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No.45 ゴルフ事始めの気

No.45. ゴルフ事始めの気



 “明けましておめでとうございます”という、この型通りの新年のあいさつに、何か今ひとつ力が入らない昨今の祖国の状況ではあります。しかし、何はともあれ、無事、2000年の一歩手前まで生きてこれたのであれば、やっぱり、“おめでとう”といっていいのではないでしょうか。
 外国暮しの私たちは、日本に居たら決して体験できなかった出会い、感動、喜びなどを、今年はもっと体験できるかも知れません。或る人にとって、昨年は余りいい年ではなかったかも知れません。でも、新しい年は、過去の苦い思い出を帳消しにするような、すばらしい年になるかも知れません。ベルギーの冬の空も、いつも暗く曇っているわけではないでしょう。雲が切れて、さっと差しこんでくる太陽の光が、森の木々の間をぬって枯葉に覆われた地面に届くさまは美しく、人生を暗示しているようにさえ見えます。
 年頭にあたり、皆さんは何か新たなる決意をしたり、目標を立てたりしましたか。私も子供の頃は、新年の決意をしたり、目標を立てたりしました。しかし、いつの頃からか、そういう事はしなくなりました。それは、「決意は破られるためにあり、目標は到達し得ないために目標となり得る」と云う、普遍的な真理に目覚めたためです。
 しかし今年は、私も遠大なる目標を立てました。それは何でしょうか。簡単に言いますと、「ゴルフのボ-ルを真すぐに飛ばす」、という目標です。そうなのです。ベルギーの在留邦人の間にあまた居るゴルフの名人、上手が聞いたら、吹き出したくなるような目標を立てたのです。
 実は昨年、ついにというか、とうとうというか、やっぱりというか、結局、何といえばいいのか、私もゴルフなるスポーツに手を出してしまいました。付き合ってた友達が悪かったとか、家庭環境に問題があったとか、世の中が悪かったとか、そういう理由でゴルフに手を出し訳ではありません。
 私は、ゴルフに全く興味がありませんでした。当地の友人、知人、日本の家族、親戚、幼な友達の中にゴルフ好き、ゴルフ気違いは沢山います。集まれば、まずゴルフの話になります。正直いって、そういう話を聞くのは退屈で仕方がありませんでした。さらに気に入らないのは、会話の中に、やたら横文字がでてくることです。“フェアーがあゝだ、バンカーがこうだ、ラフがどうした”とか、“イーグルだ、ボギーだ、パーだ”と、何が何だかちっとも分かりません。そういう難解な横文字をポンポン使いながらしゃべる郷里の友人は、中、高時代、英語がまるでパーだったのですから、人間分からないものです。
 これまで何度も、友人、知人、或いは兄や妹からもゴルフをすすめられましたが、まるでやる気が起きませんでした。あんな小さな玉を打ちながら、ゴルフ場を歩きまわって、何が面白いのかしらと思っていました。いい事といえば、自然の中で新鮮な空気を吸えることぐらいしかない、と考えていました。
 ゴルフの道に足を踏み入れるきっかけとなっったのは、香水で有名な南仏のグラースの近くに行った時でした。元々、乗馬が目的で行ったのですが、滞在先にゴルフの練習場があり、初心者向けのレッスンもやってました。乗馬のレッスンは午前中で終りなので、冷やかし半分で、午後のゴルフ初心者向けコースに申し込みをしました。
 先生はニコルという若いフランス人の女性でした。ニコル先生は、われわれ生徒4人(仏人3人、日本人1人)を前にして、こういいました。「ゴルフの基本的なことは皆さんに話しますが、細かい技術的なことは話しません。私の一番大きな目的は、ゴルフの楽しみを皆さんに伝えることです」と。
 ニコル先生の教え方がよかったのでしょうか。私の打つボールは面白いように飛ぶではありませんか。しかも真すぐに。「何だ、ゴルフなんて、簡単じゃないか」、とその時は思いました。「これならベルギーで通用するかも」と、ゴルフ自慢の友人、知人の顔を思い浮かべながら考えました。さらに、レッスン最終日にニコル先生についてコースをまわりましたが、4人の中で私が格段にいい成績を収めました。
 私は南仏で考えました。ブリュッセルに帰ったら少し真面目にゴルフをやってみよう。将来、あぶみに足をかけて、ひらりと馬にまたがれなくなった時、その時はゴルフをやるのがいいのではないか。台を使って馬にまたがるのは、自分の男の美学が許さない。その時は必ず来る。ゴルフは歩けて、腕がまわせれば出来るではないか。老後のスポーツとして最良のスポーツではないか、等々と考えました。若い時からゴルフの道に精進してこられた方々が聞いたら、怒り心頭に発するようなことを、本気で考えました。
 ブリュッセルに戻って、まずゴルフの道具を買うことにしました。何も知らない自分ですので、友人二人に付き添ってもらいロイヤルゴルフに行きました。友人二人は、次ぎ次ぎと道具を選んでくれました。「これだけは揃えた方がいい」とか、「ついでに、これも買っておいた方がいい」とかいいながら、バッグを一杯にしてくれました。これで代金も払ってくれたら文句のないところだったのですが、友人といえども、そこまではしてくれませんでした。
 地獄はすぐに始まりました。ボアフォール競馬場の練習場に通い始めましたが、まるっきりダメなのです。ボールにまともに当たらないやら、当たっても飛んで行く先がボールにきかないと分からないやらで、南仏での自信はあっという間に消えてしまいました。
 これではいけないと、練習場のプロについてレッスンを受けましたが、これが又事態を悪化させることになりました。グリップがどうの、アドレスがこうの、スイングどうのと、教えを受けても、ボールは少しも思うように飛んでくれません。女性プロのヴィルジニー先生などは、いくら教えても、私の打つボールが右にしか行かないのに業を煮やしたのか、「プロでもこれだけ毎回右へ打てないわよ」、という始末です。
 練習場では、さらに深く心に傷つくようなこともありました。或る日、どこをどう打ったものやら、自分の打ったボールが、私の前で練習していた年配のご婦人の方に飛んでしまいました。ベルギー人と思われるそのご婦人は、私をじろりと見ると、「危いわね。ボールは向うに打つものよ」といったと思うと、道具をまとめて、私からずっと離れた場所に行って練習を再開しました。
 傷心の私は決心しました。他人様に迷惑をかけるようになっては、ゴルフもおしまいだ。今日限りでゴルフはやめよう。でも、最後に残ったボールを打って、それが真すぐきれいに飛んだらもう少し続けることにしよう。私はどうでもいいという気持ちでボールを打ちました。何と、ボールは今まで一度もなかった程、真すぐ、しかも飛距離を伸ばして飛んで行きました。
 この間に、私はロイヤルゴルフの平井さんが主催されている初心者コンペに、3回程参加しました。そして、一度は何と、堂々3位の成績を収めたのです。この事実を、CホテルのM嬢に喜んで報告しました。そしてこんな会話が交わされました。“ボクもゴルフで3位を取ったよ”“へぇ、それで参加者は何人いたの”“4人”“バカね、そういうのはブービーていうのよ”
 私の新年の目標が達成されるかどうか、「乞うご期待」というところですが、その前に「ゴルフクラブセット売りたし。かんとう」などという貼紙が日本食品店の掲示板などに出るかも知れません。その時は、私が再度深く心に傷を受けた時だと、想像して下さい。そしてどなたか私の道具を高く買って下さい。今からお願いしておきます。

No.46. 仮面の舞踊会

No.46. 仮面の舞踊会


 2月はカ-ニバルの月です。カトリック教会の暦で、復活祭は移動祝日であるため、毎年その日が変ります。復活祭の日から日曜を入れない日を数えて、40日前の水曜日を「灰の水曜日」と呼びます。この日、カトリック信者の人達は教会に行き、「灰の水曜日」の儀式に参加します。神父さんが、“汝、灰に帰るべき身であることを想起せよ”という言葉と共に、各人の額に灰で十字架の印をします。そして、この日から人々は復活祭を迎えるために、計46日間の精進潔斎の期間に入ることになります。この期間を四句節と呼び、昔は肉を食べませんでした。
 この「灰の水曜日」の前日の火曜日が、カ-ニバルの日になります。翌日からスタ-トする46日間の辛い精進潔斎の期間の前に、火曜日を含めた3日間、肉をたっぷり食べて楽しく騒ぎましょうという、誠に人間くさいお祭りがカ-ニバルなのです。
 余談ですが、日本料理の代表格の“てんぷら”は、この復活祭前の四句節、Quatro Tempurasと云うポルトガル語から来たという説があります。16世紀に日本に来たポルトガル人達は、四句節の間肉が食べられないため、魚や野菜に小麦粉の衣をつけて油で揚げて食べてたのだそうです。それを、あの洗練された日本料理の“てんぷら”に仕上げた日本人は、やっぱり偉いと、私は思ってます。
 皆さんは、カ-ニバルと聞くと何を連想しますか。私は仮面、仮装を連想します。ヨ-ロッパの有名なカ-ニバルを、仮面や仮装なしに考えることはできません。一番有名なのは何と云っても、ベニスのカ-ニバルでしょうか。仮面と衣装の組合わせを競って、毎年沢山の人々がベニスの街を練り歩き、これを見物する人達が世界中から集まります.ベルギ-でも、バンシュ、マルメディ-、スタブロ-などの有名なカ-ニバルがありますが、いずれも仮面が大事な役割を果たしています。バンシュには「International Museum of the Carnival and Masks」と云うカ-ニバルと仮面の博物館があり、日本の能面も陳列されています。
 カ-ニバルと仮面、変装、仮装の関係はどこから来たのでしょうか。物の本によれば、アルプスの山間の農村で行われていた風習が、カ-ニバルと結びついたのだそうです。春を迎える前のアルプスの山間地方では、その年の豊作、幸運を祈り、冬の悪霊追放、災害をもたらす悪霊への威嚇手段として仮面をつけ、仮装をして村々を練り歩く風習が古来より行われてきたのだそうです。この面と衣装を写真で見たことがありますが、秋田の生はげの面と衣装によく似ています。
 カ-ニバルの仮面や衣装に歴史的背景があるのはいいとして、私はそれ以外に、もっと根本的な人間の欲求がかくされているのではないかと思います。それは人間の誰もが持つ変身願望です。別の自分になりたいと云う願望です。人は仮面をつけたり、仮装や変装をすることによって、現実の自分から遊離した別の人格として行動することに、或る種の快感と喜びを感ずるのだと思います。
 聞けば、日本には「女装クラブ」なる商売があると云うではありませんか。社会的地位から云って、この人がと思うような男性が、女装してもらって喜んでいると云う、週刊誌的ネタも聞いてます。「女装クラブ」の客となっている男性達は、別の意味の自己主張をしているのかも知れません。日本の男性のどれだけが、会社や職場、家庭で自分の本音で生きているでしょうか。言いたい事をぐっとこらえ、本音をねじ曲げて生きている男性の方が大多数ではないかと思います。こう云う哀れな男性の救済の場として、「女装クラブ」も存在価値があるのかも知れません。
 仮面をつけたり、仮装をしたりすることによって、人は、いっ時日常性から解放されます。ヨ-ロッパの宮廷や上流階級が、好んで仮面舞踊会を催した理由も、ここにあると思います。仮面舞踊会が失楽園的関係の温床だったことは、周知の事実です。仮面の後ろからなら、日頃口に出せない貴夫人への愛の言葉もすらすら出ますし、貴夫人も仮面のお陰で、若い貴公子への愛のささやきを、恥じる事なく口に出すことが出来るのです。
 ですから、皆さんの中で、意中の人にどうしても自分の思いのたけを伝えられずに悩んでいる人がいたら、一度、遊び心から仮面をつけて話してみたらどうですか。但し、この場合どう云う面を選ぶかに気をつけて下さい。間違っても、お多福や般若の面はつけない方がいいと思います。
 変身願望が自己主張の一つの表現だとしたら、若い人達の、時には奇妙に見えるファッションも変身願望の系列に属するものなのでしょうか。わが家の高一の息子も頭をクリクリ坊主にしたり、実に変てこなズボンのはき方をしたりして自己主張につとめています。クリクリ坊主の頭は、今流行っているので分かるのですが、ズボンのはき方だけはどうにも理解できません。
 何でも、アメリカの囚人達が反抗のしるしとして始めたズボンのはき方らしいのですが、ズボンを尻の真中辺までずりおろしてベルトをしめるのです。従って、すそは当然長くなり、歩く時は、殿中松の廊下の浅野匠頭の長袴風になります。まあ、これで家の中の床やカ-ペットのゴミでも集めてくれればいいのですが、息子の歩いた後がそんなにきれいになっているとは思えません。
 どう見てもみっともないので息子に言いました。「お前、いつまでそのズボンのはき方を続けるつもりなの」。「さあ、分かんないね、今んとこ」。「じゃ賭けをしよう。いつ頃お前がそのズボンのはき方をやめるか、賭けようじゃないか」。息子は私の顔を心底あきれたという風に見て、答えました。「バッカだね、お父っつあん。賭けはボクが勝つに決まってるじゃないの。ボクがやめる日を決めて、その日にやめればいいんだもの」。ま、考えてみればそうですよね。
 私たちは日常生活に於いて、どれだけ変身願望を実現しているでしょうか。男女の変身願望の強さを比較した場合、女性の方が強いような気がします。女性の衣服、装身具、化粧品の多様さは、とうてい男性の比ではありません。男性の変身と云っても、せいぜいヒゲを生やすか、アデランスのお世話になるぐらいでしょう。
 かく云う私は、最近、変身願望を実現する機会がありました。所属する乗馬クラブのパ-ティ-があり、参加者は“Tenue de Soiree ”が義務、とのお達しがありました。つまり男子はブラックタイにタキシ-ド、女子は夜会服のいでたちで来るように、と云う事です。私はしばらく着たことのないタキシ-ドのホコリを払ってこれを着込み、ブラックタイをつけました。鮮やかな変身と云いたいところですが、土台が土台ですから、中くらいの変身と云うところでしょうか。
 会場でクラブの仲間達を見て驚きました。みんなが、見ちがえるばかりの紳士、淑女姿になっていたからです。いつもは、よれよれのシャツしか着て来ないフィリップが、一分のスキもないタキシ-ド姿になってましたし、オ-ストリ-出身のEU官僚で美人のアストリッドは、黒の夜会服に見事な真珠のネックレスをつけて、優雅にシャンペングラスを手にしていました。私は、男の仲間には握手、女の仲間には頬っぺたにキス、のあいさつをしながら、これがヨ-ロッパの人達の変身なのだ、と思いました。
 変身は、生活にめりはりをつけるアクセントではないのでしょうか。時々、日常性から脱出する事は、日常性に活力と潤いを与えてくれるのです。ですから、変身は人生に於いて必要不可欠なものと考えてもいいと思います。
 でも、そのためには変身の本体、つまり自分がちゃんとしてないと、変身だけの人生、仮面だけの人生になってしまうのかも知れません。そうは云っても、明日の事が分からない祖国日本の今日この頃、うつせみのこの身が変身なのか本体なのか、小渕さん、教えて下さい。  

No.47. 三面記事

No.47. 三面記事



 昔、ベルギ-に来たての頃は、言葉が分からなくて、毎日辛い思いをさせられていました。大学の講義に出ても、先生の言うことの10分の一も理解できません。寄宿先の学生寮に帰れば、寮の仲間達が談笑していても、私は仲間に入れず、誰かが気のきいたジョ-クを言って、皆が大笑いしても、私には全くその意味が分からず、一人寂しく自分の部屋に戻るだけでした。
 言葉が分からないと、自分がその国の人達より知的に劣っているような錯覚に陥ることがあります。高い教育を受け、教養豊かな日本の駐在員の人が、言葉ができないばっかりに、レストランのボ-イから子供扱いされることもあります。又、日本の有名大学の仏文の助教授が、パリのカッフェで自分の注文したい飲物がボ-イに分かってもらえず、自分のフランス語の発音に、すっかり自信を失ってしまった、と云う話しも聞いたことがあります。
 しかし、いつもいつも自分達が原因で話しが通じないのでしょうか。私の場合、自分の言ったことが相手に分かってもらえないのは、100パ-セント自分が悪い訳ではない、と云う事実に気がつくまで、かなり時間がかかりました。自分の言いたいことが分かってもらえないのは、相手に問題がある場合だってあるのです。もし、皆さんの話し相手が、顔をしかめて、皆さんの話す外国語が分からないと云う態度をしめしたら、“この人、耳が悪いのじゃないかしら”と、一応疑ってみた方がいいかも知れません。そう云う場合、相手の目をしっかりとみて、場合によっては自分の人さし指を相手の鼻先に立てて、“私の言うことをもう一度よく聞いて下さい”とやるのです。これをやると、たいていの人は真剣に聞いてくれます。それでも理解してもらえなかったら、自分の語学力不足か、相手が自分の話す外国語を知らないかのどちらかです。
 ベルギ-の在留邦人の皆さんの中には、ここに来る前に、他の国に駐在した方も沢山おられますので、英、仏語と云った国際語の他に、駐在した国の言葉を上手に操る方が結構います。そう云う方に聞いてみると、個人レッスンをとったり、地元のテレビを分かっても分からなくても必ず見たりとか、いろいろな努力をしているようです。その国に住めば、その国の言葉を“自然に”覚えると云うのは、真っ赤な嘘であることは、皆さん先刻ご承知の通りです。
 語学の教材としてテレビは非常にいいと思います。次が新聞じゃないでしょうか。それも三面記事を読むことです。最初は語いが少ないのですから、まともに新聞など読める訳がありません。それなのに無理をして、経済や政治関係の記事を読もうとしても、はっきり云って、面白い内容ではありませんので、たいてい途中で投げ出してしまいます。例外は国際政治欄の、クリントンさんとモニカさんの話しでしょうか。特に、モニカさんの詳細な証言内容は、それが何語で書かれていても、辞書を片手に読んでみたいと云う気を起こさせるもののようです。余談ですが、モニカさんの証言以来、女性用歯ぶらしと、歯みがきの売上げが伸びたそうです。これがクリントンさんの話しとどう云う関係があるのか、私にはよく分かりません。ご存知の方、教えて下さい。
 言葉で苦労していた頃、私はベルギ-の新聞の三面記事を一生懸命読みました。辞書を引き引きでも先が知りたいような記事が、三面記事の中には沢山あるのです。“愛人と共謀、夫を殺害”、“痴情のもつれか、アパ-トに女性の死体”、“市議会議員、ビ-ル7杯飲んで議場に”、“間抜け泥棒つかまる。盗みに入った家で昼寝”、“前首相、不倫発覚。離婚へ”等々と云う記事と、“政府公定歩合引下げ検討。”、“ベルギ-の貿易収支改善”、“社会党、連立離脱か”、“NATO事務総長改選へ”などと云う記事と、皆さんどちらを読みたいですか。仕事柄、読んでおくべき記事はあるでしょうか、仕事抜きで読むとしたら、私は絶対に三面記事を読みます。まして、外国語なのです。辞書なしには読めないのですから。
 三面記事のおかげで、語いが豊富になります。ベルギ-が、裏から見えてきます。人情、男と女の問題なども、洋の東西を問わず、共通するものがあることが分かってきます。男女間の愛情のもつれの不幸な解決に、こちらではよく銃が使われること。従って銃の入手が、割合い簡単であることなども、知ることができます。季節になれば、その年のム-ル貝の肥え具合いも教えてくれます。ニセ警官にだまされて、お金をとられたお年寄りの嘆きも聞こえてきます。ラマンダンあけのお祝い用に、アパ-トで羊のノドをかき切って、警察に通報されたアラブ人家族の話しなども出て来ます。一部生徒の暴力行為で、授業ができない先生方が、抗議のデモをしている写真を見ることもできます。又、地下鉄内に露出狂が出没した、などと云う記事も出ます。
 ベルギ-の新聞の三面記事は、この国の人々の生活環境を知る上でまことに貴重な情報源と云えると思います。しかし、その三面記事に載るさまざまな出来事の中で、日本の新聞の三面記事と大きく異なる点が1つあります。それは自殺の報道です。日本の新聞で、自殺の報道はごく当り前のことですが、こちらの新聞は、日本の新聞程気軽に自殺の報道をしません。大きな事件にからんで自殺をした人のことは記事になることがありますが、一般の自殺はまず報道されません。このことで、ベルギ-人の知人に理由を尋ねたことがありますが、しかとした答えは返ってきませんでした。
 私の個人的見解ですが、ベルギ-の新聞が自殺の報道を控える大きな理由はキリスト教だと思います。人の生命は神さまから授けられたものであり、これを自らの手で絶ってしまうのはキリスト教の教えに反する行為なのです。何のかんの言っても、ヨ-ロッパの人々の精神構造の中に占めるキリスト教的考えの位地は、かなり大きなものがあると思われます。勿も、当人がそれを意識しているか、或いは肯定しているかは別問題です。
 もう一つ、こちらの新聞の三面記事の中でここ二、三年使わなくなった言い方があります。それは、三面記事によく出る、強盗、ひったくり、カ-ジャックなどの事件に関する報道の中で、犯人像として“北アフリカ人タイプ”と云う言い方です。私の愛読している三面記事の面白い新聞は、この“北アフリカ人タイプ”と云う言い方を盛んに使っていました。しかし或る頃から、この言い方をぴたりとやめてしまいました。どこかの人権保護団体から、人権差別につながると云う抗議でもあったのでしょうか。
 皆さんはどう思われるか知れませんが、私は、犯人が北アフリカ人タイプだったら北アフリカ人タイプと書いても、ちっともかまわないと思ってます。それが東洋人タイプだったら、そう書けばいいし、白人タイプだったら、白人と書けばいいのです。地球上には、異なった人種がいるのですから、何もそれを無理にかくすことはないでしょう。それこそ、形を変えた人種差別になるような気がします。
 “その男は明らかな東洋人タイプである。かけている眼がねや着ている服地、物ごしなどをよく観察すると、日本人と判断してまず間違いない。日本に詳しい識者に云わせると、その男の顔は、典型的な日本の農村出身の顔であると云う。彼に話しをさせると、非常に語いに乏しく、時々何を言っているのか分からないことがある。本人も、それを気にはしているようである。しかし、その男は、村の長老達の所によく足を運び、ご気げんを取り結ぶのが上手であるらしい。又、村の人達の間の融和を計り、村の大事な決めごとをする時は、巧みな調整能力を発揮するとも云われている。この男は、特に何したと云う訳でもないのに、いつの間にか村長におさまってしまった。彼が村長になったことは、必ずしも村人全員に支持されている訳ではないが、村の長老達の支持があることと、村役場の役人が有能である為、当面は村長の地位にとどまるであろうと、外電は伝えている”。こんな三面記事は出ないと思いますが、皆さん、この男とは誰のことなんでしょうね。                   

No.48. ワイン道家元

No.48. ワイン道家元



 日本はワインブ-ムだとか。ワインに含まれているポリフェノ-ルと云う成分が、ガンを防ぎ、健康増進に役に立つのだそうですが、本当なんでしょうか。ワインを常飲しているフランス人の平均寿命が、日本人より短いのはどう云う訳なのか、説明して欲しいものです。 
 先日、フランスのテレビが日本のワインブ-ムについて、ルポルタ-ジュを流してました。ワインバ-でカウンタ-席に座った若い女性の一団や、学生風のお兄さん、それに年配の紳士が、一様にワイングラスをくるくると回している場面がありました。これで思い出したのですが、私は昔、さるレストランでワインのテ-スティングをした時、グラスを強く回し過ぎて、ワインが外に飛び出し、大恥をかいた経験があります。ワインバ-の人達は、おそろしくまじめな顔で、グラスを静かに回していました。テレビのリポ-タ-がコメントとして、ワインバ-の日本人達は、ワインを楽しむと云うより、何やら一途な求道者のおもむきがある、と言ってました。
 その後、同じフランスのテレビが、ブルゴ-ニュの有名な“Hospices de Beaune”のワイン競売の様子を見せてくれました。毎年11月の第3日曜日に行われるこのボ-ンヌの競売には世界中から買付人が集まります。日本は今や、“Hospices de Beaune”のワインの最も重要な顧客だそうで、カメラは日本人の買付人の姿をずっと追っていました。ボ-ンヌのワインの値段は、3年で倍近くあがったそうです。日本人のセイだとは云ってませんでしたが。
 続いて同じテレビが、ブルゴ-ニュワインの愛好家団体、“La Confrerie de Chevaliers du Taste-Vin”の新会員の叙任式の模様も写してました。場所は、これも有名な“Le Chateau du Clos de Vougeot”でした。入会が認められた新会員の中に、何と日本の女性が3人もいました。そのうちの1人は和服姿でした。3人の日本女性は、Chevaliers du Taste-Vinの服装をした会長から、叙任の祝福のキスをほっぺたにしてもらって、とても嬉しそうでした。このConfrerieの会員は、現在17,000人ぐらいいるそうですが、今の調子なら、日本人会員がもっともっと増えるのは間違いのないところでしょう。
 こう云うテレビ番組を見てて、フランスのワイン文化は実に奥が深いと、感心させられます。“Hospices de Beaune”は1443年にルイ11世の大法官だったNicolas Rolinが貧しい人々の為の施療院として創設し、それを修道院が運営してきました。そして、その経費をまかなう為に、ぶどう畑とワイン醸造所も併設したのだそうです。それから何百年もの間、優れたワインを世に出し続けてきました。皆さん、Beauneワインのラベルには、Nicolas Rolinか、彼の奥さんのGuignonne de Salinsの名前のどちらかが、必ず印刷されてますので見て下さい。
 この文を書いていて、ふと思いついたのですが、このNicolas Rolinと云う人は、ル-ブルにある有名なVan Eyckの作品、“La Madone au Chancelier Rolin”の中で、左手にひざまずいているあの人ではないんでしょうか。どなたか教えて下さい。もし本当なら、この人はワインで名を残し、絵で世界中に顔を知られるようになったのですから、大したものです。本人もさぞ満足なことでしょう。
 一方、“La Confrerie de Chevaliers du Taste-Vin”の本部がある“Le Chateau du Clos de Vougeot”は、何と1098年の創設と云いますから驚いてしまいます。ベネディクト会の修道院が起源だそうです。ヨ-ロッパのいいワイン、ビ-ル、リキュ-ル類の多くが修道院を起源としているのも、ヨ-ロッパ歴史の面白い側面だと思います。
 お酒を飲まない方には、“たわごと”と聞こえるかも知れませんが、フランスには“ワインのない食事は太陽のない一日と同じ”と云うことわざがあります。自分が呑兵衛だから云うのではありませんが、ワインは確かに食事を豊かに、又楽しくしてくれます。まず、ワインがあると、食事がゆっくりと進みます。ワインは、ビ-ルのようにグイと一気に飲む訳にはいきません。ワインを一口づつゆっくり飲むごとに、その色、香り、口に含んだ時の味、飲み込む時、そして舌に残る味と、楽しみが沢山あります。そして身体の中に静かな酔いをかもし出してくれます。それが、食卓の会話を誘発する働きをします。
 これが日本酒ですと、“まぁまぁ、一杯”とか“ご返盃”とか“お流れ頂戴”とか、小さな盃にお酌をしたり、されたりで何となく落着きません。もっとも最近の若い人は、こう云う日本酒の飲み方はしないみたいです。日本酒もワイン感覚で飲める種類が増えてきており、将来フランス料理のレストランで、ソムリエが日本酒のテ-スティングをお客にすすめる時が来るのかも知れません。
 ワインが、フランスと云うか、ヨ-ロッパの人々の生活の中で重要な位置を占め、文化として根づいていることは疑いのないところです。一方、日本のワインブ-ムはどこまで続くのでしょうか。ワインが日本の文化の中に根をおろす時がくるのでしょうか。もし、そう云う時が来るとしたら、それは中国から渡来したお茶が、茶道として日本文化の中にゆるぎない地位を築いたように、ワインもワイン道として、日本の様式美の文化の衣をつける時ではないか、と考えています。
 自分がワイン道の家元として流派を興すとしたら、どの様にすべきか、ワインをしこたま飲んで、もうろうとした頭で考えてみました。まず流派の名称ですが、「神千家流」なんかはどうでしょうか。もっともこれは、現存の表、裏、武者小路の三千家から、登録商標違反で訴えられるかも知れません。ま、その時はその時です。
 次に家元の服装ですが、日本文化の様式美の世界に入るのですから、家元はやっぱり羽織、袴に威儀を正したいものです。そして左のえりに、真中に「神」の文字が刻印されたぶどうのバッジをつけます。当流の高弟は、このバッジをつけることが許されますが、その為にはかなりの額の上納金が私の懐に入ることになります。
 さて最も大切なワイン道の作法についてです。家元の私は、ワインの守護の聖人、St.Vincentに祈りをささげ、シャト-巡りの旅に出ました。二日酔いに苦しむなどの艱難辛苦の修業の末に、ついに「神千家流六作法の奥儀」なる、ワイン道の奥儀をあみ出すことに成功しました。
 今回は特別に、日本人会々員の皆さんにこの奥儀を公開しますが、くれぐれも他に漏らさないようお願いします。                  

ワインの入ったグラスを右手にもち、左手には懐紙をもつ。ワイングラスを懐紙の手前にかかげ、30度ぐらい前方に傾ける。これによって、ワインの色、その深みなどを識別する修業をする。修業をつめば、これだけでワインの年代が判るようになる。他の流派では、ロ-ソクの光で色を見るのが一般的。 
ワイングラスを3回まわす。この場合、当流では左方向にまわす。特に深い意味はなく、他の流派との違いを強調する為。ここでグラスを強く回し過ぎて、ワインを飛び出させたら、即刻破門とする。
ワイングラスを鼻先にもって行く。アロ-ムを吸い込むのは1回のみ。最初に立ちのぼるアロ-ムがワインの性格を一番よく知らせてくれる。初心者には若いワインを使って、ぶどうの種類を知る修業をさせる。ここでくしゃみをしたら、即刻破門とする。
ワインを口に含む。ここで目をやゝ上に向け、考え深そうな顔をする。口に含む時間は三秒を出ないこととする。酸味、糖分、タニンなどの識別の修業をする。ここでワインを飲み込んだら、即刻破門とする。 
ワインを噛む。つまり口内でグチュグチュとやる。ここでワインのボディ-を識別する修業をする。噛むのは5回以内とする。特に深い理由はない。いつまでもグチュグチュやってるとみっともないから。ここで、グチュグチュの代わりに、うがいをするみたいにガラガラとやったら、即刻破門とする。
飲み込むか、吐き出す。状況による。ディナ-等の場合は飲み込んでよい。何種類かのワインを識別する際は吐き出す。この際、口をすぼめて品よく吐き出すこと。惜しそうな顔をして吐き出したら、即刻破門とする。
尚、修業中の不作法によって破門宣告を受けた者は、上納金を2倍払えば、破門宣告は即刻取消されることとする。 どうでしょうか。ワイン道をきわめる為、神千家流ベルギ-総本家に入門希望の方はおられませんか。今なら、入門料を安くしておきます。又、上納金の金額によっては、支部長ポストなども乱発しますので、是非ご検討下さい。

No.49. お赤飯

No.49. お赤飯



 皆さんは、お赤飯を食べたことがありますか。お祝いごとがある時お赤飯を炊く習慣は、今の日本にまだ残っているのでしょうか。若いお母さんたちの中には、お赤飯の炊き方を知らない人だっているかも知れません。もっとも、ス-パ-に行けば、真空パックのお赤飯がいくらでも売ってますので、無理に家で炊く必要もないのでしょう。
 私の子供の頃は、田舎の町の氏神様の神社のお祭りの日に、母は必ずお赤飯を炊きました。そして、炊きあがったお赤飯を重箱に入れて、隣り町の親戚へ届ける習慣がありました。私はこのお赤飯を届ける役が大好きでした。何故なら、お赤飯をもってゆくと、親戚の叔父さんや叔母さんから必ずお小遣いがもらえたからです。
 お祭りの思い出として、お赤飯と一緒に思い出すのはお酒です。お祭りの日には、父が神棚にお灯明をあげ、お酒を奉げます。子供の私は、この神棚に奉げられたお酒をもらいさげて飲むのが、お祭りの日の楽しみでした。「栴檀は二葉より芳し」と云いますが、私は小学生の頃からお酒が好きだったようです。ただ、私の場合、栴檀とは云えず、「駄木は二葉より芳しからず」とでも云ったほうがいいみたいです。
 お赤飯の味などすっかり忘れていた時に、思いがけない所で、お赤飯に出合いました。それは先頃、キュ-バの国営観光会社の招きで、ヨ-ロッパの旅行代理店の同業者とキュ-バに行った時でした。招きといっても、招く側にお金がないので、費用は各自の負担でした。ご承知の通り、キュ-バはソ連の崩壊とアメリカの経済封鎖によって深刻な経済危機に直面しています。ノドから手が出る程欲しい外貨を獲得する為、キュ-バ政府は観光事業に力を入れています。われわれに、見に来て欲しいと云うのも、政府の方針に治ったものだったのでしょう。
 行ってみて、キュ-バが好きになりました。ハバナの街のいたる所に、「社会主義のゆるぎなき勝利」とか、「革命と社会主義に勝利を」などと書いた巨大な看板が見られます。しかし、街を歩いていて、社会主義の国にいると云う感じがしません。その原因は、キュ-バの人たちが、西側のわれわれから見たら、とても貧しい生活をしているのに、みんな明るくて、とても親切だからです。それに、どこに行っても、コンガやマラカスやギタ-の陽気な音楽が聞こえて来ます。「カストロ政権を倒すのに武器はいらない。キュ-バ人から音楽を奪えばよい」と誰かが言いましたが、本当かもしれないと思いました。
 国営観光会社の人の案内で、ハバナから少し離れた所にある有名な漁村、コヒマ-ルに行きました。ここが有名になったのは、ヘミングウェ-のお陰です。ヘミングウェ-はコヒマ-ルの村に滞在して、トロ-リングを楽しみながら「老人と海」を書きました。われわれは、ヘミングウェ-がよく来て、「老人と海」の原稿を書いたと云われているレストランに行きました。案内の人は、一つあいているテ-ブルを指さして、今日は皆さんにヘミングウェ-が原稿を書いたテ-ブルで食事をして頂きます、と云いました。私は思ったのですが、案内の人は、もしそのテ-ブルがふさがっていたら、他のテ-ブルをヘミングウェ-のテ-ブルにしてしまうだろう、と云うことです。それはそれで結構なことと思います。
 旅は夢を求めてするものです。こまかいことをあげつらって、旅の夢をこわすのは愚かなことです。日本にだって、弘法大師が地面に杖をつきさしたら温泉が湧いてきた゛弘法の湯″とか、鹿が傷をいやすため入っていた温泉を、狩人が見つけて゛鹿の湯″としたとか、いろいろあるではありませんか。弘法の湯の起源が、時代的に親鸞上人の後になっていても、ちっともかまわないのです。
 食後に、コヒマ-ルの海岸を散歩した時、海岸で食事をしている地元の家族の人たちに出合いました。われわれが通りかかると、お父さんらしい人がにこにこして、゛アミ-ゴ、メシを食って行かないか″と、さそってくれました。お腹いっぱいだったのですが、そこにいる人たちが余りにも親切なので、ひと口だけよばれることにしました。
 地元の人が何を食べているのか、見たかったのも事実です。プラスチックの皿に入っていたのは、赤いご飯とキャベツをきざんだものだけでした。私はその赤いご飯を手のひらにのせてもらって、食べてみて驚きました。何とそれは、子供の時に食べた田舎のお赤飯にそっくりの味がするではありませんか。米の質や炊き方は違うのでしょうが、ちゃんと小豆まで入ってます。゛コングリ″と云うキュ-バのお赤飯は、庶民の食べ物なんだそうです。
 コングリをひと口だけご馳走になり、お礼を言って失礼しようとすると、「何だ、アミ-ゴもっと食べて行きなよ」と、お父さんもお母さんもわれわれを引きとめます。そう云うやりとりを、3人の子供達がニコニコと見ています。肉も魚もない、お赤飯とキャベツだけの質素な昼食を、見ず知らずの外国人旅行者に、食べて行けと云うこの底ぬけの気のよさ、明るさはどこから来てるのでしょうか。こんなことは、今の日本や、私たちの住んでいるベルギ-では想像もできないことでしょう。
 お父さんは、われわれがコングリを謝辞すると、ペットボトルをもってきて「キュ-バに来て、これを飲まないで帰っちゃダメだぜ」と云って、プラスチックのコップにラム酒をなみなみと注いでくれました。ラム酒は結構強い酒ですので、とても飲めるものではありません。それで、お父さんのコップに3分の2程注ぎ返すと、お父さんはコカコ-ラをもってきて残ったラム酒を割ってくれました。そして、「このカクテルを何と呼ぶか知ってるか」とききますので、「知らない」と答えると、お父さんはにやりと笑って、「このカクテルは゛自由のハバナ″と云うのさ」と教えてくれました。社会主義国キュ-バの国民酒、ラム酒を、経済封鎖をしているアメリカの国民的飲料、コカコ-ラで割ったカクテルを゛自由のハバナ″と名付けて飲んでいる、キュ-バの人たちのユ-モアには脱帽させられました。
 コヒマ-ルで出合ったあの家族のことは、今でもよく思い出します。どんよりと曇ったベルギ-の空の下にいても、コヒマ-ルのお父さんとお母さん、それに3人の子供達の顔を思い浮かべると、私の心は青空になるのです。人間は人の親切や善意にふれると、心が浄化されたような気持になります。反対に、人の意地悪や悪意にふれると、心に汚れやシミがついたような気持になります。
 この間も、GBに買物に行った時、カ-トを取り出す20フランコインがないことに気がつきました。キャッシャ-の人に頼んで100フラン札をコインに替えてもらうとしても、お客さんの列が出来ていて、なかなかやってくれません。そうしたら、買物を終えて出てきたベルギ-人の中年のマダムが、「ムッシュー、これをお使い下さい」と云って20フランコインを私の手に握らせて、さっさと行ってしまいました。本当にお礼を云う間もありませんでした。又、昔スペインのビルバオの近くで、バスに乗るための小銭がなくて困っていたら、若い学生風のお嬢さんがペセタを恵んでくれました。そう云えば、ハバナの市バスの中でも、若い奥さんにバス代の20ペソスを恵んでもらったことがあります。
 私は何故か、女性にお金を恵んでもらう機会が多いのです。どうしてなんでしょうか。私が、アジアの国から来た難民の方みたいに見えるからでしょうか。或いは、私の頼りないかっこうが、女性の母性本能をくすぐるのでしょうか。゛この人のめんどうを見てあげたい″゛食べさしてやりたい″゛背中を流してやりたい″゛膝枕で耳をきれいにしてやりたい″゛私がいなかったら、この人はダメになる″と云った気持を、女性に起こさせる何物かが私の中にあるとしたら、これはこれで立派なことではないでしょうか。恵んでもらあうお金がいつも小銭ですが、人の善意はお金では計れません。小銭の奥にはその顔の何10倍もの親切や善意が隠されているのですから。

No.50. 「好きなんです、ブルド-ル」

No.50. 「好きなんです、ブルド-ル」



「新ベルギ-物語」も、今月号掲載分をもって50回になりました。1995年1月号から本会報に載せて頂いて以来、よくもまあ、これだけ毎月バカなことを書いてこれたものと、自分でもあきれてます。正確に言えば、拙文を最初に日本人会々報に載せたのは、1989年の7-8月号からでした。その頃は、会報の当社広告欄に、短い文章を書いていました。それも入れると、多分100回くらいになると思います。
 50回と云う節目を記念して、何か盛大な記念行事はできないものか、と考えてみました。ホテルのバンケットル-ムでのレセプションは、ありきたりで面白くありません。そこで考えたのですが、鼓笛隊を先頭に、゛寅さん行列″なんかどうでしょうか。寅さん、さくらさんとひろしさん、タコ社長、おいちゃんにおばちゃん、ご前様などの役を、当地の在留邦人の皆さんにやって頂くのです。知り合いの日本人会々員の方々の顔をざっと思い浮かべると、マドンナ役を始め、だいたいのキャスティングは私の頭の中に浮かびます。ただ、タコ社長役はなり手がいなければ、私がやるしかないでしょう。本当はピッタリの方がいるのですが、ご本人がタコ社長に似てるなどと、夢にも思ってない様子なので、ちょっとお願いし難い感じなのです。
 「寅さん」と「新ベルギ-物語」に何の関係があるのか、と尋ねられれば、何の関係もありません、と答えるしかありません。何の関係もないところが、ミソなのです。(何がミソなのか書いてる本人も分かってません)。最後に、記念行事の締めくくりとして、ブリュッセル公園あたりから、盛大な花火をあげます。ついでに、天ぷらなんかも揚げたらいいかも知れません。
 バカバカしいことを書いて、貴重な誌面を無駄にしていると、日本人会広報委員会よりお叱り受けますので、本題に入ります。
 標題に関係ある文章は、昔、本会報の広告欄に書いたことがあります。内容は広告、コマ-シャルについてです。私はテレビのコマ-シャル、新聞や雑誌の広告を見たり、読んだりするのが、わりと好きです。そして、コマ-シャルや広告に対して、あゝだこうだと文句を云ったり、毒ずくのが、又好きなのです。
 こちらのテレビのコマ-シャルでは、洗剤、車、食品、コスメティック、保険などの分野の放映回数が多いように思われます。洗剤のコマ-シャルでは、白はさらに白くなり、色ものは鮮やかな色を失わないことを売り物にします。こう云うコマ-シャルを見ると、゛そんなことできる訳あるか、このー。″と言いたくなります。二つの要素が矛盾していることは、明らかでしょう。又、同じ洗剤のコマ-シャルでは、新製品には何とかんとかがつけ加えられ、シミや汚れは完璧に取りさられます、などと平気で言います。前の製品の時だって、シミや汚れは決して残りませんて言ったくせに、あれはウソついていたのか、と言いたくなります。
 一時期、フランスの何とか云うミネラルウォ-タ-が、女性の間で流行ったことがあります。何故なら、その水を飲んでいると、余分な脂肪がなくなり、ダイエット的効果がある、と信じられた為です。これも宣伝のお陰なのでしょうが、そんなことある訳ないでしょう。どうしても飲みたかったら、まず小錦さんにでも飲んでもらって、効果を確かめてからにしたらどうですか。
 日本の健康雑誌の広告も面白いです。あれを読んでいると、ガンも高血圧も白髪もハゲもボケも、肥満もアトピ-も腰痛も耳鳴りも白内障も縁内障も、肩こりも便秘も不眠も痛風も、精力減退もワキガも糖尿病も、何もかも治ってしまうことになります。しかも、治す上で必要なものが、日常極め簡単に手に入るラッキョ-やトマトや酢やハチミツだったり、或いは、自分でできる単純な運動やしぐさばかりなのですから、恐れ入ってしまいます。雑誌を出している人達は、本当に自分達の書いていることを信じて記事を書いているのかどうか、一度直接きいてみたいと思ってます。
 広告、宣伝は必要なものです。どんなに良い製品を作っても消費者が知らなければ売れません。お金を出して物を買う消費者は、いい商品を知る権利があります。ですから、広告、宣伝は作る方、売る方、買う方の関係を円滑にする上で重要な役割をに担っていると思います。しかし、世の中には、宣伝など全くしないのに、口こみと云う別の媒体を通じて人々の間に知られ、結構売れている物もあるようです。
 高校生の息子が、学校の旅行でスコットランドに行った時、私にお土産を買ってきてくれました。私の好みをよく知っている息子は、間違ってもクッキ-などは買って来ません。ウィスキ-を1本買って来てくれました。全然知らないブランド名のウィスキ-でした。お店のおばさんが、「お父さんはきっと喜ぶよ」と云って勧めてくれたボトルなんだそうです。よく見ると、5000本限定醸造のうちの何本目と云う番号がついていました。
 そんなに沢山お小遣いを持っていったとは思えない息子に、「お前、これ高かったろうに」、と云うと、息子に、「プレゼントをもらった時、値段の話しはしないのが礼儀じゃなかったっけ」、と云われ、見事に一本取られてしまいました。
 それは別にしても、その無名のウィスキ-は大変結構なウィスキ-でした。大量生産されている有名ブランドのウィスキ-より、もっと深い味と云うか、味に奥行きのあるそんなウィスキ-でした。日本の田舎でひょいと出合った、いい地酒みたいなものかも知れません。お店のおばさんは、高校生の息子に高いウィスキ-を勧めずに、地元で知られた安くていいものを勧めてくれたのでしょう。こう云うウィスキ-は、宣伝などに関係なく、地元の人々に愛され、売れ続けて行くのだと思います。
 広告、宣伝の対象となる商品は、人々の生活に有用なものでなければなりません。もし、その商品が、人々の生活に害を与える恐れがある場合、その商品の広告は禁止されます。一番いい例がタバコの広告でしょう。昔は、タバコの広告は禁止されてませんでしたので、ブリュッセルの街角にもよく大きな広告板が出ていました。その中で、私が非常に面白いと思ったタバコの広告がありました。
 ベルギ-のタバコで「Boule d'or」(ブルド-ル)と云う銘柄があります。これを日本語に訳すとちょっと困った表現になります。何故なら、Bouleは玉の意味で、Orは金の意味だからです。このブルド-ルの広告板に、ブロンドの美女がブルド-ルのタバコの箱を手にして、艶然とほほえんでいる大きな写真が出ました。それだけならいいのですが、そこに広告文として、次のようなコピ-が入っていたのです。「わたし、好きなんです。ブルド-ル、キングサイズ」                           

No.51. トリ食い野郎

No.51. トリ食い野郎  



いやはや、何とも大変なことをやってくれました。ダイオキシン汚染問題で、ベルギ-には安心して食べられる食物が、なくなってしまった感じです。鶏肉、卵は勿論のこと、マヨネ-ズ、パスタ、ケ-キ、タルト類、チョコレ-トム-ス、フランなどもダメで、それに豚肉や牛肉も危いとなれば、食べられる物は非常に限られてきます。
 狂牛病の騒ぎが静かになったと思ったら、今度はダイオキシンです。次は何の騒ぎが起きるのでしょうか。今は大丈夫と思って口に入れてる食物が、実は健康に害を及ぼす有害物質を含んでいるのかも知れません。そんな目でス-パ-の食料品売場をながめると、何とも、さむざむとした気持にさせられます。
 私は個人的には、大量生産のブロイラ-の鶏肉はおいしいと思わないので余り食べません。子供の時、田舎で放し飼いにされていた鶏の肉を食べていましたので、ブロイラ-の鶏肉をおいしいと思ったことは一度もありません。卵もそんなに食べませんので、このル-トからダイオキシンが体内にどっさり入ったとは思いませんが、自分の知らないル-トから侵入しているかも知れません。
 世の中は、どうしてこんなに汚染だらけなんでしょうか。食料品だけでなく、スポ-ツ選手の薬物ド-ピング事件も、次から次と出てきます。IOC委員が受けていた接待や贈物も汚染の一種でしょう。祖国日本の長引く不況も、日本経済がバブルと云う表面的には即効性があるように見えても、実は、非常に毒性の強い要素に汚染された結果の、後遺症ではないのでしょうか。
 それにしても、わたし達が住んでいるこのベルギ-国の名前が、世界中に知れわたるのが、悪いニュ-スの時だけなのは、残念なことです。性的変質者によって無残にも殺害されたジュリ-とメリッサの事件も、ベルギ-の名前を世界中に広めました。ベルギ-は元々、ネ-ムバリュ-の少ない国ですから、余程大きな事件でもないと、その名前が外電にのって全世界を駆けめぐることはありません。
 ところで、皆さんは、今年のカンヌ映画祭で、リュックとジャンピエ-ル、ダルデンス兄弟が監督をし、オ-ディションで選ばれたエミリ-、ドゥケンヌが主演をしたベルギ-の映画「ロゼッタ」が、映画祭の最高賞 "Palmed'or"を受賞したのをご存知ですか。エミリ-、ドゥケンヌは主演女優賞までもらってます。そうなんです。こう云うベルギ-にとってのいいことは、ベルギ-に住んでいても知らない人が多いのです。一方、北野武監督の「菊次郎の夏」が、同映画祭で賞を逃したと云うニュ-スは、皆さんもよくご存知でしょう。
 ご存知のように、今回の事件は、日本でもかなり大きく報道されました。そして、その影響はわれわれ旅行業界にも出て来ています。ベルギ-のチョコレ-トは日本でも有名ですが、お菓子屋さんの分野でも、ベルギ-は、それと知られた国なのです。皆さんも、当地の有名なお菓子屋さんをいくつかご存知だと思います。この優れたお菓子の国に、日本の関西地区のお菓子屋さんのグル-プが、視察ツア-で来ることになっていました。しかし、ダイオキシン汚染問題が日本で報道されたとたんに、このツア-はキャンセルになりました。
 一方、日本から観光旅行でベルギ-に来ているグル-プの食事のメニュ-にも影響が出ています。鶏肉がダメなのは勿論ですが、七面鳥などもメニュ-から外されてます。デザ-トとして使えるのは、今のところフル-ツサラダかシャ-ベットぐらいしかありません。
 ベルギ-で鶏肉が食べられなくなるなどと、誰が想像できたでしょうか。ベルギ-の一般的家庭では、日曜日のご馳走として、お昼に鶏を食べる伝統がありました。今は、鶏肉はご馳走ではないでしょうが、かつて肉を口にすることが少なかった時代には、お祭りの日やたまの日曜日に食べられる鶏肉は、家族全員が心待ちにしていた庶民のご馳走だったのです。
 料理の方法は、昔は煮るのが一般的だったそうです。ロ-ストチキンを作る為のオ-ブンを庶民が手にするようになったのは、時代がずっとさがってからのことでした。鶏の煮汁はおいしいス-プの土台になります。或いは、その煮汁にジャガイモや人参などを鶏肉と一緒に入れ、生クリ-ムを加えると、ゲント名物のトリのwaterzooiが出来る訳です。
 余談ですが、トリと云えば、''ムジドリ"の生み親、谷岡ヤスジさんが亡くなりましたね。私は谷岡ヤスジさんの漫画が好きでした。特にあの''ムジドリ"が好きでした。何の意味もない所に出て来て、"昼に近いアサ-"とか、"夜に近いヒル-"とか云うトキの声をあげるムジドリのキャラクタ-には、何とも言えないおかしみがありました。「鼻血ブ-」の主人公が、頭に出刃包丁をつき立てて、へらへら笑って歩いていたり、牛が煙管でタバコをすいながら、人間どものやることを批判したりする谷岡漫画の世界は、中世末期のフランドルの画家、ジュロ-ムボッシュの世界にちょっぴり似たものがあるような気がします。
 トリを効率よく肥らせ、大量に生産して、大量に消費させ、より多くの利益を手にする為には、ダイオキシンの混った飼料も平気で出荷する。それを知った政治家達は、選挙区と支援団体の利益をどうやって守るかに心を砕き、1ヶ月も公表を遅らせる。こう云う狂った世界からみると、谷岡ヤスジさんの漫画の世界の方がまっとうな気がします。
 歴史をひもとくと、ベルギ-の人達の鶏好きは、中世以来の伝統であることが分かります。中世には勿論ベルギ-なる国は存在しませんでした。何々伯領とか何々公領とかの封建領主が各地を支配してました。ブリュッセルはブラバン公領に入ってました。13世紀の終り頃、ブラバン公ジャン1世は、現在のハッセルトを中心としたリンブルク公領の継承権を手中にすることに成功しました。しかし、これを認めまいとするルクセンブルク伯やケルン大司教領の軍がブラバン公に戦いを挑んできました。ブランバン公の軍は、この軍勢をライン河近くのwoeringerで打ち破り、リンブルク公領の併合に成功しました。
 この戦いにはブリュッセル出身の兵士も多数参戦しました。そしてこの兵士達は食料として生きた鶏を大量に運んでいったと云う記録が残っています。これは、鶏をもって行くことによって、途中の村々での食料徴発をひかえて、農民に迷惑をかけないようにするためだったのか、トリ肉を食べないと兵士達に戦闘意欲がわかなかった為なのか、史実は何も伝えていません。このwoeringerの戦いの後、ブリュッセル人には"kiekefretter"(トリ食い野郎)と云うあだ名がついたのだそうです。ブリュッセルのお年寄は今でも、「オレたちの鶏好きはwoeringer以来だから」と自慢げに話します。
 もう一つ、ベルギ-人と云うか、ブリュッセル人の鶏好きを伝える歴史的モニュメントがあります。それはブリュッセルのグランプラスにあります。グランプラスから小便小僧に行く道に入るとすぐ右手に、有名なEverard 't Serclaesの像があります。瀕死の姿で犬と一緒に横たわってるこの像を、皆さんも見たことがあるでしょう。そして、さわると願い事が叶ったり、幸せがくると云われているEverardの像に、手を触れた方も多いことでしょう。
 今度グランプラスへ行く機会があったら、Everardの像の上にあるレリ-フの部分をよく見て下さい。三段になっているレリ-フの、一番の下の段のレリ-クの右の方を見て下さい。一人の男が籠から鶏を引っぱり出している姿が彫られています。これから鶏を料理して食べようとでも云うのか、そんな場面です。
 このレリ-フの内容は、1356年にフランドル伯、ルイ ドマ-ルがブラバン公領の相続権に異議をとなえて、ブリュッセルを占領した時の事件を物語っています。この時、Everard' t Serclaesが肉屋のギルドの助けを得、市民軍を率いて、フランドル伯の軍勢と戦い、これをブリュッセルから追い出しました。そして彼は、ブリュッセルの近郊にあるGaasbeek城に援軍を求めての帰りに、現在のエラスムス病院の辺りで、フランドル伯軍の兵士に捕えられてしまいました。
 Everardの死因については、彼が捕えられそうになった時、フランドル軍と戦い、瀕死の重傷を負ったと云う説と、捕えられた後、餓死の刑に処せられたという説の両方があります。あの像を見る限り、どちらの説も正しいような気がします。
 緊迫した戦闘の場面の中で、腰をおろして鶏を籠から出そうとしている男の姿は、何か場違いな感じがしますが、"kiekefretter"(トリ食い野郎)の面目躍如と云った場面です。
 中世以来のこのトリ食い野郎の国で、トリが食べられなくなったのですから、歴史とは実に皮肉なものだと思いませんか。今回の事件で大臣二人の首がとびましたが、ダイオキシン汚染の事実を知りながら1ヶ月も公表を遅らせたのは許し難いことです。死を賭して市民を守ったEverardや、トリ食い野郎の名誉のためにも、安全な鶏肉や卵が一日も早く市場に出回って欲しいものです。

No.53. 「もっと目をあけて」 

No.53. 「もっと目をあけて」 



 年なんでしょうか。最近、メガネの見え具合がどうもよくなくて、会社の近くのメガネ屋さんに、検眼に行ってきました。若い時から近眼で、ずっとメガネをかけてきましたのが、メガネなどというものは、かけなくてすむものなら、かけないに越したことはありません。
 人によっては、メガネのおかげで人品がよく見えたり、賢そうに見えたり、いろいろと利点があることも事実です。祖国、日本の現職総理大臣の顔なども、かなり外人離れしてますので、メガネのおかげでずい分救われているような気がしますが、どうなんでしょうか。
 かく云う私などは、若い時からメガネをかけた自分の顔を見てきましたので、メガネなしの顔を人前にさらすのには、やゝ抵抗感があります。ものがよく見えないと云う基本的理由は勿論ですが、何か、着るべき物を着ないで人前に出るような不安な気持ちになります。
 個人差はあるようですが、早い人で40代前半、遅い人でも40代後半には遠視が入ってくるようです。目のいい人程、遠視になる時期が早いと云われてます。私は、遠視が入ってきたら近視はよくなるだろうと信じていました。理屈ではそうなる筈です。しかしこれは、素人の浅ハカな考えであることが判りました。遠視が入ってきても、近視は全然よくならないばかりか、近視の度が進むと云う、自分の目ながら全く理解に苦しむ構造になっています。
 メガネ屋さんの検眼の機械は、検眼を受ける人と検眼をする人が機械を挟んで坐るようになってます。その日は、店の若いベルギー人の女性が私の目を調べてくれました。私は云われた通りに、自分のアゴを機械のアゴ受け皿みたいな部分にのっけて顔を固定し、両眼を二つの穴にしっかりとくっつけました。
 機械の向う側から私の目を見ていたお店のおねえさんは、何やらカチャカチャと機械を操作していましたが、そのうち何と、“もっと目をあけて下さい”と云うではありませんか。私はびっくりしてしまいました。この世の中に、検眼に行って目を閉じるバカはいないでしょう。私は私なりに、それこそ自分の目を、目いっぱいにあけていたのです。
 そりゃあ、私の目は、お世辞にもバルビーちゃんのように、まつ毛の長いぱっちりしたお目ゝとは云えません。でも私は、日本で「目なし猿」なんて云うアダ名をもらったこともありませんし、この程度の目なら、日本中どこにでもある目だと思ってました。それが、こちらの人から見ると、半眼と云うか、十分にあけてないと見えるのです。
 これは、カルチャーショックと云うには大げさですが、西欧の人々がわれわれ東洋人の顔をどの様に見ているかを示唆するエピソードの一つではないでしょうか。こちらの漫画などに登場する日本人の顔は、メガネに、出っ歯か、メガネなしの場合、両眼は二本の細い線で片づけられています。一方、こちらのテレビで全盛を極めている日本製アニメの主人公達は、みんな彫りの深い、まつ毛の長い西洋人風の顔立ちで活躍しています。それを見ているヨーロッパの人達は、本物の日本人の顔とアニメの主人公達の顔の間に、何の関連性も認めていないのだと思います。
 もう一つショックな話。以前に、メガネの鼻にひっかかる支えの部分を直してもらいに行った時、メガネ屋のおじさんに、“日本人の鼻は、無いみたいなもんだから”と云われたことがあります。このおじさんの言いたかったのは、“われわれ西欧人の鼻に比べれば”、と云うことだったのでしょうが、やっぱりちょっとショックでした。確かにこちらの人の高い鼻梁に比べれば、われわれの鼻は無いに等しいものなのかも知れません。
 それにしても、日本語の中に、「鼻が高い」、とか「鼻を折る」とか云う表現があるのは何故なのでしょうか。日本人は、昔から鼻すじの通った高い鼻にあこがれてきたのでしょうか。われわれの祖先も、美醜の基準を鼻の高低においていたのでしょうか。「目から鼻に抜ける」と云う表現も、何となく鼻すじの通った賢こそうな人の顔を想定しているように思われます。眠ったような目と団子鼻の顔に、この表現は似合わないんじゃないでしょうか。
 大きな目、長いマツ毛、高い鼻をもった彫りの深い顔を特徴とする西欧人が、16世紀以来、そう云う顔をもたない人々の国や土地を次々と侵略し、植民地化して、世界に覇を唱え得た理由は何だったのでしょうか。
ペルーのインカ帝国を滅ぼしたピサロなど、たった180人の兵力しかもってなかった、と云うではありませんか。
 勿論、当時の西欧諸国が兵力、火力、航海術などの分野で、地球上の他の地域より一歩先んじていたのが主たる理由であることは、間違いのないところです。しかし、私にはもう一つの別の理由があるような気がします。それは西欧人の顔です。皆さんは、最初、こちらの人の顔を見て、何となく頭がよさそうで、自分より優れた人間であるかのような印象をもったことはありませんか。
 私はベルギーに来て、ベルギー人の間で生活を始めた当初は、周りの人間がみんな自分より賢そうに見えて仕方がありませんでした。言葉が分からなかったと云う理由もありますが、あの彫りの深い顔付きに何か気圧されるものがありました。もっとも、ちょっと時間がたったら、ベルギーにも日本と同じく訳の分からない人もいるし、必ずしも尊敬に値いしない人もいることが分かってきました。これは考えてみれば当たり前のことですが、人間は人の顔かたちから、かなりの影響を受けると云う証拠かと思います。それと、こちらに来た当時、驚かされたのは、こちらの人の鼻をかむ時の音でした。ハンカチを鼻に当てて、まるでラッパのような音を出して鼻をかむのです。鼻腔の容量と空気の出入り口になっている鼻の孔の広さの違いなんでしょう。われわれがどう頑張ったってあんな音はでません。
 インカ帝国や、アフリカや、アジアの人達が、武器をもった西欧人を見た時、武器の威力もさることながら、あの顔に一種の畏れを抱いたのではないかと、私は想像するのです。そして、彼らが、西欧人もわれわれと同じ欠点をもった人間なのだと知った時は、もう植民地化されていたのです。
 一時、「顔のない日本人」と云う表現が欧米の人達から出されました。これは、自分の考えをはっきり言わず、何を考えているのか分からない日本人と云う意味のようですが、私は、われわれの顔体がこの表現の土台の一つになっていると思ってます。つまり、欧米の人達がわれわれの顔を見ても、賢いのか阿呆なのかつかめない、そういう苛立ちがこの表現に込められていると思うのです。
 最近の日本では、顔立ちをよくするために、整形手術を受ける男性が増えてるそうです。でも、余り顔立ちがはっきりし過ぎると、バカさかげんが隠しにくくなりますから気をつけた方がいいと思います。
 余談ですが、日本でお母さんが幼児の鼻をかんでやる時、“ハイ、チーンして”と云いますが、あれは日本人の鼻が低いからでしょうか。こちらのお母さんは子供に何て云うんでしょうか。“ハイ、ラッパのような音を出して”とでも云うんでしょうかね。

No.55. 鍋と湯気の文化

No.55. 鍋と湯気の文化



 暗くなってきました。寒くなってきました。待ちに待っていた人はいないでしょうが、ベルギーの冬が今年もやってきました。雲天と氷雨の日が多くなり、日照時間も日に日に短くなるベルギーの冬、みんなに嫌われるベルギーの冬、かわいそうなベルギーの冬がやってきました。
 私は、かわいそうなベルギーの冬に同情する余り、ベルギーの冬が好きになってしまいました。“同情がいつしか愛にかわり”と云う、よくあるパターンです。どんより曇った空も、よく見ると実にさまざまな表情を見せてくれます。雲の流れは、刻々と変化します。ベルギーの空の雲は、ベルギーにだけ留っている訳には行かないのです。シェンゲン協定に関係なく、ヨーロッパ各国の空を自由に動き回っています。通常はイギリスの方から来て、北東部からロシア方面へ去るのが道筋のようです。
 木の葉がすっかり落ちた木立ちの足元には、青々とした芝生が広がっています。このコントラストもこの国の冬のならではの風景でしょう。冬空にすっきりと立つ裸の木々の姿には凛凛しさえ感じます。ことに、長い間開墾の斧を寄せつけず、ヨーロッパの森を支配してきたブナの大木には、歴史を語る古老の風格があります。又、暗い空に向かって孤高を誇示するかのように、じっと木の枝に止まっている小鳥の姿には、生命の力強さを感じさせられます。
 長い夜は、本を読んだり、己れの来し方、行く末を考えるのにいい機会ではありませんか。だいたい、偉大な哲学者は、冬の長い北ヨーロッパから出ています。手を伸ばせば、たわわに実ったバナナがすぐ手に入るような国からは、哲学者は出ていません。
 しかし、何といってもベルギーの冬の楽しみは、おいしい食物でしょう。ムール貝も生ガキも最高においしくなります。ジビエも旬をむかえます。街角のゴーフル屋さんで買って、歩きながら食べるゴーフルも、冬の方が断然おいしいのはどうしてなのでしょうか。いいワインを抜くのはベルギーの冬にかぎる、というのは私は持論ですが、ワインの色を見るのにも、味を試すのにも、何故かベルギーの冬の光と空気がぴったり合うのです。皆さんも、この冬とっておきのワインを開けてみて下さい。ベルギーの冬のよさが必ず分かります。
 ところで、ベルギーの冬に欠けているものが一つあります。それは鍋です。鍋と云うか、鍋物が欠けています。われわれ日本人は、冬になり、寒くなってくると、何故か鍋物に恋をします。ヨーロッパにも鍋物が全然ないとは言えませんが、日本の鍋物の多様さに比べたら、問題になりません。
 こちらの鍋物と云えば、チーズフォンデュかミートフォンデュぐらいでしょう。パエラは鍋で作りますが、皆でつつき合う訳ではないので鍋物とは言えません。第一パエラを皆でつついたら、エビや貝などの狙い目の具がすぐになくなり、最後には血の雨が降る大喧嘩になるでしょう。
 その点、日本の鍋物の種類の多さはどうでしょう。すき焼き、しゃぶしゃぶの有名銘柄に始まり、寄せ鍋、鴨鍋、たらちり、てっちり、水たき、あんこう鍋、かに鍋、石狩鍋、等々の外に、各家庭独自の鍋物を入れたら、このページに書ききれない程の鍋物があります。
 余談ですが、すき焼きはどうしてすき焼きと呼ばれるのでしょうか。この件に関して、東海林さだおさんが厳しい問題提起をしています。熱した鉄鍋で焼くのは脂身と最初の肉片だけで、その後は野菜の水気やワリシタで汁状になっている鍋に、肉や野菜やシラタキを投入して食べていくのがすき焼きです。つまり、ほんの出だしに数片の肉を焼くからと言って、これを全体の名前にするのは学歴詐称とまではいかなくても、料理名詐称に当たるのではないでしょうか。ですからこの際、すき焼きは東海林さだおさんが言うように、“すき煮”と改名すべきだと思います。ただ、“すき煮”と聞くと、余りおいしそうではないのが問題です。
 西欧の料理文化が鍋物の分野でゼロに近いのに反し、日本人は何故これ程までに鍋物に入れ込んできたのでしょうか。一つの鍋を囲んで和気あいあいと食べる時、自分の仲間、或いは会社、家族や共同体への帰属意識に心地よくつつまれ、心が開かれ、話が弾みます。それに、個々に料理すると結構面倒な材料も、鍋に放りこめば、そこそこの料理になる訳ですから、或る意味では非常に便利な料理法でもあります。
 一方、鍋を通じて一つの物を皆で作ってゆく共同作業意識も、日本人に合っているのかも知れません。そして、鍋物をやる時には、共同作業の指揮をとり、全体の動きを統括する人間が必ず現れます。いわゆる鍋奉行です。この鍋奉行は、料理の進行状況、材料の投入時機、味の濃淡、会食者の動きなどをよく把握し、場合によっては瞬時に適正なる判断を下す能力が求められます。“ハイ、阿部ちゃん、ちょっとワリシタ足して”、“吉田、シラタキと春菊を入れてくれないか”“ダメだよ、シラタキを肉のそばに置いちゃ”、“斉藤、お前さっきから肉ばっかり食ってるな。他の物も食え、このう”、“何?火が強すぎる。課長、すみません、ガスをちょっと細くしてもらえますか”等々、鍋奉行は大変なのです。ですから能力のない人間がしゃしゃり出て鍋奉行になっても、たちまち共同体から
排斥されます。鍋奉行になるのは、なまなかの会社の経営者になるよりも難しいのです。
 鍋物に湯気がなかったら、その魅力は半減します。湯気は人の心を和やかにし、或る種の幸福感を与えてくれます。鍋を囲むお父さん、お母さん、それに子供達の顔が上気し、艶がよくなるのは、鍋から立ちのぼる湯気の効用なのです。時によると、お父さんのめがねが湯気で曇ってしまうこともありますが、それはそれでお父さんに、“うん、オレも家族と鍋物を食える身分になったか”と、ひそかなる満足感を与えてくれるのです。
 われわれ日本人は、世界の文化史上まれに見る湯気好き民族と云っていいでしょう。熱いラーメンのどんぶりをかかえて、立ちのぼる湯気をフーフー吹きながら、二度三度麺を箸で上下させた後、ズズーと食べるあの喜びは何にたとえられましょうか。その点、こちらのスープを食べる時は、フーフーもズズーも許されません。敢えてやれば、エチケットを知らない田吾作めと、周囲の人々の白い目にさらされるだけです。
 西欧の人々が猫舌なのは、われわれのように幼い時から鍋や湯気の文化にふれて来なかったせいだと思います。食事中に音を立てないと云う西欧のマナーの大原則が、鍋物やラーメンや熱いみそ汁の存在を許さなかったのでしょう。不幸な歴史と云うべきなのでしょうか。
 こちらのレストランに行って、熱いから気をつけて下さい、と言われることがありますが、それはお皿が熱い時だけで、料理そのものが熱い訳ではありません。西欧料理は常に食べる人にやさしく出来ています。料理は、それを口に入れた時、すんなりと受け入れられる温度で出されます。西欧の文化は料理も含めて、いつも人間が主体になっているのです。
 この点日本人は、食物に対して、熱いものは熱いままに、冷たいものは冷たいままに食べるという原則をしっかりと守ってきました。つまり料理が主体で、人間がそれに合わせて行こうと云う姿勢なのです。こちらの人に、まだふつふつと煮立っている鍋焼きうどんをもってきたら、傷害罪で訴えられるかも知れませんが、日本人にはこれがたまらない魅力になります。舌を多少やけどしようが、口に入れた麩のシンがまだ熱くて、ハフハフ言いながらのみ込んで、涙が出ても、われわれ日本人はこの熱さを尊としとします。ここでも疑問がありますが、鍋焼きうどんはどう見ても焼いた形跡がないのに、どうして鍋焼きうどんと云うのでしょうか。“鍋煮うどん”と云うべきじゃないんですか。或いは焼ける程熱い鍋に入っているから鍋焼きと云うのでしょうか。
 さるホテルのマネージャーから聞いた話ですが、ホテルのお湯の温度の評価で、日本人とこちらの人の間にはっきりした違いがあるそうです。熱いお湯に入るのが好きな日本人には、ホテルのお風呂の蛇口から出てくるお湯の温度では物足りないのだそうです。温度を上げてくれと云われても、ホテル全館の給湯システムをかえなければならないので、お断りするしかないのですが、逆に温度を上げた場合、今度はこちらの人から火傷させるつもりか、とコンプレインが来るのだそうです。ま、これはホテルのお風呂で、湯気もうもうたる温泉気分を味わおうと云う方が、間違っていると云うべきでしょう。
 “冷めたピッザ”と云うあだ名をもらった総理大臣がいましたが、食べる物に適温があることは世界中の料理に共通して云えることです。そして、その奥にはそれぞれの料理を作ってきた民族の文化や歴史的背景が隠されています。われわれ日本人が鍋物や湯気が好きなのは、日本人の精神の土台になっている村落共同体意識が強く影響しているからだと思います。
 長い間日本人の生活の中心であった稲作は、有効な水の利用と、決まった時期に集中的な労働力を必要としてきました。自分の田んぼに引く水も、村落共同体の合意なしには出来ません。田植えや収穫の時は村総出で作業を行います。オレはやらないよと云うのは許されません。
 皆で作りながら一緒に食べる、少ない物でも分かち合って食べる。これが鍋物の基本です。すき間風の入る貧弱な日本の家の中でも、鍋の周りは暖くなります。立ちのぼる湯気は人々の心も暖くしてくれます。そして同じ釜で炊いたご飯を皆で食べます。こうして人々の村落共同体意識はさらに強まって行くのです。
 これは、麦を作り、パンを焼いて食べてきた西欧の人々にはちょっと理解の難しいところかも知れません。麦作に灌漑用の水の共同管理の必要はありません。村のパン焼き窯で使用料を払って焼いたパンを食べても、同じ釜のメシを食ったと云う気持にはならないでしょう。
 2000年を迎えるベルギーの冬を鍋物で乗り切るか、いいワインを開けて楽しむか、どちらもいいと思います。それにしても、ブリュッセルやアントワープの街角に屋台のラーメン屋とかおでんの店があったらどんなにうれしいことでしょう。氷雨に打たれ、身も心も冷え切ってとぼとぼと歩いてる時、ブリュッセルのグランプラス近くの路地裏や、アントワープのカテドラル近くの古い街角にラーメンの屋台のちょうちんが見えます。砂漠でオアシスに出会った気持で屋台の固い椅子に坐ると、湯気がすっと顔をなでに来ます。何と幸せな瞬間でしょうか。この気持は日本人じゃないと分からないでしょうね。
 どなたか、2000年を記念して、ラーメンの屋台かおでんの屋台を、ブリュッセルかアントワープに出してみようと云う方はおられませんか。日本人会々員が一丸となってバックアップすることは間違いありません。但し、ラーメンもおでんも、味が悪かったらダメですよ。なにしろ、ベルギーの日本人会々員は目茶苦茶に舌が肥えてますから。
 今年も「新ベルギー物語」のご愛読有難うございました。よいお年、2000年をお迎え下さい。