系図では嫡子と庶子が色分けして書いてあるため、歴代の党首の中で愛人を沢山もっていたのは誰か、などと勝手な想像をすることもできます。場内に私的礼拝堂まであり、キリスト教の道徳観が支配していた時代に、生きていた伯爵家の人々の人間的側面のわかる家系図でした。
 家系図が複雑多岐であることは、とりもなおさず根が各方面に伸び、しっかりと家を支えていることにつながります。ルーツがしっかりしています。歴史上、どれだけ多くの王侯、貴族が消えていったことでしょうか。それは、家を引き継いだ当主が次の世代への継続を怠ったこと、或いは根の張り方が不十分だったからかも知れません。
 継続が力であることは、国の文化、個人の生活にも言えることではないでしょうか。国の品位、文化のレベルはその国の歴史的継続性による点が大きいと思います。その土台となるのは、各個人或いは各家庭の文化伝達の継続性だと思います。
 私はこの点で常に危機感を持って暮らしています。私のように外国に長く澄んでいますと、自国の文化から逃避してしまい、かといって住んでいる国の文化にも一体化できず、中途半端ないわゆる根なし草になってしまう危険があります。自分の国の文化の継続性からはずれてしまう危険です。国も文化も個人も、根なし草になったら滅びます。伯爵が伯爵として尊敬されるとしたら、それはシャトーをいくつも持っているからとか、門から家の玄関まで車で5-6分も走るような広い敷地に住んでいるからではないと思います。それはバブルの頃に、フランスのシャトーを買いまくった日本の成金が誰にも尊敬されなかったのと同じです。伯爵が尊敬されるのは、幾世紀にもわたって続いてきた同家の物的、文化的遺産を引き継ぐための努力を怠らないからです。伯爵自身が、この家に生まれたのは運命だとしても、これを継続させるための重荷は時には耐え難いほど厳しいものがある、といっていました。
 私も日本を離れて20数年。根なし草になる危険と背中合わせに暮らしています。もし、皆さんが、日本レストランで酒を飲んでいる私や、カラオケで『津軽恋おんな』などを唄っている私を見かけましたら、『ああ、神藤も根なし草にならないように懸命の努力をしているな』と、温かい目で見守ってやって下さい。お願いします。

No.31. 地下水  

No.31. 地下水 



 当地の駐在員の方から、時々相談を受けることがあります。それは、「本社のお偉いさんが来るんだけど、どこに案内したらいいものかしら」とか、「案内するのはいいけれど、説明に困るわなあ」とか、色々あります。ある駐在員の方は、本社のお偉いさんのご案内を仰せ付かり、ベルギー関係のガイドブックを二、三読んで勇躍ゲント、ブルージュ観光に出かけました。しかし、ゲントの聖バーフス・カテドラルの有名な祭壇画、Janと Hubert van Eyck兄弟作の「神秘の小羊」の前に立ったとき、一夜漬けで勉強した説明がどうしても出てこなくて、冷汗どころか、死ぬ思いをしたそうです。その方は「何が面白くて、あんな絵を描いたんだろうねえ」と、ため息混じりに嘆いていました。
 本会報をお読みの皆さんの中にも、この駐在員の方の嘆きに共感を覚える方がおられるのではないでしょうか。日本からの来訪者の方は、思いがけない質問をするものです。「教会はなぜいつも東向きに建てられているのか」、「キリスト生誕の絵で、聖母マリアは乙女のように描かれているのに、夫の聖ヨゼフはどうしておじいさんのように描かれているのか」、「祭壇画になぜ羊や鳩が出てくるのか」等々、返事に困るような質問を皆さんは受けたことがありませんか。
 私たちが住んでいるこのベルギーを含め、ヨーロッパの文化を理解するうえで、キリスト教の知識が不可欠であることは、誰でも知っていることです。しかし、知ってはいても、ピンとこないままに駐在員生活を終えて日本に帰ってしまう方も多いようです。キリスト教が好きか嫌いかは別問題として、西欧世界の思想、文化、芸術、社会生活のあらゆる分野に強い影響力を持ち、現在も持ち続けているキリスト教が、文字通り西欧文明の地下水であることを、私たちは認めざるを得ません。
 悲劇的な死を遂げたダイアナ妃の行動を律していたのは何だったのでしょうか。なぜ彼女はいつも、弱いもの、虐げられている人々、世の中から排除されている人々への助けのため、世界中を駆け巡ったのでしょうか。ダイアナ妃の葬儀において、トニーブレア首相が読んだ聖書の一節が、妃の行動を象徴的に説明しているように私には思えますが、どうでしょうか。
 一方、ダイアナ妃の葬儀の日に、マザー・テレサが亡くなりました。あの小柄なアルバニア出身のカトリック修道女が、カルカッタの極貧の人々の間にすみながら、死の前日まで倦むことなく成し遂げようとしたことが、世界中の人々の心をとらえました。マザー・テレサの生涯を決定づけたもの、その行動の原動力となったものが、キリスト教の信仰であったのはいうまでもありません。
 マザー・テレサ程有名ではありませんが、ベルギー人の修道女、シスター・エンマニュエルはエジプトのカイロの巨大ごみ捨て場の掘っ立て小屋に住み、ゴミの山を漁って、わずかな日々の糧を得ている極貧階層の人々のために働いています。彼女が生涯をかけて奉仕している貧しい人たちはすべて回教徒で、キリスト教徒は一人もいないそうです。
 ローマに旅行した人なら必ず訪れるバチカンは、いわずと知れたカトリックの総本山です。ここの現当主、ポーランド人のヨハネ・パウロ二世は教義を守るためには絶対に妥協しないことで有名ですが、スーパースターとしても有名です。8月22、23、24日の三日間、パリで開かれた「カトリック世界の青年の日」に、全世界160カ国から100万人の若者がヨハネ・パウロ二世の元に集まりました。今どき、これだけ多くの国から100万人もの若者を集めえるスター、政治家はまずいないでしょう。教会に行く若者の数が極端に減っている昨今の状況から考えて、何が若者たちを動かしたのか分析する価値があるかも知れません。
 皆さんは、ブリュッセルの王宮広場に建っているブロンズの中世の騎士像をご覧になったことがあるでしょう。この像は、ご存知の方も多いと思いますが、ブイヨンのゴッドフロアの像です。1095年、時の法王にして雄弁の聞こえ高かったウルバノ二世はフランスのクレルモンフェランに於いて、ヨーロッパ各地から集まっていた諸侯を前に、有名な十字軍勧奨の演説を行いました。この演説が発端となり、以後200年間に及ぶ十字軍運動が開始されたのです。そして、ブイヨンのゴッドフロアは第1回十字軍の司令官として、緑滴るアルデンヌのブイヨンを後に、パレスチナに向けて出発しました。十字軍が回教徒の手から聖地を奪還した後、ゴッドフロアはエルサレム王として推戴されますが、彼はこれを受けず、「聖墓の守護者」の称号をもって聖地の守護に努めました。そしてゴッドフロアは、二度と再びアルデンヌの森を見ることなく、かの地で病没しました。今から900年も前の話ですが、今度皆さんが王宮広場を通る時、ブイヨンのゴッドフロアの顔を良く見てください。パレスチナの太陽にやかれながら、美しい故郷アルデンヌへの思いをはせていたであろう彼の気持ちを読み取ることができるかも知れません。
 西欧文明の地下水であるキリスト教が、西欧の歴史に於いて、ポジティブな役回りだけをしてきたわけではありません。上記の十字軍でも、一部の部隊は殺戮と略奪の部隊になり下がってしまいました。十字軍が純粋にキリスト教の信仰に燃えたヨーロッパの諸侯によってのみ遂行された、などと言ったら笑われます。十字軍参加者の間には、我欲、権力欲、物欲、法王権の伸長、地中海貿易の発展などありとあらゆる人間の欲望が渦巻いていました。勿論、聖ルイ王のような信仰の人による十字軍があったのも事実です。余談ですが、ブルージュの聖血教会に奉られているキリストの聖なる血と信じられている血は、第2回の十字軍に参加したフランドル伯、アルザスのチェリーによって、聖地より持ち帰られたと伝えられています。
 私は昔々、ルーヴァンで中世の歴史を少しばかり勉強したことがあります。そこで教会の歴史の中にある暗い面、汚れた部分についての知識も得ました。そしてその時、非常に不思議に思ったことがあります。それは、こんなにガタガタだった組織がどうして続いたのだろうか、ということです。そしてもっと不思議に思ったのは、キリストと呼ばれる男の人が、当時ローマ帝国の辺境の地であったパレスチナの片田舎で、3年にも満たない短い期間教えをのべただけなのに、その教えのために幾多の殉教者が出、西欧の歴史、文化の基盤となり、十字軍が起こり、現代においてもマザー・テレサのような人が出てくる事実です。私は、これこそキリストが行った最大の奇跡ではないかと思うのです。でも、歴史として納得できないからといって、奇跡を持ちだすのはやや安易にすぎるのでしょうか、やっぱり。    

No.32. わが心の失楽園

No.32. わが心の失楽園



 このタイトルを見て、「おっ、神藤もついに自分の華麗なる女性遍歴を告白する気になったか」、などと早とちりする人がいたとしたら、それは私の責任ではありません。第一に、華麗にも、貧弱にも、私にそのような遍歴があるわけがありません。第二に、厳正なる編集方針をもって鳴る日本人会広報委員会が、そのような文章を認めるわけがありません。
 私が「失楽園」というタイトルを見てまず思い出したのは、15世紀から16世紀にかけ活躍したネーデルランドの天才画家、ジェローム・ボッシュの「Le Jardin des delices」という絵でした。日本語では「悦楽の園」とか、その他の訳があるようですが、私はこの大作のタイトルには、「失楽園」という日本語が一番合っていると思っています。昔ルーヴァン大学の学生だった頃、同じく学生だった家内と、マドリッドのプラド美術館にあるこの絵を見るために、わざわざスペインまで、貧乏旅行をしたことがあります。当時、家内が「ジェローム・ボッシュのLe Jardin des delicesに於ける精神分析学的考察」などという、空恐ろしいタイトルの卒論を準備していましたので、私は興味もないのに、家内にプラド美術館までつれて行かれた、といった方が正しいスペイン行きでした。
 しかし、プラド美術館の一室でこの絵を見たときの衝撃を、私は今でも良く思い出すことが出来ます。まだ見てない方には是非見て頂きたいのですが、これほど奇怪にして謎に満ちた絵は他にあるでしょうか。解説書によれば、この絵の根本テーマは、中世の終末と近代の夜明けを暗示しているのだそうです。そう言われれば、ボッシュが亡くなった翌年、1517年にマルチン・ルターがヴィッテンブルグで、有名な95ヶ条の命題を教会に突きつけて、宗教改革の口火を切っています。しかし、私がこの絵を見てすぐに感じたのは、人間の業の深さ、快楽や欲望に対する飽くなき追求と、その向こうに待っている破滅と奈落の深淵の底知れない恐ろしさでした。
 私は、今話題になっている小説「失楽園」を読んだことがありません。今度、友達が貸してくれると言うので、読んでみようかと思っています。正直に言って、私はこれまで渡辺淳一さんの本を最後まで読み通したことがありません。いつも途中で読むのをやめてしまうのです。理由は、もてない男のひがみでしょうか。渡辺さんの小説の主人公は、医者とか建築家とか、自由業の人間が多くて、いずれもお金と時間に不自由しない階層の人達です。競輪、競馬、パチンコにお金をつぎ込んで、サラ金に手を出すようなお父さんはまず登場しません。一方のヒロインはといえば、これ又美貌の人妻だったり、キャリアウーマンだったりという舞台装置になっています。そして彼の小説に登場する女性は、何故か一様に和服がよく似合うのです。子供の教育費を稼ぐために、髪振り乱してパートに出ているようなお母さんは、決して登場しません。
 渡辺淳一さんは、日本の社会の恵まれた階層に属する男女の華麗なる愛の関係を、甘く、そしてやや湿った筆遣いで描写してみせますが、私には読んでいて胃が重たくなる感じがします。ですから私は、渡辺淳一の小説は長崎屋のカステラに似ていると、常々思っています。ちなみに、「失楽園」を読んだある日系企業の現地法人の社長が、「50過ぎの男があんなに出来るわけがない。渡辺淳一の小説はインチキだ」といたくご立腹しておられましたが、小説を読んでいない私には何のことか分かりません。世の中には個人差というものがありますから。
 最近出たEUの統計によれば、EU加盟国の中でベルギーが離婚率でトップになったそうです。何と、結婚するカップルのうち、2組に1組は離婚するのだそうです。期間としては、結婚して4年以内の離婚が最も多いそうです。ベルギーの離婚率がトップになった理由として、1994年6月30日付の法令によって、離婚の手続きが著しく簡略化されたこと、並びに社会保障その他の面で離婚しても不利益を被らなくなったこと、等があげられています。一方、別の理由として、結婚という新しい人間関係にうまく適応できない男女が増えていること、夫や妻、或いは父親や母親としての役割に適応できない人達が増えていること、等も理由として挙げられています。
 わが家の子供達の友人の家庭を見ても、離婚している親の方が圧倒的に多い事実が、今回の統計で納得できました。息子の女友達の中の一人、サンドラは時々わが家に遊びに来ますが、ある時、「今晩はママのボーイフレンドが来てるからここでゆっくりさせてね」と言って、夜遅くまで息子の所で遊んでいきました。こう言うことを平気で言える彼女は、両親の離婚について、「ショックじゃなかったとは言わないけれど、パパに好きな女の人が出来て、ママと一緒に暮らせなくなったんだから仕方がないでしょ、ママだって今は男友達がいるんだからいいんじゃない」と、淡々と話します。
 人間は生物学的には、男女が一緒になるように出来ていると言っていいでしょう。しかしどうして結婚という約束事をするのでしょうか。この結婚という世の中の決まり事がなければ、不倫という言葉もその意味を失ってしまいます。皮肉屋のバーナード・ショーが結婚について次のようなことを言っています。「結婚を賭に例える人がいるがこれは間違っている。何故なら賭の場合、まれに儲けることもあるのだから」
 私は世の中で何が恐ろしいと言って、結婚の約束程恐ろしいものはないと思っています。生まれも、育ちもまるで違う二人の男女が、「生涯を共にします」などと言う、とんでもない約束をするのです。さすがに当人同士だけの約束だけでは心配だと見えて、神様やまれに仏様などを引っ張ってきて、ギャランティーしてもらうケースが多いようです。それでもベルギーでは2組に1組はこの約束が守れないのです。もっとも、2組に1組、つまり50%は約束を守るんだから立派なもの、という楽観的見方があるかも知れません。
 これ又、最近出たベルギーのさる女性向け週刊誌のアンケート結果ですが、ベルギーの女性にもかなり不倫願望があるようです。アンケート対象となった18歳から35歳までの女性のうち、何と30%の女性が夫や決まったパートナーとは別に愛人を持ちたいと答えています。誤解を恐れずに言うなら、人間は男女を問わず誰でも不倫願望を持っていると思います。それは結婚という社会制度が出来る以前の男と女の関係の名残が、我々の意識の底に残っているからだと思います。
 不倫願望が意識の底に押さえ込まれているのは、家族への愛情や配偶者への尊敬、思いやり、そして周囲の社会的もろもろの制約等があるからではないでしょうか。頭をもたげようとする不倫願望と、これを押さえようとする力の拮抗が、男と女の関係に彩りをもたせ、小説家の創作意欲を刺激するのでしょう。そして男と女がこの世にある限り、失楽園はその存在意義を持ち続けるのです。