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No.56 2000年と三つの誓い

No.56. 2000年と三つの誓い



 明けましておめでとうございます。2000年もよろしくお願い致します。
 2000年と云う年を、特別な年として受け止めるか、通常の年替りとして受け止めるか、人それぞれの受け止め方があると思います。
 私の場合は、2000年はやっぱり意味のある年として受け止めたいと思ってます。何故なら、人は時間の流れの中で、いつも区切りを必要としているからです。誕生日や、結婚記念日、出会いの記念日、サラダ記念日、会社の創立記念日から建国記念日まで、人々は一生懸命記念日をつくってきました。長い歴史の中で、つかの間にしかこの世の生を全うできない人間は、いつも時間の流れにさおさすように、自分の存在を時間の流れの中に刻み込もうとして、記念日や祝祭日をもうけてきました。
 2000年も、この記念日の延長線上にあるのではないでしょうか。分かっている限りの宇宙の歴史からみれば、2000年間など一瞬の時間の流れに過ぎません。その一瞬の出来事の中に、自分の存在を刻み込もうとする哀れな人間の一人として、素直に2000年を祝いたいと思ってます。
 ヨーロッパに住んで2000年をを祝うわれわれとして、もう一つの節目であったヨーロッパの1000年目に思いをはせることは無駄ではないと思います。紀元2000年とか紀元1000年とか云うのは、ご承知の通りキリスト誕生の年を起点として数えています。実際にキリストが生まれた年を確定するのは難しいようですが、西暦を示すADは「Anno Domini」と云うラテン語で「主の年」と云う意味です。
 西暦年号はキリスト教文明が世界の歴史の中で果たした最大の役割の一つだと思います。キリスト教を認めようと認めまいと、西暦を使わずに世界中の人とお付き合いをすることも、世界のビジネスの仲間入りをすることも不可能です。日常生活も、西暦なしにはひどく不便なことになります。
 紀元1000年代のヨーロッパはどうだったのでしょうか。まず紀元1000年を迎えるに当たって、人々は1000年と云う区切りのよい年に、この世の終りが到来し、最後の審判が下されると信じ、恐怖におののいていたと、後世の歴史家は伝えています。つまり「千年恐怖説」ですが、これは中世を暗黒時代として、その価値を否定することに一生懸命だったルネッサンス期の人々の空想の産物だったようです。
 11世紀のヨーロッパをながめて見ると、三つの大きな勢力圏がありました。一つは、ローマ教皇の権威を頂点とする東フランク(現ドイツ周辺)西フランク(現フランス周辺)イタリア、ロタリンギアなどの西ヨーロッパ世界。もう一つは押し寄せるサラセン軍と死闘をくり返しながらも、コンスタンチノープルを帝都としてその権威を保っていた東ローマ、ビザンツ帝国。そして三つ目は、紀元610年に25才のベドウィン人の青年、マホメッドが天啓を受けて布教ののり出したのをきっかけに、その後、驚くべきスピードで北アフリカから中東、地中海諸島、イベリア半島、ビザンツ帝国領を蚕食し、一大帝国となっていたサラセン帝国でした。
 紀元476年に西ローマ帝国が亡びた後、西ヨーロッパではゲルマン諸王国の建国が続きました。そして、この群雄割拠のヨーロッパを統合し、現在ヨーロッパと呼ばれる世界を誕生させたのがカール大帝でした。私たちのいるベルギーに近いアーヘンに宮廷をおいたカール大帝は、剛勇無双の王様で、大剣をふるって、甲胃に身を固めた騎馬の敵将を頭から馬まで空竹割にしたという伝説が残ってます。一方、教育にも熱心で、ヨーロッパの学校制度の祖とも云われています。余談ですが、1フィート(33センチ)という単位は、カール大帝の足の長さから来たと云う説があります。
 皆さん、今度アーヘンに行く機会があったら、アーヘンの大聖堂にあるローマ皇帝のシンボルであるカール大帝の玉座を見てきて下さい。又、アーヘンにはカール大帝を記念したヨーロッパ統合の礎の記念碑もあるそうですから、ついでに碑の前で記念写真でもとってきたらどうですか。何といっても私たちはヨーロッパ統合の中心、ベルギーに住んでいるのですから、カール大帝にあいさつしておくのも悪くはないでしょう。
 紀元1000年代のヨーロッパは、カール大帝の没後に分裂したそれぞれの王権が力を蓄え、ヨーロッパの封建制度が確立した時期でした。そして、それまでは何かと押され気味だったイスラム勢力に対して、ヨーロッパが初めて組織だった反撃に出た時期でもありました。イスラム勢力は軍事的に優れていただけではなく、文化的にも西側に優る面が少なくありませんでした。数学、天文学、化学、それに哲学などの分野で回教文化はキリスト教文化を圧倒していました。中世ヨーロッパの思想的土台となったアリストテレスの「存在論」などが、ギリシャ語からアラビア語に訳された上で西側に紹介された事実を見ても、コルドバのカリフの宮廷文化がどれ程高い水準にあったかが分かると思います。
 11世紀のヨーロッパは、ヨーロッパの成熟期の始まりでした。それでは、西側の東側への反撃とは何だったのでしょうか。それは十字軍でした。1095年に時のローマ教皇のウルバノ2世が、今のフランスのオーベルニュ地方にあるクレルモンフェランに召集した宗教会議で、集まった司教や諸侯を前にして行った演説が、十字軍の発端でした。ウルバノ2世は、“私的闘争をやめ、聖地を異教徒の手から解放するために十字架をもって立ち上れ”と説き、全キリスト教徒の決起をうながしました。この演説は、後に「クレルモンの神秘」と呼ばれる現象を引き起こし、十字軍運動はりょう原の火の勢いでヨーロッパ席捲して行きました。十字軍が可能になったのは、それまで受け身だったヨーロッパが、初めて統一体として行動できるまでに成長していたからなのです。
 2000年のヨーロッパも、ヨーロッパの統合を実現し、再び統一体としての歩みを始めようとしています。もうちょっとしたら、ユーロのお札やコインも手に出来ます。ヨーロッパは1000年とか2000年の節目には、何故か統一体として動き出します。縁あって私たちはそのまっただ中に住んでいます。ここにいる間だけでも、ヨーロッパの人達と一緒に、統一体の歩みを共有してみたらどうでしょうか。ヨーロッパと云うか、ベルギーがもっと身近に感じられるかも知れません。
 さて固い話はこのぐらいにして、年の初めに当たり、私の誓いを皆さんにお話ししたいと思います。私は2000年を迎えるに当たり、以下の三つの誓いをしました。

  1、乗馬のジャンピングで1メートル以上飛ぶこと。そして美人のアストリッドに誉めてもらうこと。
  2、ゴルフで人様に余り迷惑をかけないでコースをまわれるようになること。
  3、大正リアップで髪の毛を増やすこと。

 1、の誓いはそんなに難しいことではなく、多分実現できるでしょう。今も60センチ~70センチのバ-なら問題なく飛べますので、2、3回の落馬を覚悟すれば1メートルぐらい何とかなると思います。ただ、美人のアストリッドが誉めてくれるかどうかは別問題です。
 本当は、1メートル飛んだぐらいでは、クラブでは自慢にも何にもならないのです。ただ、ジャンピングの下手なサミーが、1メートルも飛ぶのですから、もしかしたら美人のアストリッドが誉めてくれるのではないかと、かすかな希望を持っているわけです。人間は希望なしには生きて行かれません。“死に至る病い”は希望を持たないことだと、哲学者のキルケゴールさんも言ってるではありませんか。

No.57.  制服図鑑

No.57.  制服図鑑



昨年12月4日に行われたフィリップ殿下とマチルダさんの結婚式の模様を、テレビの
中継でご覧になった方も多いと思います。私もRTBテレビの定時ニュースやRTLテレビの
王室番組、「プラス ロワイヤル」特別番組で、当日の朝、マルチダさんがお父さんのデ
ュドゥケムダコーズ伯爵に腕をとられてブリュッセル王室を出るところから、グランプラ
スのブリュッセル市庁舎での民法上の結婚式、サンミシェル カテドラルでの宗教上の結
婚式、そしてパレード、ラーケン宮での結婚披露宴パーティの模様などを見ることができ
ました。
 それにしても、マチルダさんの気品に満ちた、優雅な物腰し、つくりものではない心か
らのほほえみ、式に参列している世界中の王族、政府代表を前にしていささかも物おじす
ることのない自然な態度には、感心させられました。彼女が、ついこの間まで一市民とし
て、発音障害などをもつ子供達のための言語矯正士として働いていたことが、信じられな
いぐらいでした。生まれながらのプリンセスといってもいいマチルダさんの態度を見なが
ら、ヨーロッパの名門の貴族の血というものは、こういうものなのかと、改めて感心させ
られました。
 一方のフィリップ殿下はといえば、式の間中ガチガチに緊張し、日頃よりさらにぎこち
ない態度が目立ちました。マチルダさんの自然で優雅な物腰とは好対象でした。フィリッ
プ殿下の身体にもヨーロッパの王家、名門貴族の血が少なくとも5つは流れているのです
が、持って生まれた性格はいかんともし難ったようです。
 結婚式のテレビ中継を見ていて、気がついたことがありました。それは、結婚式に参列
しているヨーロッパ各国王室の国王や又は女王名代の皇太子の礼装が、イギリスのチャー
ルズさんを除いて、全て軍服であったことです。第一、フィリップさんの結婚式の服装も、
ベルギー空軍の礼装でした。王族や各国元首がそろった写真を見ると、日本から列席した
浩宮殿下の背広姿が何か場違いな印象を与える程、軍服オンパレードでした。
 ヨーロッパの王室の正装が軍服であることには、歴史的背景があるのでしょうが、人は
何故、軍服に代表される制服を必要とするのでしょうか。制服は何故、これ程までに人に
好かれるのでしょうか。
 まず、世の中に制服と呼ばれるものが、どのぐらいあるのか、思いつくままに、制服が
義務づけられている職業をあげてみます。それは、軍人や兵士、警察官、全部ではありま
せんが、幼稚園児、小、中、高の学生、特に女子学生、看護婦、スチュワーデス、パイロ
ット、及び航空会社の空港勤務職員、民間企業の生産ライン勤務者、各種スポーツ選手、
消防士、法廷の裁判官や弁護士、神父、修道女、板前、料理人、高座の落語家、などが思
い浮かびます。これに舞子さんや芸者、太鼓持ちなども入れるのでしょうか。又、職業で
はありませんが、フォーマルなパーティやディナーの際に義務づけられる、男性のタキシ
ード、女性のドレスも一種の制服と見なしていいかと思います。
 王族の正装が軍服であることの歴史的背景をさぐってみると、それは力の象徴、軍事力
をあらわしていると思います。洋の東西を問わず、かつて王が君臨することは統治するこ
とを意味していました。統治することは軍事力を持つことでした。現在のヨーロッパの王
制は、“君臨すれども統治せず”とする、立憲君主制のもとに成り立っていますが、権威
の象徴としての軍服だけはしっかりと残っているようです。
 従って、或る種の制服は、それを身にまとっている人間のうしろにある権威をあらわし
ています。軍服や警察官の制服はその典型でしょう。法廷の裁判官や弁護士の制服も同じ
カテゴリーに入ります。弁護士の制服といわれてもピンと来ない方は、住んでいる都市の
裁判所の近くを散歩してみて下さい。黒い法衣に、先が白くなっているマフラーのような
物を肩から垂らして歩いてる人を必ず見ることができます。その人が、制服を着た弁護士
さんです。もっとも、弁護士の制服はヨーロッパだけの伝統かも知れません。
 ヨーロッパの歴史には、王権を凌駕する別の権威がありました。それは、カトリック教
会の権威でした。従って、ローマ法王を頂点とするカトリック教会の聖職者の法衣も、王
族の軍服に劣らない多彩な形で残っています。
 皆さんも、現法王ヨハネパウロ二世の姿はテレビや新聞でご覧になったことがあると思
います。クイズです。カトリックの聖職者で、あの白い法衣が許されるのはローマ法王だ
けでしょうか。当たった方には何もあげませんが、答えは、ローマ法王以外にも白の法衣
の着用が許される司教がいます。それは、数あるカトリックの修道会(上智大学を経営し
ているイスズス会もその一つです)の中の、ドミニコ会出身の司教です。教会の歴史上、
ローマ法王として最初に白の法衣を着たのがドミニコ会出身の法王だったからです。ま、
どうでもいいですかネ。こんなクイズは。
 制服の存在理由の一つが、権威の象徴であるとするなら、もう一つの存在理由として便
宜性があげられるでしょう。スポーツ選手のユニフォームなどは、この便宜性なしには考
えられません。野球選手のユニフォームでサッカーをやれと言われたら、さぞかしやり難
いことでしょう。又、水泳の選手があのかっこうでラグビーをやれと言われたら、大いに
困惑すると思います。我田引水的で恐縮ですが、乗馬の際に着用する乗馬用のキュロット
やブーツは、短脚を長く見せるためにあるのではなく、乗馬に最も適しているが故に着用
するのです。
 制服の存在理由の三つ目として、制服のもつ美的要素があげられます。看護さんやスチ
ュワーデスさんの制服は、働く上での機能性が考慮されていることは勿論ですが、美的要
素が十分に取り入れられていることは、皆さんご承知の通りです。看護さんの清らかな白
衣は、病患に苦しむ人々のいる病院に光を与え、雰囲気を明るくしてくれます。一方、航
空会社が、場合によると一流のデザイナーに依頼してつくるスチュワーデスさんの制服は、
航空会社ごとに特徴があり、まさに百花りょう乱の趣きがあります。
 聞くところによると、日本にはスチュワーデス制服図鑑なる月刊誌があるそうです。誰
が買うのかといいますと、スチュワーデス志望のお嬢さんやお姉さん達が第一の購読者で、
次がスチュワーデスの制服に憧れるお兄さん達で、中にはどう見てもおタク風のお兄さん
もいるらしいです。
 皆さんは、どこのエアーラインの制服が好きですか。制服などどうでもいいという方も
いるでしょうが、一応の好みはあるんじゃないでしょうか。私の場合、何といってもシン
ガポールエアー、SQの制服が一番だと思ってます。あの民族衣装をアレンジした制服は、
女性の身体の線の美しさを最もよくあらわしています。
 謹厳実直をもって鳴る日本人会々報に、このような話を書いていいものかどうか、非常
に迷ったのですが、お叱りを覚悟で書いてみることにしました。それは、私がシンガポー
ルエアーに乗った時、同航空のスチュワーデスの制服のおかげで、地獄の苦しみを味わっ
た話しです。
 聞いたことがあるかも知れませんが、シンガポールエアーの乗客の中にはまれに不心得
者がいて、スチュワーデスさんのお尻にさわる輩がいるのだそうです。これは身体の線が
くっきりと出る制服にも原因があるのでしょうが、そこはSQも心得たもので、こういう
不心得者には1000シンガポールドルの罰金が課されます。
 私がSQに乗った時、私の座席の上のライトの具合が悪かったので、スチュワーデスさ
んに来てもらいました。事情を説明すると彼女は、「ハイ分かりました」と言って、背を
伸ばしてライトをいじり始めました。それはいいのですが、その時のスチュワーデスさん
の身体の位置が私にとって誠に具合の悪い状況になってました。彼女はむこう向きになっ
て、坐っている私の目の高さにお尻をつき出すようにして作業をしているのです。しかも、
なかなか直らなくていつまでも作業をしています。その間私は、心の中で“1000ドル、1000
ドル、1000ドル”ということばを呪文のように唱えながら、しっかりと腕を組み、この
苦難に耐えました。
 制服の存在理由の四つ目として、制服を着ることによって、“それらに見える”効果が
あることです。軍人さんは軍人らしく、女子高校生は女子高校生らしく、レストランのシ
ェフはシェフらしく見えてきます。そして、制服はそれを着ることによって、制服によっ
て代表される職業や身分に向かって着る人の心を準備させてくれます。
 さて、世界で制服の一番多い国はどこでしょうか。私は、日本ではないかと思っている
のですが、皆さんはどう思いますか。皆さんは、ベルギーで幼稚園児の制服を見たことが
ありますか。小学生や中学生の制服を見たことがありますか。女子高校生の制服を見たこ
とがありますか。ないでしょう。当り前です。そもそも制服がないのですから。昔は、ベ
ルギーにも制服がありましたが、次第に姿を消してしまいました。
 日本に行ったこちらの人が制服の多さに驚き、日本は全体主義国家なのか、と言ったと
かいう話しも伝わっているぐらい、日本は制服だらけの国なのです。そういう制服の国で
育った若者は、ズルソックスといえばズルソックス、茶髪といえば茶髪と、何でも制服的
一律性でしか自分の装いができなくなっています。
 一方、最近の日本の若いサラリーマンの服装も、これ又制服的なのに驚かされます。黒
に近いダークの三つボタンの背広に、同系統色のシャツとネクタイと、まるで判で押した
ように同じ服装をしています。個性もへったくれもありません。いくつになっても制服か
ら抜け出れない従順な国民ほど、支配者にとって都合のいい国民はないと思います。
 日本人をここまで制服国民として飼いならしたのは誰なのでしょうか。裏で糸を引いて
いるのは誰なのでしょうか。考えてみると、恐ろしいですネ、日本という国は。

 2、のゴルフですが、これは“死に至る病い”的状況で、余り希望が持てません。前に「ゴルフ事始めの記」なる文を書きましたが、その後も絶望的状態が続いています。道具を売り払って、きれいさっぱりゴルフとは縁を切ろうと思ったこともありますが、或る方のひと言がきっかけで続けることにしました
 或る方とは、Vilvoordeに会社があるM社のAさんですが、Aさんは私のゴルフの腕がどの程度か知らなかったらしく、或る日、一緒に回りましょうとゴルフに誘ってくれました。よせばいいのに、私もお誘いにのって、のこのことコースに出かけて行きました。結果は言わずもがなの惨憺たるものでした。Aさんは90台から80台で回る人ですから、私などを相手にしたらとんでもない迷惑をこうむることがよく分かったようです。
 クラブハウスでビールを飲みながら、Aさんはしみじみと私に言いました。「神藤さんね、もの事には向き、不向きがあるのよ」と。私はこのひと言を聞いて、ゴルフを続けようと決心しました。いつの日か、Aさんに、「神藤さん、続けてよかったね」と、言ってもらうために、2000年もコケの一念で、練習に精を出すつもりです。

 3、ご存知ですかこの薬。話題になったVのつく薬と並んで、この薬は20世紀最大の発明の一つだそうです。この薬のお陰で大正製薬は増収に次ぐ増収で笑いが止まらないらしいです。もともとは心臓病の薬だったようですが、使った患者の頭髪が増えてきたと云うので、養毛剤として、発売されました。
 私の父は、80代で亡くなるまで白髪の殆どない黒々とした髪の人でした。一方、母は女性としては頭髪の薄い人でした。私は父の黒髪をもらったのはいいですが、母の髪の毛の性質ももらったらしくて、若い頃は豊かだった髪の毛が、年と共に薄くなってきました。
 別にこう云う頭でもいいのですが、折かく大正リアップなる薬があるなら一度試してみようと思うのです。すでに使い始めてますが、効果が出るまで6ヶ月ぐらいかかると云うことで、今の所格別に変った徴候は見られません。勿も大正製薬は、薬の説明書の中で、「この薬は誰にでも効く訳ではありません」と、逃げをうってますので、効かなくても製薬会社を訴える訳にはいきません。ま、とにかくやってみますので結果を見て下さい。
 三つの誓いに仕事関係が一つも入ってませんが、これはこれでいいでしょう。仕事も大事ですが、仕事と同じか、それ以上に大事なことが世の中には沢山あります。2000年も楽しく行きたいものです。

No.58. Sans Papier(サン・パピエ)

No.58. Sans Papier(サン・パピエ)


                                               「新ベルギー物語」のタイトルに横文字を使うことを、極力避けてきました。日本語の文章に横文字を使うのは、本当に仕方がない時だけと決めています。しかし今回は、この横文字が事実を一番よく表現しているような気がして使うことにしました。個人的には日本語の会話や文章に、やたら横文字を使う事は好きではありません。
 勿も、最近の日本語には外国語が沢山入り込んでいますので、それを理解しないと会話が成り立ちません。外国に住んでいるわれわれが、日本語の中で使われてる外国語が分からないという、奇妙な現象さえ見られます。
 自分が、どうしてこんなに日本語にこだわるのか、考えてみるのですが、これは一種の劣等感なのかも知れません。外国に長く住んでいる事実からくる、ひけめなのかも知れません。“あいつは外国ボケして、ちゃんとした日本語もしゃべれない”などと言われたくないのです。言葉は文化の土台です。民族の魂といってもいいと思います。
 ベルギーのフラマンとワロンの対立も、根は言葉にあります。フラマンの極右政党が言う、“フラマン民族の血”など笑い話しです。祖先をたどったら、スペインやオーストリアやフランスや、その他もろもろの血が出て来るのが、ベルギー人なのです。髪の毛の黒いフラマン人が沢山いる事実を極右政党のメンバーはどうやって説明するつもりなのでしょうか。
 私は、自分にとって非常に大切と思っている日本語をちゃんと話して書くために、自分なりの努力はしています。まず日常は、硬軟とりまぜて日本語の本の乱読に努めています。又、日本人の心の故郷と考えている寅さんの世界にひたるため、「男はつらいよ」48巻のビデオを繰り返し見ています。日本に帰った時は、葛飾柴又の帝釈天にお参りにも行ってます。そして、たまにカラオケに行って日本の演歌なども歌ってます。ですから、もし皆さんの誰かが、カラオケで歌っている私の姿を見ることがありましたら、“あゝ、神藤もつらい修業に努めてるな”と、温かい目で見守ってやって下さい。そして、私などとても口にできない高級ウィスキーの水割りの一杯も、おごってやって下さい。
 さて、前置きが長くなりましたが、標題「サン パピエ」とは何でしょうか。直訳すれば、「紙なし」の意味です。これはフランス語独特の言い方なのか、他の欧米語にもこの言い方があるのか、私は知りません。要するに、不法滞在者のことです。滞在許可の紙を持ってない人の意味です。
 ご承知の通り、どこの国でもその国に長期滞在するためには、滞在許可、つまりビザが必要です。滞在目的が仕事である場合、別途、労働許可が必要になります。皆さんの中には、この労働許可やビザ取得で苦労された方もいるかと思います。でも、大多数の在留邦人の方々は、これらの書類をきちんと整えており、サンパピエの人は極少数か例外的なケースでしょう。勿も、私の知ってる日本人の人で、パスポートだけで10年近くベルギーに住んでいた豪の者がいましたが、この人などは例外中の例外かと思います。
 皆さんは、ベルギーに住み始めてから、街を歩いている時、空港や駅、地下鉄やトラムの中、或いは他の場所で、警官から“パピエ シルヴプレ”と言われた経験はありませんか。フランス語が分かる人なら“紙を見せろったって、何の紙なのよ”、と戸惑ってしまうかと思います。こちらがきょとんとしていると、警察が“IDカードか、パスポートを見せて下さい”とつけ加えてきますので、何だその事だったのかと、男性なら背広の内ポケット、女性ならハンドバッグの中からIDカードやパスポートを取り出すことになります。
 法律の条文を見た事はありませんが、ベルギーの知人から聞いた話では、ベルギー人、外国人を問わず、この国に正式に居住するものは、自宅を出て公道に出る場合、IDカードの携行と現金20フランの所得が義務づけられているのだそうです。今どき20フランじゃ何も出来ませんから、この法律は変わっているかも知れません。この法律の起源はナポレオン法典だそうです。
 ただ、IDカードの携行の義務は事実です。皆さんは出張や里帰り、個人或いは家族旅行でベルギーを出たり、入ったりすると思いますが、くれぐれもIDカードを忘れないようにして下さい。パスポートだけでは駄目なのです。再入国の時、ベルギーに住んでいる事実が分かると、パスポートコントロールの所で係官からIDカードの提出を求められることがあります。知人の駐在員の方は、出張帰りにこのパスポートコントロールでIDカードの提出を求められ、たまたまもっていなかったため、別室につれて行かれるという経験をしました。通常はパスポートしか見ないからといって安心は出来ないのです。
 一枚のパピエ、紙切れに過ぎないIDカードを宝物のように思い、これを手にすることを夢見ている人達が、ベルギーだけでも何万人といます。この人達とは、滞在許可なしに住んでいる、いわゆる“サンパピエ”の人達です。EU加盟国全体の不法滞在者の数は、多分何10万人単位だと思います。そして、どこの国でもこのサンパピエには手を焼いています。どんなに取り締まっても、不法滞在者の数は減りません。それは、大雨で家の周りが浸水状態になった時、地下室に水がじわじわとにじみ出てくる、あの状態に似ています。
 どんなに目張りをしても、水の力には勝てない状態、これが不法滞在者、不法労働者の増加に悩む先進国の現状です。日本にも同じ問題がありますが、島国である日本の場合、出入国のチェックがやりやすいので、EU諸国より不法滞在者の数は少ない筈です。これが、EUのシェンゲン協定調印国の場合、ご承知の通り、国境のチェックがありませんので、取締りは一段と難しくなっています。
 アブラハムが約束の地、カナーンを目ざして、ウルの地を後にしたという故事を引き合いに出すまでもなく、歴史上、人々は常に移動を繰り返してきました。或る時は温暖な土地を求めて、或る時は豊かな牧草を求めて、或る時は貧困から逃れる為、或る時は宗教的迫害や戦乱を逃れて、人々は故郷を後にしました。
 EU諸国に不法に入ってくる人達の動機は何でしょうか。大多数の人は、少しでもましな生活、人間らしい生活を求めてだと思います。政治亡命を求める人もいますが、これは認められるケースが少なく、大多数は経済亡命なのです。
 ベルギーもサンパピエ問題の解決には困っている国ですが、ベルギー政府は今年の1月に思い切った措置をとりました。それは、入ってきてしまったものは仕方がない。当人の申請があれば、審査の上、規準に合えば滞在許可をあげようではないか、というものです。申請期間は1月中の3週間と期限を切りました。この結果、約35,000人以上の不法滞在者が申請を提出しました。この期間、ベルギーの国境では特別なコントロールがありました。何故なら、近隣諸国の不法滞在者がこのベルギー特別措置を聞いて、申請のためベルギーに入ってくる可能性があった為です。
 ベルギーの世論の一部は、政府のサンパピエ政策に必ずしも賛成していません。人々の言い分は、不法にベルギーに入ってきた人間に滞在許可をやっていたら、ベルギーは不法滞在者をさらに呼び込むことになる、不法滞在者の天国になってしまうというものです。こういう世論の後ろには、外国人排斥の感情が見え隠れしています。
 皆さんは、ベルギーに住んでいて、人種差別的な扱いを受けたことはありませんか。私はありません。ただ、最近当社の女性社員がブリュッセル市内で、ベルギー人というかフラマンの男性に“さっさと自分の国に帰れ!”と言われたことがあります。ベルギーの一部の人が同じ言葉を他の外国人にいうのは知ってましたが、いよいよ日本人も言われるようななったか、と驚きました。フラマンの極右政党、フラームス ブロックが、選挙の度に票を伸ばしてる事実と関係があるのでしょうか。
 オーストリアのハイダー党首が率いる極右政党が連立政権に入ったことで、EU各国は強い懸念を表明しました。ベルギー政府の対応を見ていて面白いと思ったのは、フランス語系とフラマン語系では、その対応に違いがあることです。フランス語系はルイ.ミッシェル外務大臣がベルギーとオーストリアの公的接触、文化交流、青少年の交流、奨学金などの凍結を実施する他、オーストリアへの観光旅行の自粛など、かなり強い対抗措置を発表しました。これに対して、フラマン側の反応は今一つ歯切れが悪い感じが免れません。これも、フラームスブロックの力を無視できなくなりつつあるフラマン政界の事情なのでしょうか。
 皆さんは経験がないでしょうが、私は昔、サンパピエの疑いで警察に寝込みを襲われたことがあります。勿論、滞在許可(ビザ)はもってベルギーに来たのですが、届けを出さなかった為に朝方の4時頃踏み込まれました。ベルギーに着いて2週間足らずだったので、あの時は本当にびっくりしました。
 ちょっと関係ない話しですが、早朝、警察が個人宅を訪問する理由として、“不倫の確認”があります。これは別居状態の夫婦が離婚の条件を有利にする為、相手が別の人と一緒にいる事実を警察に確認させるのです。ですから、早朝、家のブザーが鳴ってそれが警官だったら必ずドアを開けなければなりません。そして、朝の4時に二人の男女がサロンでお茶を飲んでいたとしても、警官は寝室に行ってベッドに手を入れてぬくもりを確認するのです。何ともえげつないやり方ですが本当なのです。
 万に一人もいないと思いますが、日本人会ゝ員の皆さんの中で心当たりのある方は、男性はジャケットにネクタイ着用、女性の方は出来るだけフォーマルな服装で夜を過ごされるようお勧めします。そして、ベッドは氷のように冷たくしておくことです。
 皆さんは不法滞在で寝込みを襲われるのと、不倫の確認で早朝起こされるのと、どちらがいいと思いますか。私はどちらもいやですが。

No.59. 飛行機の正しい乗り方について

No.59. 飛行機の正しい乗り方について



 皆さんは飛行機が好きですか。空港の雰囲気はどうですか。機内に入って、自分の席に坐った時の気持はどうですか。何となく高揚した気分になりませんか。華やいだ気分になりませんか。
 飛行機は、乗る人を短い時間で遠い未知の国につれてってくれます。知らない所へ行く不安と、未知の場所への期待が入り混った、そんな気持ちで飛行機に乗る人が多いのではないでしょうか。もっとも、しょっちゅう飛行機で世界中を飛び回っているビジネスマンの人達は、別かも知れません。これから立ち向かう難しい交渉ごとや、トラブルの解決のことで頭が一杯で、ロマンチックな気分や、華やいだ気分に浸っているヒマなどないかも知れません。
 さて、飛行機の正しい乗り方とは何でしょうか。だいたい、飛行機の正しい乗り方とか、正しくない乗り方とかがあるのでしょうか。「座席のシートベルトは離着陸の時だけでなく、飛行中も締めている方がよい」。これも飛行機の正しい乗り方の一つといっていいでしょう。しかし、私の考える飛行機の正しい乗り方とは、機内の人間関係をいかに良好に保つか、これなのです。
 機内の人間関係と云えば、自分の隣り近所の座席の人々、そして何と云ってもキャビンアテンダント、客室乗務員(日本語ではスチュワーデスとかスチュワードとも言うそうです)の方々との関係が最も重要なものになります。
 搭乗開始のアナウンスと共に、ノージングを通って、或いはタラップを上がって機内に入ることになります。搭乗機の入口では、客室乗務員の方々がにこやかにわれわれを迎えてくれます。この最初の出合いが大事なのです。ここで、以後の機内に於ける人間関係の基礎が固まるのです。
 皆さんは、搭乗機の入口で出迎えてくれる客室業務員の人にあいさつをしますか。しない、又はしたことないと云う方は反省して下さい。あなたは最初の出合いに失敗しているのです。
 われわれ日本人は、どうもこのあいさつが下手のようです。照れもあるのでしょうが、あいさつなんかしたら損、という顔で客室乗務員の方々の前を無言で通って行く人が多いような気がします。一方、゛オレ、飛行機に乗りつけてんだんかんね″、゛いちいちあいさつなんかしないんだかんね″と、ヘンなプライドをもってる人もいるみたいです。
 あいさつは簡単でいいのです。゛こんにちは″だけでもいいですし、゛お世話になります″でもいいのです。相手が外国人の客室乗務員の人だったら、゛Bonjour″とか゛Good morning″や゛Good afternoon″のひと言でいいのです。入口での長話しはしないで下さい。゛いやあ、わたしゃ、おたくの会社の大ファンでしてな。25年前に初めて欧州に来た時にお世話になって以来、そうですな、かれこれ30回はおたくの飛行機に乗ってますわ。時に、チーフパーサーの成田さんや羽田さんはお元気ですか″等々、入口でやられたら、後ろに並んでいる人達がいい迷惑です。
 最初の出合いで良好な人間関係の基礎を築いた後、機内の自分の席を探して坐ります。一人旅の場合、隣に誰がくるか気になります。男性の場合、長旅のご近所づき合いをする相手として、クラウディア シッファー級の美女とか、広末涼子ちゃん似の可愛い子ちゃんが隣の席に坐ってくれることを期待するかも知れません。女性の場合は、レオナルド デカプリオさま風の男性とか、木村拓哉君クラスの日本人男性との相席を夢見るかも知れません。
 だいたいに於いて、この期待や夢は実現しません。それはそれでいいのです。でも、隣に誰が来ようと、その人にひと言、゛こんにちは″を言うようにしましょう。このたったひと言で機内の人間関係はぐっとよくなります。窓側に坐っているあなたが、お手洗いに行きたい時、隣人はこころよくあなたを通してくれる筈です。
 隣人との友好関係確立の後、機内の生活を楽しく送るためには、客室乗務員の方々との関係が非常に重要なものになります。まず、やるべきことは何でしょうか。何もありません。何もしない方がいいのです。つまり、フライト中に客室乗務員の方々をわずらわさないのが一番いいのです。
 自分の席に坐る時、脱いだ上着の保管をお願いするぐらいならいいですが、手荷物を座席の上のストレージに入れるのを頼んだりしてはいけません。赤ちゃんづれのお母さんや、お年寄りの方は遠慮なく手助けを頼んでもいいでしょうが、それ以外の人は自分でやって下さい。いい年をした男性がうら若き(うら若くない人もいますが)客室乗務員に荷物を持上げさせるなど言語道断です。日本人の恥、大和民族の恥です。万死に価します。
 やがて、機内の救命装置、救命用具の説明があります。最近は機内のテレビでこの説明を流す航空会社がありますが、まだ客室乗務員の人達がパントマイムよろしく救命装置や用具の説明をする会社も少なくありません。
 皆さんはこの説明をちゃんと見て聴いてますか。一生懸命やっている客室乗務員の方々に敬意を表するためばかりでなく、自分の身の安全のためにも説明はちゃんと見て聴いた方がいいと思います。中には、゛オレ、飛行機に乗りつけてんだかんね。そんな説明全部知ってんだかんね″、という態度を見せて、新聞などを読んでいる人もいます。こういう人に限って、救命用具をふくらませるために引っぱるひもは、強めに引っぱる必要があることなど知らないのです。
 安定飛行に入ると、飲み物や食事のサービスが始まります。食事は機内の楽しみの一つですので、各エアーラインとも、いろいろと工夫を凝らしてます。しかし、機内食の基本は、チンした解凍食であるという事実を忘れない方がいいと思います。過大な期待はしない方がいいのです。
 以前に、私の乗った日系の航空会社の飛行機の機内で、スジ者風の日本人男性が、若い客室乗務員の人に゛茶漬けを食いたい″といってゴネてました。乗務員のお嬢さんは困ってチーフパーサーのところに相談に行きました。すると、年配の男性チーフパーサーが問題の乗客の所に来て、゛お客さま、申し訳ございませんが、当機にはお茶漬けの材料を搭載しておりません。ご希望にお答えできません″と、ピシャリと言ってその場を収めました。私はそのチーフパーサーの毅然とした態度に感心しました。機内で出来る食事の可能性は、極めて限られているという事実を忘れない方がいいでしょう。
 次に、和食と洋食の問題があります。機内に乗客の数の分の食事は積んでますが、和食と洋食の比率が、乗客の希望に合わない場合があります。ですから、和食が食べたいのに洋食しか残ってないという状況も出て来ます。これでゴネる乗客がいて、客室乗務員の人も困るらしいです。別に命にかかわる訳ではないのですから、頂けるものを食べたらいいと思うのですが。昨今の航空券の値段を見たら、食事が出るだけでも航空会社さんに感謝しなければならないと、私などは思ってます。
 私の場合、客室乗務員の方に、゛一応和食がいいですが、足りないようだったら洋食でも何でもいいです″、というようにしてます。そうすると、客室乗務員の人達の私を見る目が違ってきます。何と理解のあるすばらしいお客さまなんでしょうと、尊敬と感謝に満ちた眼差しで私を見つめるようになります。そして、私のことはギァレーでも評判になり、担当外の客室乗務員の人達までが私の顔を一目見ようと、入り替わり立ち替わり私の席に来るようになるのです。食事は勿論和食を持ってきてくれます。
 しかし、私と同じことを言ったのに゛はい、それじゃあ″といって洋食を持って来られたら、それはあなたの人徳のせいと諦めて下さい。運、不運は世のならいです。素直に洋食を食べて下さい。
 FやCクラスは別ですが、機内でサービスされるワインやウィスキー、コニャックなどは小型のビンに入ってます。これを客室乗務員の人に頼んだ場合、当然ビンのフタをとって注いでくれます。しかし、乗客の中には、フタを取らないでそのままちょうだいという人もいます。日本からの団体旅行の参加者に多いそうです。これは、言わずと知れた飲物のお持ち帰りが目的なのです。航空会社はお客さまのお土産用の飲物までは積んでいません。最近は航空会社も、飲物は必ずフタを取ってからサービスするようにと客室乗務員に指導を徹底しているそうです。余りセコイことをやって、客室乗務員の人達からフライト中ずっと憐れみの目で見られるのも、ちょっとどうなんでしょうか。
 機内の温度は乗客のマジョリティーが快適と感ずる温度に設定されてます。つまり快適さの最大公約数を基にしています。従って、中にはちょっと寒い感じとか、暑いと感じる人がいても、それは当然です。問題なのは、そう云う人が機内の温度を上げてくれとか下げてくれとか言ってくる場合です。客室乗務員の人にこう云う無理難題は言わないことです。寒かったら毛布をもらうか、暑かったら着ているものを取ればいいのです。あなたひとりのために、何百人も乗っている機内の温度を上げたり下げたりはできないのですから。
 客室乗務員の人を皆さんは何と呼びますか。゛スチュワーデスさん″、゛乗務員さん″、゛お嬢さん″、゛おねえちゃん″、どれもしっくりきませんね。一番多いのは、゛すみません″とか、゛あのちょっと″とかいう日本語独特の呼び方でしょう。これは目撃談ですが、私の前の席にいた日本人の男性が、料亭で仲居さんを呼ぶみたいに、手をパンパンとたたいて客室乗務員の人を呼ぼうとしました。われわれの列担当の乗務員さんは本当に親切な人で、笑顔をたやさず、話す時にちょっと唇をとがらせるさまが又愛らしく、私はすっかり彼女のファンになっていました。このすばらしい客室乗務員さんは、聞こえたのか聞こえなかったのか、くだんのパンパン男性を完全に無視して行ってしまいました。ざまあ見ろです。
 客室乗務員の人を呼ぶ一番いい方法を教えます。それは名前を呼ぶことです。客室乗務員の人達は胸に名札をつけてます。それを見て名前をいち早く覚えるのです。そして、伊丹さんとか羽田さんとか成田さんと呼ぶのです。これは機内に於けるいい人間関係の土台にもなります。是非やってみて下さい。但し、なれなれしくやってはいけません。あなたが伊丹さんの名前を覚えたからといって、伊丹さんはあなたの名刺を下さいとは言ってないのです。
 飛行機の正しい乗り方を実践したあなたは、客室乗務員の人達の目にちょっとちがったお客さまとして写るはずです。好意と尊敬と、場合によったら愛情に満ちた目で見られるかも知れません。
゛私たちの仕事に理解のあるすてきな方ね″とか、゛こういう心豊かな方となら...″とか、゛顔もそこそこだし...″とか、機内の人間関係はどんどんいい方向に発展するかも知れません。どうですか、やってみませんか。 

No.60. レストラン

No.60. レストラン



「新ベルギー物語」もいよいよネタが尽きてきた感じがします。そこでここしばらくはハウツーモノで食いつなぐことにしました。先月号の飛行機の正しい乗り方に引き続き、今回は、「レストランでの正しい食事の仕方」について書いてみます。タイトルはそのまま書くと、長過ぎてダサイので品よく「レストラン」にしました。
 わたしたちの住んでいるベルギーは、食事がおいしくて、レストランのレベルが高いことで有名です。これは、私たちのベルギー滞在を楽しくさせてくれる大きな要因の一つとなっています。
 EUの行政府に当たるEUコミッションがブリュッセルにあるのは、加盟各国閣僚や政府関係者がブリュッセルでの会議を喜ぶためである。彼らは会議や交渉ごともさることながら、何よりもブリュッセルのいいレストランに行くことを第一の目的にしている。勿論、これは冗談ですが、こう云う冗談が出るぐらい、この国にはおいしいレストランが沢山あると云うことでしょう。同じような冗談が、イギリスやオランダやドイツで出るかどうか、只だ疑問です。
 どのレストランがおいしくて、どのレストランがまずいかを、判断するのは、自分で行って食べてみるのが一番です。そうは言っても、星の数ほどあるレストランを、一軒、一軒食べ歩きするのは土台無理な話しです。結局は、いろいろなルートから入ってくる各種情報に頼ることになります。
 この各種情報の中で最も権威があるのが、ご存知、赤表紙のミシェラン、ホテル、レストランガイドブックです。私は毎年、ミシェランのベネルクス編が本屋さんの店頭に並ぶのを楽しみにしてます。ベルギーのレストランの星取り表を見るのが楽しみなのです。
 2000年版もさっそく買い求めました。そして大いに満足しました。新しい星取り表の内容が、自分の予想とぴったり合っていたからです。つまらない自己満足かも知れませんが、人間、何かの予想をして、これが当たると嬉しいものです。先頃亡くなった大川慶二郎さんなど、競馬の予想で一代を築きましたが、予想の裏には膨大な資料の蓄積とその分析、並びに厩舎回りを欠かさない現場主義があったそうです。
 私の場合、該当レストランに関する膨大な資料もなければ、綿密なる分析もありません。強いて言えば、そのレストランに一度ないし数度食事に行ったというベ現場主気ぐらいのものです。それが当たったのですから、私が自分の才能に自信を持ったとしても、それは自然なことではないでしょうか。
 近い将来、私は競馬、競輪、競艇、パチンコのよく出る台、よく当たる宝くじの売場、値上がり間違いなしの株、増資割当近しの優良企業、社長の不倫がバレて株が暴落しそうな会社、失言で首が飛ぶ大臣の名前等々の予想で、天才的能力を発揮する「異能予想士」(私の場合、予想屋とは言いません)として、日本のマスコミに華々しくデビューするかも知れません。
 でも皆さん、或る日あなたが府中の競馬場で刑事コロンボよりもっとひどいヨレヨレのレインコートを着て、赤エンピツで自信なさそうな印をやたらくっつけた競馬新聞を片手に、路上に舞う外れ馬券をひろって確かめている私の姿を見ても、決して声をかけないで下さい。それが、武士の情けというものです。
 さて、2000年版のミシェランは既存の星付きレストランのどこから星を取りあげ、新たにどのレストランに星をつけたでしょうか。ブリュッセルで星を失ったのはグランプラスにある「La Maison du gygue」、エッテルベークの「Stirwen」ウォルエサンピエールの「Le Vignoble de Margot」の3店です。La Maison du gygueは前にも星を失った年があり、今度で二度目です。料理が定型化してしまってるせいでしょうか。日本人会々員の皆さんの中に、経営者のご親戚の方がおられましたらご勘弁願いたいのですが、Stiwen Vignohel de riargotは、何処ミシェランが星をつけたのか、全く理解に苦しむレストランだと私は思ってました。ミシェランの権威も地に落ちたと思ってました。一刻も早く星を取りあげるべきだと思ってました。私は、しつこくも自分の評価を書いた手紙をミシェランに送ったりもしました。それが今回、両レストランから星がなくなり、レストラン関係者には誠に申し訳ないのですが、私は自分の評価は間違ってなかったという自己満足に浸ってます。
 一方、ミシェランは、そろそろ星をつけてもいいのではないか、と思っていたレストランが3店ありました。そのうち2店に今回めでたく星がつきました。それは、ワーテルマルボアファールにある「Au Vieux Boitsfort」と、ユックルにある「La Passage」です。残念ながら星を逃した3つ目はラユルプにある「La Salicorne」です。La Salicorneは料理はいいのですが、サービスが、今一つだったのでしょうか。
 皆さんも一度これらのレストランに行ってみて下さい。そして評価をお聞かせ下さい。さて、レストランに行く時、皆さんはどうしますか。予約をしてから行きますか、或いは予約なしにフラリと行きますか。私はレストランに行く時は、レストランのカテゴリーにかかわらず、必ず予約の電話を入れてから行くことにしてます。予約の電話にはいろいろな効用があります。まず席の有無を確かめることができます。家族でレストランに行ったのに、満席で断られてすごすごと帰るとか、別のレストランを探すという不愉快な思いをしなくて済みます。
 次に、予約を入れると、原則としていい席がもらえます。勿論、予約を入れた段階でそのレストランが満席に近い状態だったら別です。そして、予約をすることによって、こちらの意志がレストラン側に伝わります。
 つまり、数あるレストランの中からおたくのレストランを選んだのですよ。おたくの料理、サービス、雰囲気を味わいたいのですよ、というこちらの意志が伝わります。ちゃんとしたレストランなら、こちらの意志をきちんと受けとめ、しかるべき対応をしてくれます。ですから、予約をしたのに行ってみたら、名前も控えてないし席のアサインもしてないようなレストランがあったら、二度と行かない方がいいです。
 レストランに着いたら、席に案内されるまで待ちましょう。「あっ、窓ぎわにいい席がある」などといって勝手に行って坐ると恥をかきます。コートの必要な季節ですと、ここでコートを預けます。なお、男性諸氏は女性のコートを取ってあげたり、着せかけてあげるのは男性の役割であることを忘れないで下さい。家でいつも奥さんにやってもらってるクセで、レストランでも奥さん(或いは同行の女性)にコートを取らせたりしないで下さい。ベルギー在住全日本人男性の恥になります。
 さて、予約されたテーブルに案内され、席に着きました。メートルドテル(給仕長)がメニューを持ってきます。たいていの場合、ここでアペリティフを召し上がりますか、と聞かれます。もし、欲しくなかったら、遠慮なく断って下さい。アペリティフには、意外とアルコール分の強いものがありますから気をつけないといけません。飲みつけないアペリティフを飲んで最初から酔っぱらってしまっては、せっかくの食事が台無しになります。私の場合、「まずはビール」ですので、どんなに高級なレストランに行ってもアペリティフにはビールしか注文しません。お酒を飲まない方なら、水一杯でも立派なアペリティフになります。
 皆さんはレストランのメニューを見て、途方にくれたことはありませんか。世の中で、何が分からないといって、レストランのメニューぐらい難解なものはありません。食材になっている肉や魚や鳥の名前は何とか判読できるとしても、その料理法となると、これはもうお手上げのケースがよくあります。何故なら料理人、シェフの作った独自の用語が入っているからです。分からなくて当たり前、と思ってメニューを見ると気が楽になります。
 分からない時は無理をしないで、ボーイさんや給仕長に聞くのが一番いいと思います。彼らは喜んで説明してくれます。分かるまで何度でも聞いて下さい。分からないままに、メニューの中の適当な所を指さして、これを下さいと言ったら、それがレストランの名前だったなどと云う悲喜劇を避けたいものです。
 メニューが決まるとワインの選択が通常の作法になります。しかし、言うまでもないことながらレストランでワインを取ることは義務でも何でもありません。世の中には、アルコール類を一切口にしない人もいますので、ワイン以外の飲物をオーダーすることに何の躊躇もいりません。
 ワインの好きな方は、ゆっくりとワインリストを眺めて下さい。そして、その日の料理に合って、しかも自分の予算に合うワインが分からなかったら、遠慮なくソムリエさんに聞くことです。彼はそのためにいるのです。ワインの栓を抜くだけだったら、あんなに難しくて、厳しいソムリエの修業をする必要はありません。しかるべきレストランのソムリエから、ワインの知識を仕入れることもレストランに行く楽しみの一つであり、それも料金に入っていると考えたらどうでしょうか。
 皆さんは、ワインのテースティングをするのが好きですか。私はどうも苦手です。前にも書きましたが、ソムリエ氏の目が気になるのです。ワインの色を見て、アロームを嗅ぎ、最後に口に含んで味を確かめるこの三作法をしている間に、じっと横に立っているソムリエ氏の目が気になります。「このバカ、ワインなんて分かってんのかしら」、「グラスをあんな角度にして見たって、ワインの本当のローブ(色合い)なんて分かんないのに」、「こんな低い鼻でブーケ(アローム)が分かんのかしら」などなど、ソムリエ氏が考えているのではないかと想像してしまいます。つまり、いじけてしまいます。これは、自分がまだ修業が足りないからです。まだまだ気取っているからです。自然に行きたいものです。ワインに造詣の深い方は別ですが、通常はワインの味がそこそこならいいぐらいの気持ちで、テースティングをやればいいと思います。ソムリエ氏は決してお客をバカにしたりはしませんので。
 食事中の大声、日本人グループ独特の高笑い(人によってはバカ笑いとも言う)はやめたいものです。レストランはわれわれ日本人客のためにだけあるのではありません。レストランは、料理、ワイン、サービス、うつわ、家具調度、室内装飾等のヨーロッパ文化が集まっている所です。そして大多数のお客はヨーロッパ文化の中で育ち、その文化をわが物としている人達です。そこに異文化の中で育ったわれわれが入り込んで、本家本元の人達の食事の雰囲気を乱すのは、やっぱりまずいと思います。金を払えばいいだろうという言い方は通用しません。他の人達も金を払ってるのですから。
 結局、レストランでの正しい食事の仕方といっても特別なことは何もありません。強いて言うならば、次のようになりましょうか。

 1.レストランで知ったかぶりをしないこと。分からないことは何でも聞くこと。
 2.自然に振る舞うこと。つまり気取らないこと。
 3.他のお客の迷惑になることはしないこと。
 4.料金はきちんと払って帰ってくること。
 他に何かあったら教えて下さい

No.61. 花嫁のセリ市

No.61. 花嫁のセリ市


6月は結婚の月なのでしょうか。「June Bride」という言葉はどこから来たのでしょうか。クリスマスや年末のパーティで知り合ったカップルが、結婚に至るのがだいたい6月頃になるという説はあまり当てになりません。「June Bride」という言葉の由来をご存知の方がおられましたら、是非教えて下さい。
実際には結婚式は6月に限らず、一年中あります。皆さんの中にも、ベルギーの知人や友人の結婚式に招かれて、こちら風の結婚式に出席した経験のある方がいると思います。或は、皆さんは教会や市役所の前で、結婚式を終えて出てきた花嫁さんや花婿さんの幸せそうな姿を見たことがありませんか。
こちらの結婚式は土曜日に行われることが多いです。理由は、結婚する当人同士にとっても、結婚式に参加する人達にとっても土曜日は休みなので何かと都合がいいからです。その土曜日が、日本の暦の上では仏滅に当る日でも、こちらの人にとっては何の関係もありません。
私は個人的には、日本の暦の大安とか仏滅とかに何の意味も見出さない人間ですが、それに意味を見出す人達の意向は尊重すべきだと思っています。昔、日本にいた頃、結婚式の日取りのことで、大安とか友引とかを真面目に考えている知人の考えを、荒唐無稽として徹底的に批判したことがありますが、あれはまずかったと今でも思ってます。大安や仏滅も、日本の伝統文化の一つと考えればいいのです。
結婚を決めた二人には、準備することが沢山あります。披露宴の会場の予約、メニューや飲物の選択、ウェディングドレスのスタイル、採寸、招待客の名簿作り、カードの印刷、等々。又、教会で式を挙げる場合は、神父さんとの打合せも大事です。教会によっては、結婚準備講座への出席が義務付けられている所もあります。
これらの準備はいずれも大事なことですが、もう一つ大事なことがあります。それは市役所への届出です。これを怠ると、法的な結婚が成立しません。必要書類を提出して、法的結婚式の日付を決めてもらいます。日本人の場合、戸籍抄本とその翻訳、ベルギー人の場合、出生証明書だったと思いますが、なにしろ自分がこういう書類を出したのが、大昔のことなのでよく覚えていません。
市役所は提出された書類を基に、婚姻の告知を作成し、これを市役所の掲示板に張り出します。婚姻の告知文には次のように書いてあるそうです。「この度の何のダレ子と何のダレ夫は結婚することになった。異議ある者は申し立てよ」
この告知の由来は、重婚を防ぐのが目的だったそうです。通信手段といえば、手紙ぐらいしかなかった中世のヨーロッパで、旅人の通る村や町の広場に婚姻の告知を張り出して、結婚する予定の二人が、他国や他の町で結婚していなかったかどうかを調べたのだそうです。だったら、インターネットを始め、通信手段があふれている現代に於いて、何故、中世以来の婚姻の告知を続けているのでしょうか。カテドラルを、200年も300年もかけて建設するヨーロッパの人達ですので、婚姻の告知にも、何かの意義を認めて連綿と続けているのかも知れません。
通常は、市役所での法律上の結婚式を終えてから、教会の結婚式を行うのが普通です。フィリップ殿下とマチルダさんの結婚式の時も、まず、ブリュッセル市庁舎での結婚式があり、それからサン・ミッシェル教会に行きました。宗教に関係のない人達は、市役所での結婚式だけでおしまいです。法律上の結婚式には、市長さんか助役さんが立ち会います。それに、新郎、新婦が各々証人を立てなければなりません。市長か助役のサイン、新郎、新婦のサイン、それに各々の証人のサイン、合計5つのサインがあって、初めて結婚が成立します。書類に判を押すだけで結婚が成立する日本とは、かなり趣が違います。
市役所では、市長さんか助役さんが、結婚する当事者に質問をします。「何のダレ子は何のダレ夫を夫として娶るや否や」といった質問で、これはわりと答えやすい質問です。しかし、これが教会での式となると、神父さんの質問にはかなり答え難い内容が含まれています。「何のダレ夫は、何のダレ子を妻として娶るや否や」まではいいのですが、その後に「死が二人を分かつまで、共に愛し、貞節を誓い・・・」とくると、あだやおろそかに「ハイ」など答えられるものではありません。「死が二人を分かつまで」ですよ、皆さん。その時はそう思ったとしても、先のことなど誰も分からないじゃないですか。
にもかかわらず、神父さんの前では全員が「ハイ」と答えるのですから、大したものです。かく言う私も「ハイ」と答えてしまったうちの一人なのですが、今考えても冷や汗ものです。今度同じ質問を神父さんにされたら、「ちょっと、考えさせて下さい」と答えるかも知れません。
どんなに深く愛し合った男女でも、どんなに強固と思われた愛であっても、時間という恐るべき風化の力には勝てません。時の過つのが分からない程楽しい恋愛時代や新婚時代は、「死が二人を分かつまで」の観点から見たら、ほんの束の間のことです。後は、時の風化の力に抗しつつ、二人の関係を維持するための絶え間ない努力の日々が待っています。
ベルギーでは、「死が二人を分かつまで」に「ハイ」と答えたカップルの半分が離婚をしてしまいます。EU加盟国の中で、ベルギーの離婚率はトップクラスです。皆さんの子供さんが、もし現地校に通っていたら、クラスのベルギー人同級生の半分は、親が離婚していると考えても大袈裟ではありません。わが家の子供達の友人、知人にもこの率は当てはまります。ですから、私など街角で結婚式風景に出会っても、「この二人、いつまでもつのかしら」などと、大変失礼な目で新郎、新婦を見てしまいます。
ベルギーの離婚率が高い理由は何でしょうか。女性の自立性が高く、女性の社会的地位が他の国より向上しているから、と言う人もいます。或いは、この国の男女は、自分達の人生にネガティブな面が出て来た場合、それをポジティブな方向へ持って行くため、現状を大きく変えることに躊躇しない、と言う人もいます。いずれも本当なのでしょうが、決定的な答えにはなっていないような気がします。所詮、男女のことは、当人同士にしか分からないものですから、決定的な答えというものは最初から存在しないのかも知れません。
さて、将来どうなるかは別として、市役所、教会で「ハイ」と答えた二人は、いよいよ晴舞台の披露宴会場へ向かいます。ベルギーには日本の「玉姫殿(今もあるかどうか知りませんが)」みたいな結婚式の専門会場はありませんので、レストランとか、ホテル、シャトーなどのバンケットルームや催し物会場を借ります。
こちらの結婚式に出たことのある方はご存知でしょうが、こちらの披露宴は日本と比べて非常に簡単です。来賓のスピーチも両親への花束贈呈も、お色直しも、キャンドルサービスも、何もありません。招待客は新郎、新婦にお祝いの挨拶をし、会場でサービスされている飲物や食べ物を取り、談笑し、最後はダンスパーティになるのが披露宴のパターンです。
一つ、こちらの結婚披露宴で面白いと思ったのは、披露宴がたけなわとなった頃を見計らって、花嫁のセリ市が立つことです。まず司会役(新郎の友人が多い)が、マイクを持って会場の皆さんの注意を喚起します。そして、一同の注意を引き付けた後、「ただ今から、新郎、新婦の新婚旅行、及び新所帯の経費を作る為、皆さんに協力をお願いします。新婦のブリジットさん、こちらに来て下さーい」とか何とか言います。
呼ばれた新婦は、会場の一段高い所に立たされます。場合によると皆に助けられて、テーブルの上によいこらしょと上がることもあります。ウェディングドレスを着てますので、テーブルの高さに上がるのは結構大変ですが、会場のどこからでも新婦が見えるので、この高さが理想的なようです。
高い所に立った新婚のブリジットを指差して、司会者は言います。「さあー、この美しい花嫁をセリ落す人は誰でしょうか。ブリジットがドレスの裾を持ち上げますので、それに応じてお金を出して下さい。」すると、会場にいる子供達の何人かが立上ってカゴを持って会場を回り始めます。最初は皆、100フランぐらいをカゴに入れます。こうして、花嫁はウェディングドレスの左足の方の裾を徐々に高く持ち上げていきます。それに応じて、カゴに入れるお金の額も上がっていきます。同時にお金を入れる人の数も減っていきます。
花嫁の太股の近くまで見えてくると、セリには熱が入り会場は盛り上がっていきます。カゴにお金を入れる人の数は2~3人になってきます。司会者が「さあー、これが最後です」と言うと、花嫁は左足を前に出して、ぐっとドレスの裾を持ち上げます。そうすると花嫁の太股が見えてきますが、なんと花嫁の左足の太股にはきれいなレースでできた輪が巻かれているのです。そして、セリに勝った人には、このレースの輪を手にする権利が与えられます。
日本ではとても考えられない結婚披露宴のイベントですが、こちらの「花嫁の太股のレースの輪争奪戦」は和気あいあいとして、少しもイヤ味なところがなく、とても楽しいものです。花嫁さんはニコニコとして、ドレスの裾を持ち上げますし、花婿さんも時には大笑いしたりしながらイベントを楽しんでいます。もっとも、カゴに入るお金の額がどんどん上がってゆく訳ですから、文字通り笑いが止まらないのかもしれません。
この花嫁のセリ市の起源はどこから来たのか知りませんが、単純に考えて、かつての奴隷市を遊びに転換したとも考えられます。今でも結婚相手の女性の親にしかるべきお金を払わないと結婚できない国がありますが、昔から女性は男性より尊く、高価な存在だったのでしょう。
前にもどこかに書きましたが、以前家族でエジプトに行った時、当時高校生だった二番目の娘に値段がつきそうになったことがあります。カイロのスークを家族でブラブラしていた時、路上で水タバコを吸っていたおじさんが娘を見て、「その娘はラクダが何頭だったらワシに譲ってくれるか」と、近くにいた英語を離すエジプト人を通して聞いてきました。私はラクダをもらってもしょうがないので断りましたが、娘は「ラクダを何頭まで出すか聞いてみて」などと結構面白がっていました。ちなみに、家内には全く値がつきませんでした。
花嫁の太股に巻くレースの輪はブリュッセルのレース屋さんでも売っています。又、ウェディングドレスの専門店にもあるそうです。日本の披露宴でセリ市の経験をしなかった元花嫁の皆さん、せっかくレースの国ベルギーにいるのですから、このレースの輪を買ってきて、友人知人を招いてセリ市をやってみては如何ですか。カゴにお金がいくら集まるでしょうか。興味のあるところです。でも、中には、「お金を出すから裾を持ち上げるのだけはやめてちょうだい」、などと言う不届き者がいるかもしれません。そうすると、傷つきますね。やめておきますか、やっぱり。

No.62. 珍味

No.62. 珍味



この世に珍味と呼ばれる食べものはどのぐらいあるのでしょうか。そもそも、珍味とは何でしょうか。文字通りに解釈すれば、珍しい食べもの、簡単には食べられないおいしいもの、といった意味かと思います。
皆さんは珍味を聞くと、何を連想しますか。私の場合、想像力が貧弱なせいか、珍味と聞いてパッと思い浮かぶのは、日本の駅のキオスクなどで売っている、タコクン、イカクン、貝柱といった、いわゆるおつまみ類です。日本の列車の旅は、これがあるから好きです。
発車の時間を気にしながら、キオスクのおつまみ類(何故か、珍味と名付けられたものが多い)を物色してから適当なものを買い込み、これにカンビールをもって自分の席に座ります。発車のアナウンスを聞きながら、カンビールをプシューと開けてひと口飲み、イカクンなどを噛みしめると、「ああ、日本に帰ってきたなー」と思います。
ヨーロッパの珍味というか、フランス料理の有名な珍味としてトリュフ、フォアグラ、キャビアがあります。とはいっても、こういうものを毎晩のご飯のおかずに食べる訳にはいきませんので、私などははるか昔に食べた記憶を呼び戻す必要があります。
私の曖昧模糊とした記憶をたどってみろと、フォアグラとキャビアは、まあまあおいしいといえる食物の部類に入るかと思います。しかし、トリュフにいたっては、何故ああいうものがヨーロッパでもてはやされ、高い金を払うのか理解に苦しみます。生産量が少ないから値段が高いという説明は分かりますが、それが食べものとしておいしいかどうかは別問題でしょう。尤も、フランス料理の専門家の方に、「お前の舌が鈍感だから、トリュフの本当の味が分からないのさ」と言われれば、私は「はー、そうですか」と答えるしかありません。
キャビアといえばロシアですが、本当においしいのは、かつてイランの皇帝、シャーが食べていた黄金のキャビアなんだそうです。イランに駐在経験のある日本人会メンバーの方にお聞きしたいのですが、本当にあるんでしょうか。黄金のキャビアなんて。
モスクワやセント・ペテルブルクのホテルに泊まった時、ホテルの従業員からキャビアのカン詰めを買わないかと、すすめられたことはありませんか。たいていは、朝食のレストランの従業員がナプキンで隠したキャビアのカン詰めをチラッと見せて「ホンモノ、パドル」とか何とか言います。私は買ったことはありませんが、買った人の話しだとキャビアの粒が小さくておいしくなかったそうです。
レストランのメニューに載っているフォアグラの料理には、二種類あり、まず一つは加工されたフォアグラで、一流のレストランになると“フォアグラ・メゾン”と称して自家製のフォアグラを供します。もう一つは、鵞鳥の肝臓を厚めに切って、両面にコゲ目がつく程度に焼いて供するものです。この場合、フランボアーズ(木苺)から作った酢をかけて焼きます。
私は焼いたフォアグラの方が好きなので、自分で焼いてみたことがあります。フォアグラ専門店に行って、鵞鳥の肝臓とフランボアーズの酢を買って来ました。店のご主人が親切に焼き方を教えてくれました。さて、教えてもらった通りに焼き始めたのですが、何と肝臓はどんどん小さくなっていくではありませんか。肝心のフォアグラが溶けてしまうのです。考えてみれば、“Foie Gras”とは“脂に満ちた肝臓”の意味ですから、熱が加われば溶け出すのは当り前のことなのでした。小さく変わり果てたフォアグラを食べながら、ちゃんとしたレストランのシェフはあだやおろそかに修業はしてないなと、しみじみ思いました。
珍味というものは、それを食べる人や、民族、或いは国民によってそれぞれ違ったものになるこは当然のことです。ある国の人々が珍重する食べものが、別の国の人からは人間の食べるものではないと思われても、それは仕方のないことです。これに関して思い出すことがあります。昔、ルーバン大学の学生寮にいた頃、近所の森でつんできたワラビを寮の共同キッチンで茹でて食べようとしたことがありました。共同キッチンなので、しょっちゅう寮の学生が出入りします。私がワラビを洗って、かたくなっているクキの下の方を切ったりしているのを見たベルギー人の学生が、真剣な顔で私に忠告してくれました。「サミー、お前まさかそれを食べるんじゃないだろうな。」「いや、茹でて食べるんだよ」「バカ、お前そんなもの食ったら死ぬぞ」「心配するな。日本ではみんな食べているんだから」「何言ってんだ、お前。ベルギーではFougere(羊歯のこと)は馬にだって食べさせちゃいけないんだぞ」「心配するな。茹で上がったら、お前にもごちそうしてやるよ」「誰が食べるか、そんなもの。病気になっても知らないからな」。
私が茹でたワラビは決しておいしいものではありませんでした。まずアク抜きのやり方を知らなかったので、そのまま茹でてしまいました。それに日本のワラビとはちがうらしくて、味が大味でした。ワラビの味はいいのですが、私がワラビを食べたという話が、寮の学生の間で話題になり閉口しました。日本人は馬も食べないものを平気で食べる。しかも食べた後病気にもならない。身体の機能が、われわれヨーロッパ人とは違うのではないか、等々。説明するのもバカらしいので無視していたら、いつのまにか、言わなくなりました。人種的偏見というものは、以外とつまらないことが原因で起るようです。
さて、私たちの住むこのベルギーに珍味と呼んでいいものがあるでしょうか。皆さんもご承知の通り、ベルギーは食べもののおいしい国です。ですから、ベルギーで食べるものは、みんな珍味なのかもしれません。それでも敢えてベルギーの珍味と言うならば、ム-ル貝やシコン、ホワイト・アスパラガス、ホップの新芽などがあげられるかも知れません。
この中で、ムール貝は余りに有名なので特に説明の必要はないでしょう。シコンのことを日本でアンディーブと呼ぶそうですが、これはフランスでの呼び名が通用しているみたいです。ベルギーの名誉のためにも言いますが、シコン、フラマン語でウィットローフは正真正銘ベルギー発生の地です。昔、コーヒーが高価だった頃、ベルギーではコーヒーに近い味がするシコンの根っこの粉末をコーヒー代りにして飲んでいたのだそうです。
シコン発見の由来として私が聞いているのは、以下のような話です。或る農家の人が、納屋の隅っこの暗い所に放っておいたシコンの根に、白い角のような芽が出ているのを見つけました。これを食べてみたところ、ちょっと苦みがあって、なかなかにおいしい。そして、いろいろな試行錯誤の結果、シコンの栽培方法が確定し、広く出回るようになったのだそうです。
ブリュッセルとアントワープの中間地帯、メヘレンの近辺で栽培されているホワイトアスパラガスは高級品ですが、もともとは貧しい人たちの食べものだったと言われています。何故なら、この辺りは地味がやせていて、いい作物ができなかったからです。ところが、ホワイトアスパラガスは砂地系の地味のやせた土地でよく育つので、メヘレン近辺の農家の人達の間にホワイトアスパラガスの栽培が広まりました。しかし、アスパラガスの栽培は非常に手間がかかるため、栽培農家は減る一方だそうです。皆さんも、5月から6月にかけて出回る本物のホワイトアスパラガスを、今のうちに食べておいたほうがいいのかも知れませんよ。
たまに、スーパーの野菜売り場にホップの新芽が出ていることがあります。量が少ない上に、いつもある訳ではないので、見落としてしまいがちです。ビールの国ベルギーですが、ホップの栽培農家は減少しつつあります。外国産のホップに押されているためです。それでも、西フランダース州のポーペリングなど、まだ有名なホップの生産地が残っています。ホップの新芽は、炒めてステーキなどに付け合わせると、なかなかおいしいものです。今年はもう遅いですから、来年の春にでもやってみて下さい。
珍味の本場といえば、何といっても中国でしょう。中国料理の多彩なこと、その奥の深いこと、まず世界一の名に恥じないと思います。世界に最も広く行きわたっているのも中国料理です。世界中の主要都市で、中華料理店のない都市は考えられません。このベルギーでも、中華料理店のない町といったら、余程の田舎町です。
長い長い歴史があるとはいえ、中国の人達の食への執着心というか、好奇心には誰でも脱帽するのではないでしょうか。つばめの巣やフカヒレをあんな立派な料理にした人達です。熊の手の平の部分を最初に食べたのは誰だったのでしょうか。豚を余すところなく食べものにしてしまうのも、中国の人達です。
この中国の人達でも、さすがに食べられないものが豚にあるそうです。それは何でしょうか。答えは、“豚の鳴き声”です。この冗談を社員に言ったら、全然受けませんでした。面白くないですかね。
聞いた話ですが、珍味の本場中国で、珍味中の珍味と呼ばれるものがあります。ご存知ですか。これは皇帝しか食べられなかったものです。それは、蚊の目玉のから揚げです。あんなに小さなものを、どうやってから揚げにするのでしょうか。蚊の目玉を1個や2個から揚げにするのではありません。大量に集めます。集め方は意外と簡単なのです。コーモリの糞を集めて洗い出すと未消化の蚊の目玉が出てきます。これをきれいにして、その後はどうやってから揚げに料理するのか知りませんが、とにかく皇帝の料理として、うやうやしく供されたという話です。この話がウソか本当か知りませんが、私はこの皇帝料理を食べたいとは思いません。
食べることには喜びが伴って、初めて意味があるのではないでしょうか。権力者がありとあらゆる食べものに飽いてしまい、これでもか、これでもかと珍奇な食べものを追い求めるのは、もう喜びではなく、一種の脅迫観念に追われているような気がします。ローマ時代に、皇帝や貴族達は飽食した後にこれを吐いて、また食事をしたと言われていますが、これも食事の喜びからはほど遠いものだと思います。
私は、珍味というものは各人の心の中にあると考えています。誰でも自分の人生の中で、おいしかったと思う食べもの、また食べたいと思う料理がある筈です。それは、自分の家の庭先で、誰に遠慮することもなく、盛大に煙をあげてジュージューと焼いて食べたサンマの味かも知れません。或いは、熱いご飯にちょっとのっけて、溶けぎわに口にほうり込んで味わった煮こごりの味でしょうか。そこには家庭の団欒、親の愛情といった大事な要素が加味されています。結局、珍味は心のこもった料理のことであり、食べる人が作ってくれた人の心や愛情を受け止めて食べる時、珍味が本当の珍味になるのではないでしょうか。

No.63. ユーロ2000

No.63. ユーロ2000


サッカーのユーロ2000はフランスの優勝で終りました。ワールドカップに続いてまたまたフランスが優勝したのは、やっぱり実力があるからなのでしょうか。私は決勝戦ではイタリアを応援しました。別にフランスが嫌いと云う訳ではなく、フランスはワールドカップで優勝したのだから、今度は他の国が優勝してもいいのではないか、と云う極めて単純な理由からでした。
 7月2日、日曜日の夜に行われた決勝戦は、ちょうど乗馬の日だったので乗馬クラブのレストランで見ました。テレビの前に陣取っての観戦でしたが、フランスを応援する勢力が過半数を占め、イタリア応援組はやゝ押され気味でした。それでも、ロスタイムまではイタリアが勝っていたので、大いに気勢が上がりました。
 イタリア応援組のメンバーには、勿論イタリア人がいましたが、それ以外には、いわゆるイタリア系ベルギー人が大多数でした。私はと云えば、その場に居合わせた人達の中で唯一の東洋人と云うか、ノンユーロピアンでした。それが、ワインに酔っぱらった勢いで、「イタリア万歳」などと叫ぶものですから、イタリア組からは喜ばれましたが、フランス組からは「何、このバーカ」と白い目で見られたかも知れません。
 サッカーに限らず、スポーツの国際試合は国民の一体感を作り出す上で強力な力を発揮します。自国のチームが試合に勝ち進む程に、この一体感は高まり、国威発揚の機会にもなります。ベルギーのナショナルチーム、「ディアブル ルージュ」の応援には、フラマンもワロンもありませんでした。みんなが一つになって自国のチームを応援してました。この国で、事あるたびに顔を出すフラマンとワロンの対立や、言語戦争など、どこにも見当たりませんでした。いいことではないですか。
 私も運よく入手できたチケットで、ベルギー対トルコ戦など2試合ほど見ることができました。サッカーの試合はテレビで見た方がよく見えるのですが、スタジアムの臨場感にはまた独特のものがあります。
 アトミウムの近くにあるボードワン国王記念スタジアムはベルギー、トルコ各々の応援観客で一杯でした。試合開始に先立ち、両国の国歌が流されます。そして、グランドに整列した両国選手及び全員起立した観客が各々の国歌を歌います。と思いきや、自国の国歌を歌ったのはトルコチームの選手とトルコ側の観客だけでした。ベルギーの国歌のメロディーが流されても、選手も観客もほとんど歌ってません。中にはちゃんと歌った人もいるのでしょうが、トルコ側のように歌声として聞こえてきません。
 ベルギー国民でベルギー国歌の歌詞を最後まで歌える人が、国民の何パーセントいるか調べてみたらどうでしょうか。ベルギーの人に言わせれば、余計なお世話でしょうが、私の知っている限りでは本当に少ないのです。皆さんも会社のベルギー人スタッフや、知り合いのベルギー人の人に聞いてみて下さい。驚くべき数字が出ることを保証します。
 考えてみれば、この国の人達は国歌を歌う機会が、一生を通じてまるでないのです。一番機会があると思われる学校では、小中高大学を通じて入学式も卒業式もありませんから、生徒、学生は国歌を歌うことなく学校生活を終えます。そして社会人となり、或る者は政治家を志し、ついに国務大臣になる人も出てきます。そしてこの国務大臣が公けの式典に主賓として招かれ、そこで国家斉唱の場面に出くわします。さあ大変です。国務大臣が自国の国歌を歌えないのです。
 これは本当にあった話です。或る大臣が、公けの席で国歌を最後まで歌えませんでした。さすがにこの大臣は後で新聞にたたかれました。ベルギーで政治家や公職を目指す者は、まず国歌をしっかり覚えることが第一条件かも知れません。ベルギー国歌、「ブラバンソン」は日本の「君が代」と違って、歌詞が長いので覚えるのは結構大変です。それにフランス語とフラマン語の両方の歌詞がありますのでさらに大変です。でも、自国の国歌を最後まで歌えない大臣のいるベルギーって、ちょっと愉快な国だと思いませんか。
 ユーロ2000に出場した16ヶ国チームの中で選手が比較的きちんと国歌を歌っていたのは北欧の国々の選手及びスロベニア、ユーゴスラビア、チェコの選手たちでした。これらのチームに共通していたのは、よそ者選手がほとんど入っていないと云う事実です。
 フランス人はベルギー人と違って、国歌の「マルセイエーズ」を至る所で歌う国民ですが、そのフランスチームでも国歌斉唱の時、口をつぐんだままの選手が何人かいました。フランスのナショナルチームの有力選手の中に、移民労働者の子供が多いのは、サッカーファンの方はご承知の通りです。フランスのスター選手、ジダンはアルジェリア移民の子供としてマルセーユで育ちました。ポルトガル移民の子供としてフランスで育った選手もいます。ジダンの場合、アルジェリアが対戦相手としていないので問題はないでしょうが、ポルトガル出身選手の場合、フランス対ポルトガル戦の時、両国国歌を聞きながらどんな気持ちだったのでしょうか。
 日本では国歌、国旗に関する法律が出来て、政府は学校教育や公的な場での国旗揚揚、国歌斉唱を積極的に推進する方針と聞いてます。
 私は日本の国旗、日の丸は世界の数ある国旗の中でも、最も優れたデザインの国旗だと思っています。シンプルで、さわやかで、しかも気品があり、沢山の国旗の中に混じっていてもすぐに目につくすばらしい国旗だと思います。
 残念なのは、過去に日の丸を悪用した人達がいた為に、今でも日の丸に嫌悪感をもつ人々がアジアの国々や、オランダ、イギリスなどにいると云う事実です。又、最近の日本では、日の丸を偏狭なナショナリズムのシンボルとして押し立てようとする動きが一部にあるようですが、危険なことではないでしょうか。
 このベルギーにも、フラメンガンと呼ばれるフラマンの民族主義者がいます。ベルギーの国旗より黄色地に黒のライオンを描いたフランドルの旗を重用し、車の国名表示ステッカーも「B」でなく「VL」をつけたりしています。最近見たステッカーでは、EUのマークの真中に「VL」と書いたのがありました。
 フラマンの人達の民族意識の共通項は何と云ってもその言葉、フラマン語にあります。何故なら、ベルギー人の身体にはヨーロッパ中の血が流れている、と言われるぐらい混血が進んでいるこの地域で、フラマン民族の血などと言ってみたところでどうしようもありません。実際に、ガチガチのフラマン主義者の名前の中にフランス系やワロン系の名前を見つけるのは簡単です。反対に、ワロンの人の名前にもフラマンの名前が沢山あります。現ワロン政府首相やリエージュの司教さんの名前などは、典型的なフラマンの名前です。
 民族とは何でしょうか。外国で暮らしている私たちは自分の民族、日本人であることを意識する機会、或いは意識させられる機会が多いと思います。最近も、祖国、日本の首相が「日本は神の国」と言ったことが外電で流された為、こちらまでトバッちりを受けました。ベルギーの友人から「お前の国は神の国だそうだが、それはどういう意味なんだ」などと質問され、答えに窮しました。
 ベルギーに限らずヨーロッパの知識人が「神の国」と聞いたら、聖アウグスチヌスの名著「De Civitate Dei」(神の国)を思い起こしますので、日本の総理大臣の言う「神の国」発言とは全く次元の違う話しになってしまいます。私たち在留邦人がどうやって説明したって、分かってもらえる話しではないのです。「神の国は森の中にある」などと、つまらない駄ジャレを言って笑っている自分がみじめになります。
 民族と国家は別のものであることを、ヨーロッパに来てみて実感しました。日本にいた頃は、民族イコール国家と何となく思ってました。日本はそう云うふうに思わせる国であることが、国を出てみて初めてよく見えてきました。
 国を奪われた民族や、国がなかったのに国をつくった民族の話しは、世界の歴史に沢山あります。そして、それにまつわる戦争や悲惨な例も沢山あります。先日、プラハで開かれた世界のジプシー代表者会議で一つの決議が行われました。それは、ジプシーを一つの民族として認知することを国連に要請する、と云う決議でした。主権や領土をもった国ではないけれど、一つの言語、文化をもった民族として、世界中の人々に認めて欲しいと云う、ジプシーの人達の願いには切実なものが感じられます。
 日本人は、世界で最も「国際化」と云う言葉が好きな民族のようです。裏返して言えば、日本人は世界で最も純血と云うか日本民族の血統を大切にする民族で、国際化に一番向いてない民族のような気がします。人間は自分にないものを欲しがるものです。
 ユーロ2000で優勝したフランスのナショナルチームを見ると民族と国家が別のものであることがよく分かります。フランス民族ではない他民族出身の選手がフランス国民として大活躍していました。ベルギーの財政界にも他民族出身のベルギー人が沢山活躍しています。ですから、ベルギー人に、ベルギーは国際化のためにどんな努力をしてますか、などと質問しても、キョトンとされるだけです。
 日本の政界に、キム衆議院議員や、グエン参議院議員、アブデル大蔵大臣が誕生するのはいつのことでしょうか。名前を見れば他民族出身と分かっても、日本で生まれ、日本国籍を有する立派な人達が国政の場で活躍できるような時代が来た時、日本では「国際化」などと云う言葉はもう死語になっていることでしょう。
 民族の精神の象徴、民族の魂とか言って国旗揚揚や国家斉唱をすすめるのもいいでしょうが、国旗に誇りをもち、国歌を歌いたくなるような国をつくる方が、もっともっと大事なことではないでしょうか。
 結果として、そうなりませんか。政治家の皆さん。

No.64. シントック     

No.64. シントック 



 皆さん、今月号の標題になっているこの言葉を聞いたことがありますか。或いは、ベルギーに住んでいて、この言葉を誰かに言われたことはありませんか。できれば聞いたことも、言われたこともないことを希望します。
 「Chinetogue」とか「Chinetok」などと書くようですが、もとより正式なフランス語ではなく、俗にアルゴ、スラングと呼ばれるカテゴリーの言葉です。要するに人種差別用語で、もともとは中国人に対する蔑称だったのですが、今やわれわれ日本人にも適用されています。フランス語圏では、日本人に対する蔑称として最も強い言い方と思っていいでしょう。
 私が何故この言葉を思い出したかと云いますと、最近、面と向かってこの言葉を浴びせられたからです。私を゛シントック″呼ばわりした相手は、ベルギーの典型的なブルショワ階級に属すると思われる紳士で、立派な車に乗っていました。
 ゛事件″は、私とその相手がちょっと狭い道を車ですれ違う時に起りました。その道は距離は短いのですが、車が2台やっとすれ違えるかどうかと思われるぐらい狭い道なのです。私はその道をよく通り、対向車とよくすれちがってますので、少なくともその道に関してはベテランドライバーです。ご参考までに名前を云いますと、その道はUcclesにあるDreve du caporalで、Chaussee de waterlooからソワーニュの森の方に入る道路の一つです。途中までは普通の道路なのですが、森に近づくと急に狭くなります。
 その日は日曜日で、Chaussee de waterlooにブラドリーと呼ばれる路上市が立ってました。メインストリートの交通が遮断されてた為、脇道に沢山の車が入り込んでいました。立派な車の紳士も、慣れない脇道にのり込んだドライバーの一人だったのでしょう。狭い道の半ば辺まで来ていた彼は、道の入口の所にさしかかっていた私の車を見て、ライトをフラッシュさせて、入ってくるなと云う意志表示をしました。
 しかし、私にとって慣れ切った道ですし、2台の車が行き違うのに何の問題もない所なので、彼の意志表示を無視して入って行きました。お互いの車が同位置に来た時、彼は車の窓をあけてカンカンに怒った顔でこう言いました。
「ヘーイ シントック、お前どこに目をつけて運転してるんだ。車の運転を知ってるのか」
 身なりも立派だし、顔付きも上品だし、この人のどこからこんなに無礼で乱暴な言葉が出てくるのか、私は一瞬あっけにとられてしまいました。そして、シントックなどという言葉を言われたのは、10何年か前に一度言われたきりで、今回が二度目でしたから、猛然と怒りが湧いてきました。
 私も自分の車の窓から言い返してやりました。
 「何を、このウスバカヤロー、オレはなこの道を毎日(これはウソ)通っているんだ。お前なんかよりよっぽど詳しいんだ。お前こそ車の運転を知ってるのか。見てみろほら、ちゃんと2台通れるだろう。とっとと行け、このクソバカ」
 お断りしておきますが、私はベルギー在住20数年の間、これ程の罵詈雑言をベルギー人に浴びせたことは一度もありません。゛シントッック″というひと言で、私の怒りが爆発してしまったようです。今度は、向こうがあっけにとられる番でした。無知な東洋人に一発かましてやろうと思って私を怒鳴りつけたのでしょうが、これ程の反撃を喰らうとは思わなかったようです。彼は「クソバカはお前だ」と、捨てゼリフを残して行ってしまいました。
 彼も私も、背広にネクタイ姿でどこかのオフィスに坐っていれば、場末のカッフェの労働者のケンカとちっとも変わらないひどい言葉の応酬をする人間には見えないと思います。自分の意志表示を無視した東洋人への怒りと蔑視が、教養のあるベルギー人なら言わない言葉を誘発したのでしょう。
 彼にとって運が悪かったのは、私がシントックという言葉を知っていたことと、ベルギの大学時代に、学生寮にいたため、学生の使う汚い言葉や、ケンカ言葉を覚えたことです。肝腎の勉強の方はさっぱりでしたが、スラングや汚い言葉は今でもしっかり頭に残ってます。大学に行ったカイがあったというものです。
 この話しをベルギー滞在の長い知人の在留邦人の女性に話したところ、彼女もシントックと言われた経験があることが分かりました。彼女の場合は、スーパーのレジに並んでいた時だったそうです。
 1人のベルギー人のオバさんが、列の途中にいるオジさんの知り合いだったらしく、あいさつをしながらそのオジさんの場所に入り込もうとしました。知り合いに出会ったのをカモフラージュにした、ていの良い割り込みを計った訳です。この割り込みが、知人の女性のすぐ前で行われた為、彼女はオバさんに「マダム、みんな並んでいるのですから、列の後ろに行って下さい」と言いました。知人はフランス語が達者で、結構気丈な人なのでこんなセリフが言えたのでしょう。
 注意を受けたオバさんは不愉快極まりないという顔で知人をにらみつけた後、しぶしぶと列の後ろの方に移動しました。その時、知人の前にいたオジさんが「フン、このシントックめ」とつぶやきました。これを聞きつけた知人は「ムッシュー、今言ったこと聞こえましたよ。ムッシューは人権差別主義者なんですか」と、周りに聞こえるよう言いました。
 割り込みを計ったオバさんに対して、並んでいた人達もいい感じを持っていなかったので、知人の言葉にみんな好意的な反応を示しました。知人の痛烈な一撃を食らった上に、周囲の反応が自分に不利な状況になったのを悟ったオジさんは、何とも居心地の悪そうな顔をして、早く自分の順番が来ないかと云う態度だったそうです。
 皆さんの中にも、ベルギーで暮らしていて、不愉快な経験させられた人がいるかと思います。一度もイヤな思いをしたことがないと云う人は、幸せな人です。そのままベルギー滞在を終えて日本に帰られるといいと思います。
 ベルギーで経験するイヤな思いの中には、私や知人の例のような東洋人に対する或る種の人種差別感覚から来てるものが結構あるような気がします。小さな例ですが、味噌汁をつくってたら、隣のアパートの1人住まいのおばあさんに異臭がすると文句を云われた。日本人が乗った後のエレベーターに乗ると変な臭いがする、と云われた。買い物やその他の順番待ちの列に割り込まれた。店の店員同士がおしゃべりしてて無視された。タクシーのメーターをゴマ化された。中には言葉が分からないための誤解や、ベルギーの人達の生活習慣を知らなかったための摩擦もあるかも知れません。
 われわれの側としては、誤解を解く努力をすべきでしょうし、ベルギーの人達の生活習慣を尊重することも大切です。又、不正に対しては断固抗議する態度も身につけるべきだと思います。味噌汁の香りを異臭だというおばあさんに、健康にいいですよと、ワカメ入りの味噌汁を味わってもらったらどうでしょうか。味噌汁の臭いなんて、ベルギー名産、Herveのチーズに比べたら無いに等しいものです。日本人の乗ったエレベーターは変な臭いがするなどという人は、相手にしても仕方がないので、無視するしかありません。確信犯ですから話し合う余地はありません。
 列の割り込みはよくやられますが、言葉などできなくてもいいですから、きちんと列を守らせてやって下さい。まず、相手を指さします。そして同じ指で列の後方を指し示し、゛あなたもきちんと並びなさい″と日本語で言えばいいのです。これは非常に有効です。
 タクシーのゴマ化しは、遠回りされるか、メーターを日中なのに深夜料金にされるかのどちらかです。土地鑑のない所では、多少遠回りされても分かりません。授業料です。これを防ぐには、空港や駅の案内所で自分の行きたい所までのだいたいのタクシー料金を聞いておくことです。タクシーのメーターは1が日中料金で、2が深夜料金です。日中なのにメーターを2にまわしたら、ドライバーに「あなた今メーターを2にしたね」と言って下さい。そしてタクシー登録ナンバーを控えて下さい。この一連の動きで、たいていのドライバー態度を改めます。
 ベルギーでの日常生活で、私たち日本人が人権差別の対象になっているとは思いません。ベルギー人は歴史上他民族の支配を受けた期間が長かったので、外国人との上手なつきあい方に慣れています。ですから、一般には、この国の人達はわれわれ日本人にとても親切です。特に日本が経済大国としての地位を高めてきた頃は、日本人に対する見方がかなり改善された時期ではないかと思います。最近はこれがやゝ落ち目になってますが。
 ただ、一部のベルギーの人達の心にわれわれ東洋人や北アフリカ、ブラックアフリカなどの人達への根強い差別意識があるのは残念ながら否定できません。人種差別や外国人排斥を売り物にしているフラマンの極右政党、ブラームスブロックが選挙の度に票を伸ばしているのは、投票するベルギー人と云うかフラマンの有権者が増えているからです。先の市町村議会の選挙の時、アントワープの有権者の4人に1人がこの極右政党に投票しました。10月8日に行われる今度の市町村議会選挙での投票結果が気になるところです。
 人種差別は無くならないでしょう。人類が存在する限り人種差別も存在すると思います。世界の民主主義国家はその憲法で等しく人種差別を否定しています。しかし、それは到達すべき理念であって、実際に人種差別のない世界が実現するとは誰も思っていないと思います。
 極右政党が政権入りしてしまったオーストリーの例を持ち出すまでもなく、EUの加盟国の中でも、極右政党やネオナチの団体が雨後の竹の子のように存在感を示してきてます。「フランスをフランス人の手に」、「ドイツをドイツ人の手に」と云った、スローガンは、裏を返せば「外国人出て行け」となる訳ですが、このスローガンに共感を持つ人が各国共に少なくないのも事実です。外国人に出て行かれたら一番困るのは自分達であることを、頭の中では分かっていても、感情的に外国人の自国での存在を認めたくないのでしょうか。
 私を゛シントック″呼ばわりした紳士も、頭の中では人種差別はよくないことを十分にわきまえている筈です。「分かっちゃいるけどやめられない」のが人種差別なのでしょう。中国人や日本人をChinetogueと呼ぶ差別用語があるように、イタリア人をRital,スペイン人をEspingouin,ドイツ人をBoche,ユダヤ人をYoupinと呼ぶ差別用語が根強く存在してます。
 でも考えてみると、私たち日本人も人種差別については余り大きな顔はできないんじゃないですか。首都、東京のガバナーが゛三国人″などと云う言葉を平気で使う国ですから。
 日本はもともと村落共同体的な性格の国ですから、ヨソモノはなかなか入り込めない国です。それに横ならびの文化の国ですし、出る杭は打たれますし、みんなで渡ればこわくない国でもあります。違いや個性がなかなか認知されない国です。つまり、人種差別の条件が恐ろしい程そろっている国です。
 人種差別は、相手の人種、肌の色、言葉、宗教、文化、習慣などの違いを認めないところから発生します。つまり相手の価値を認めないか、認めても一段低い価値としてしか認めようとしないのが、人種差別ではないかと思います。
 ここまで書いてきて、今月号の「新ベルギー物語」は書かない方がよかったのではないかと思い始めてます。知ったかぶりをして、皆さんに余計なことを言ったのではないかと反省をしてみます。゛シントック″などと云う言葉を知らなければ、例えどこかで誰かに言われても、ニコニコと聞き流しておれたのに、意味を知った今となっては、私のように相手を罵倒せずには収まらない人が出てくるかも知れません。
 これは日白友好関係に悪影響を及ぼします。日本人会広報委員会がこの原稿をボツにしても、決して文句は言いません。

No.65. 恋

No.65. 恋


 ゛恋″、何と甘味な言葉でしょうか。日本語の中でも、好きな言葉の一つです。日本語に、恋と愛の二つの言葉があることを、私は日本人として誇りに思ってます。L'AmourにしろLoveにしろ、恋と愛の明確な区別がありません。そのために、こちらの言葉ではMa bicheとかMon chouとか、SweetだのTenderだのといった補助的表現が必要になります。
 秋も深まり、冬の入口が見えてくる11月。葉っぱのフレディが土に還り、新しい生命への土台を準備するこの季節。人は人生を思い、越し方、行く末を考え、思索にふけるこの時期に、恋などというタイトルは何やら場違いな感じがします。
 今月号のタイトルに゛恋″を選んだのは、特別な意味があってのことではありません。最近の「新ベルギー物語」は、内容がカタくて余り面白くないというご意見もありました。だからといって、この欄に宇野鴻一郎先生や川上宗薫先生ばりのヤワらかい文章を書く訳にはいきません。何と言っても、ベルギーの日本人会々報はレベルの高さではヨーロッパ一だそうですから。
 最近、フランスのテレビで面白い番組を二つ見ました。一つは「L'Amour cache」(隠された愛)と、もう一つは「Coup de foudre」(ひとめ惚れ)という番組でした。
 「隠された愛」は、主に会社内の恋愛がテーマでした。フランスのような国でも、社内恋愛を隠す必要があるらしいのです。誤解しないで頂きたいのですが、これは不倫の関係ではありません。お互いにバツイチとはいいながら、恋をし、一緒に住むのに何の支障もない二人の男女の話しです。隠すべき理由は何でしょうか。それは、二人の関係が、上司と部下の間柄だったからです。男性が上司で、女性がその部下でした。
 この二人は10年近く同じポジションで一緒に働き、3年前から一緒に住むようになりました。そして最近、二人が一緒であることを職場で公表しました。ところが、職場の反応は余りよくなかったみたいです。ま、職場の人達の感情も分かるような気がします。これまで同僚と思っていた女性が、知らない間に上司の恋人になっていたとしたら、何だこのと思うのが、人間の自然な感情でしょう。
 一方、いかにもフランス的というか、ヨーロッパ的なと思ったのは、この二人は自分達の関係を公けにした後も、同じポジションで同じように働いている事実です。日本だったらあり得ないでしょう。日本の会社で、上司と部下の関係にある男女が同棲を始めたらどうなりますか。許されますか。まずダメでしょう。
 まして、同じ課や同じ部所で二人が上司と部下の関係のまま仲良く勤務すること考えられますか。とんでもないことですよね。場合によったらその上司の男性は、福島県伊達郡桑折町(私の田舎です)の営業所に飛ばされ、部下の女性は居たたまれずに退社、の構図じゃないですか。社内恋愛をするなら、やっぱりヨーロッパがいいですよ、皆さん。
 もう一つの番組「ひとめ惚れ」は、いろいろなケースのひとめ惚れを紹介してました。フランス語をやった方はご存知の通り、ひとめ惚れ、Coup de foucheを直訳すれば゛稲妻の一撃″といった意味です。なかなか面白い表現ではありませんか。二人の男女が会った瞬間に、稲妻に打たれたように強い恋の電流が二人の心をつら抜くのです。これに反して、日本語のひとめ惚れは、男女両方が直ちに恋に落ちるという意味からちょっとニュアンスが違うと思います。ところで皆さんはどうですか。この稲妻の一撃をくらったことはありませんか。不肖、私は今日まで稲妻の一撃どころか、3分の一撃もくらったことがありません。何しろ、学生の頃から゛ふられのサミー″といえば有名でしたから。
 最初のケースは、女性が同時進行で二人の男性を愛し続けた話し。或る女性が或る男性とひとめ惚れの関係になりました。ところがその3日後に、この女性は別の男性とこれ又一目惚れの関係に落ち入ってしまいました。しかも彼女は独身だったのに、相手の男性は二人とも家族持ちだったのです。
 すごい女性がいたものです。結局は、それぞれの男性の家庭のことがあり、彼女は身を引くことになるのですが、彼女の二人男性への恋は10年近く続きます。テレビカメラの前で、いささかも物おじすることなく、自分の恋を語るこの女性に対して、私はつくづくエライなーと思いました。(不倫の女性を偉いなーなどと言ってはいけないことは、よく分かってるのですが)
 ゛恋は盲目″とは言い古された言葉で、一面の真理を含んでいますが、私は゛恋は力″だと思ってます。この世の中で最も難しい男と女の関係、しかも第三者の介入を許さない特定の男と女の関係を持続させる力が恋なのです。そして神様は、何故かこの力を女性の方に余分に与えているような気がします。
 上記の女性の立場に男性を置いたなら、同じような物語が成り立つでしょうか。或る男が家族持ちの女性二人とひとめ惚れの関係に落ち入り、10年近くもその愛をつら抜き通すことができるかどうか、甚だ疑問です。
 同じ番組でもう一人、すごい女性が紹介されました。そのスイス人の女性は、ボーイフレンドとケニアに旅行に行きました。そして観光コースになっているマサイ族の集落を尋ねました。そこで彼女はマサイ族の1人の青年を見て、稲妻の一撃に打たれてしまいます。一度スイスに帰った彼女は、ボーイフレンドと別れてケニアに戻って来ます。そして、観光コースの集落から本当の自分の部族の集落へ帰っていた青年を捜し当て、結婚してしまうのです。
 先進国スイスの快適な生活と、原始時代とそう変わらないマサイ族の部族生活の落差は、皆さんも容易に想像がつくでしょう。家とはとうてい呼べない原始的な住居、食物、部族のしきたり、一夫多妻等々、マサイ族として育った女性でなければ決して耐えられないであろう生活を彼女は始めます。 彼女の体重は激減し、流産をくり返します。それでも、彼女はマサイ族の夫への愛のため部族の中の生活を続けます。そして、やっと女の子に恵まれました。しかし、この女の子が産まれた頃から、マサイ族の夫は異常な嫉妬心と猜疑心で彼女を苦しめるようになります。女の子の父親は誰かといって彼女を責め続けます。
 ついに彼女は夫と別れ赤ん坊の娘を連れてスイスに帰ります。今は、彼女はスイスのドイツ語圏で娘さんと二人で幸せに暮らしてます。そして、自分の体験を書いた本がスイスでベストセラーになりました。マサイの集落で暮らしていた頃の彼女の写真とは見違えるばかりに体格が良くなり褐色の肌の娘さんと快活に話すこの女性を見て、私は恋の力はやっぱり女性の方が強いと、つくづく思いました。
 これに反して、恋の力の弱い、まったくだらしのない男の例を知っています。あるベルギー人の男性がイスラム教徒の女性と恋に落ちました。しかし、厳格なイスラム教徒である彼女の父親は、彼がイスラム教徒にならない限り結婚は許さないと言います。彼は彼女への愛のためイスラムへの改宗を受け入れます。
 しかし、厳格な彼女の父親は改宗の「しるし」を要求します。その「しるし」とは何でしょうか。そう、それは割礼なのです。ユダヤ教徒とイスラム教徒の男性は、全員この割礼を受けなければなりません。(割礼について、この誌上で事細かに説明するわけにもいきませんので、割礼が何であるかご存じない方は、別途調べてください。日本の週刊誌で男性用クリニックの広告として言葉は違いますが実質的に割礼の広告が出ています。)
 ところで、くだんの男性、割礼はイヤだというのです。そんな痛い思いはしたくないというのです。割礼を強制するようなら、彼女との結婚はあきらめるとまで言い出しました。何ともだらしのない男です。割礼が痛いのかどうか、経験のない私にはわかりませんが、彼女を愛し、結婚したいのなら割礼ぐらい受ければいいじゃないですか。結局、この男は彼女と別れてしまいました。日本人会男性諸氏の皆さんならどうしますか。割礼を受けますか、考えてみてください。
 恋に失恋は付きものです。当事者にとっては大問題でも、ハタから見ていると、どうしてそんなに騒ぐのと言いたくなるケースもあります。私は最近、失恋の修羅場に立ち会いました。場所は、毎度おなじみの乗馬クラブです。
 乗馬をやる男女には恋多き人が多いみたいです。乗馬クラブ内の男女の相関図ができます。ステファニーとセルジュもこの相関図の中のワンカップルでした。ステファニーは若いのに乗馬の先生です。セルジュは乗馬はしません。いつも彼女の仕事が終わるまで、クラブのバーで一杯飲みながら待ってます。二人でいる時はいつもベタベタしている仲のいいカップルでした。
 どういう理由からなのか分かりませんが、ある日ステファニーはセルジュに恋の終わりを告げました。それからが大変です。セルジュはステファニーとの恋の終わりを、どうしても認めることが出来ません。これまで通り、クラブのバーでステファニーを待ってます。しかしステファニーはセルジュを見ても、声をかけることさえしなくなりました。
 私が居合わせた時に、騒ぎが起こりました。その晩もセルジュはクラブのバーでふとりで飲んでました。乗馬を終えたわれわれがビールなどを飲んでしゃべっていた時、ステファニーが入ってきました。するとセルジュは、自分の携帯電話をステファニーの方に突きつけて、「何度もメッセージを残してるのにどうして返事をくれないんだ」と言いました。これに対してステファニーは、「返事をすることがないからよ」と答えました。
 これを聞いたセルジュは携帯電話を激しい勢いでバーのカウンターに叩きつけました。ケースに入ってなかったら、電話機はこなごなになっただろうと思えるぐらいの激しい勢いでした。そしてステファニーにつめより、「どうしてなんだ、僕は君をずっとずっと愛してるのに、どうしてなんだ」と叫ぶように言いました。
 ステファニーは冷たい目でセルジュを見つめた後、くるりと背を向けて部屋を出ていこうとしました。その時、セルジュはいきなり、ステファニーに抱きつこうとしたのです。ところが、食事のためにセットアップしてあったテーブルに足を引っかけたために、テーブルがワイングラスやお皿とともに倒れ、ハデな音がして破片が飛び散りました。そばにいた者がセルジュを押さえてなだめている間に、ステファニーは行ってしまいました。こういうのを修羅場というのでしょうね。
 恋のためとは言いながら、日本人は公衆の面前でこういう修羅場をくり広げることが出来るでしょうか。陰気なストーカーになって、相手にもっとひどい迷惑をかけるのが日本的なやり方のような気がします。私個人としては、どんなに愛する人であっても、そのひとの心が自分から去ってしまったなら、潔くそのひとの前から姿を消すのが、恋の終末にふさわしい美学だと思ってます。古いですかね、こういうのは。
 誰だったか忘れましたが、百万べん恋をして、百万べんふられたら、又百万べん恋をしたい、と書いた人がいました。恋は人生の華、活力の源です。恋をしていれば、暗いベルギーの冬も、青空いっぱい、花いっぱいの楽しい季節になります。ただ、恋の相手を間違わないようにしましょう。既婚の方の恋の相手は、理論的にはその配偶者です。
 誰ですか、「だったら恋なんかしない方がいい」なんて言う人は。寅さんに叱られますよ。「それを言っちゃーおしまいよ」って。

No.66. 紅白歌合戦   

No.66. 紅白歌合戦 



 久しぶりにNHKの紅白歌合戦を見ました。勿論、1999年12月31日に放映された歌合戦です。日本へ最終帰任した友人が置いて行ったビデオカセットの中に、「NHK紅白歌合戦」とタイトルの付いたカセットがあったので見てみました。
 最後に紅白歌合戦を見たのは、いつのことだったのか覚えていません。里帰りして日本でお正月を迎えたのは10何年か前が最後ですから、紅白歌合戦も10何年か前に見たのが最後だと思います。こちらにいても、JSTV等でいくらでも見られるのですが、我が家にJSTVは入ってませんし、特に興味があるわけでもないので、これまで強いて見る機会を作りませんでした。
 次々と登場してくる歌手の大半は知らない歌手でした。特に若い歌手やグループは全然知りません。勿も、よく週刊誌ダネになってるような超有名な若手歌手は顔も名前も知ってますが、それはごく少数でした。それと、自分がカラオケで歌う歌の歌手は見分けられました。いずれにしても、自分は日本のミュージックの世界では浦島太郎であることがよく分かりました。
 紅白歌合戦を見ていて、気がついたことがいくつかあります。一つは、若い歌手の日本語の発音がおかしいことです。例えば゛愛してるー″と歌う場合、゛し″とか゛る″の発音が通常の日本語の発音と違うのです。これはわざとそう発音してるのでしょうが、きれいな日本語とは言えません。
 ただ言葉は生き物ですから、今の若い歌い手さんの発音が正しい日本語の発音として認められる日が来るかも知れません。その時まで、私は頑固に゛おかしい″と言い続けるつもりです。
 シャンソンの世界でも、イブモンタンのChu,ChaといったChの発音が特別でした。又、エディット・ピアフやミレイユ・マテューのRの発音は独特です。しかしこれは、他人が真似できないモンタン節、ピアフ節、マテュー節と呼ぶべき、それぞれの歌手が創り上げた歌の世界の発音なのです。紅白で歌っていた若い歌手たちは、それこそネコもシャクシも同じような発音をしていました。若いのに彼らも又、日本の横並び社会からは抜け出せないのでしょうか。
 もう一つ気がついたことは、歌詞の中にやたらと横文字が入ることです。何が悲しくてあんなに横文字を使わなきゃいけないのでしょうか。リズムに合うとか、音楽性を高めるとか、いろいろな理由があるのかも知れません。でも、美しい日本語だけの歌詞で、すばらしいリズムと音楽性の高い曲や歌はいくらでもできると思います。
 私は何も、横文字を毛嫌いしているわけではありません。それどころか、ベルギー在住の皆さんと同じように、横文字の世界にどっぷりとつかって生活しています。家族との会話も、横文字を使わないと意志の疎通ができないという、悲惨な境涯におかれています。そのせいかどうか、日本語に対して人一倍敏感な反応をするようです。
 フランス語の歌に英語は入りません。英語の歌にフランス語は入りません。たまに、単語の一つや二つは入ることあっても、紅白で聞いたいくつもの歌のように、日本語なのか英語なのか分からないような外国語ゴチャ混ぜの歌は絶対にありません。自分の言葉を大切にしてます。
゛みんなが喜んで聞いて歌ってるんだから、それでいいじゃない。日本語だ、英語だとうるさいよ、オジさん″と言われれば、勿論、゛あんたの言う通り″と答えるでしょう。でも私は英語だか日本語だか分からない歌詞を作る人、歌う人、聞いてる人の後ろに、抜きがたい横文字劣等感をかぎ取ってしまうのです。
 本会報に、毎月英語の奥義を分かりやすく書いておられる森山さんのような英語の達人は別にして、日本人は平均して世界に冠たる英語ベタの国民です。世界の首脳が集まる会議で日本の総理大臣や、閣僚が何か場違いな、全体の雰囲気にとけ込めない感じを醸し出しているのはどうしてでしょうか。理由は簡単です。彼らは言葉がしゃべれないからです。通訳のいない場では、各国首脳や閣僚と個人的な話ができないのです。ニタニタ笑って記念撮影におさまるのがセキの山なのです。フランス語一辺倒だったらシラクさんだって、各国首脳と英語でしゃべってますよ、最近は。
 日本の政界ではへたに英語がうまいと、英語屋とか英語使いとか呼ばれて、バカにされる風潮があると聞いてます。外国語の上手な人をバカにしている政治家が大臣になって、英語教育の改革だの、しゃべれる英語教育だの、バイリンガルは未来へのパスポートだのと音頭をとってみたところで、゛じゃあ大臣、あなたはどうなんですか、しゃべれますか″と聞かれたら、どう答えるつもりなんでしょうか。まず、隗より始めよです。
 ま、アイドルに英語混じりの歌をどんどん歌ってもらいましょう。その結果、英語に興味を持つ人が増えて、日本人の英語能力が世界ランキングドン尻の方から少しでも上にあがれば、それはそれでアイドルが貢献したことになるではありませんか。
 紅白歌合戦に出てくる歌手の衣装は、各歌手にとって一年間で一番の晴れ姿、或いは一生に一度の晴れ姿ですから、最大限の趣向を凝らしたものであるのは当然です。でも大変ですね、見てて。他の歌手の衣装とは似てなくて、自分を美しく、或いはカッコよく、際立って見せる衣装のアレンジは、想像を絶して大変なものだろうと思いました。
 中には奇妙きてれつなものもありました。1999年の紅白歌合戦を見た方は思い出しますか。エジプトをイメージした美川憲一さんの衣装というか、道具仕立てが奇妙きてれつでは一番だと私は思いました。
 続いて、天童よしみさんの衣装は、ブリュッセルの王立美術館にある有名なブリューゲルの「イカロスの失墜」をイメージしたものだったのかもしれません。両腕につけた羽を広げて、まさに天空に飛び立つか、といった衣装でした。もっとも、天童よしみさんの場合、羽を動かしても、重量オーバーで飛び立つのは無理で、客席に転がり落ちたかもしれません。やらないで良かったと思います。
 整形手術というのは、意外とわかるものですね。芸能人が整形手術をするのは当たり前のことですが、紅白の歌手達の中にも明らかな整形美女や美男がいました。整形手術は、親からもらった顔の一部を変えるわけです。親からもらった顔は、良きにつけ悪しきにつけそれなりにバランスが取れています。客観的に見て、その顔がギリシャ彫刻的な均整の取れた顔かどうかは別問題ですが、その人個人の顔としてはバランスが取れているわけです。
 整形をして顔の一部を変える。例えば鼻を高くした場合、親からもらった顔のバランスが崩れることになります。つまり、低い鼻の方がおさまりが良かったのに、鼻が高くなったことに、何となくアンバランスな印象を与える顔になってしまいます。
 寅さんの顔を思い浮かべてみてください。あの渥美清さんの鼻を高くしたらどうなりますか。寅さんが寅さんでなくなってしまいます。寅さんの顔は、全体の輪郭から顔の各部分までうまく調和がとれてあの顔を作っていました。
 芸能人が商売上、整形するのは理解できます。私は堅気の人間ですので、整形の必要はありません。親からもらって、長いことつきあってきたこの顔です。ギリシャ彫刻の均整美からはほど遠い顔ではありますが、この顔で良いと言ってくれた人もいました。それに今さら顔を変えたからと言って、自分の人生が大きく変化するわけでもありませんしね。
 茶髪や金髪は、今の日本で一つのモードとして定着していると言っていいでしょう。紅白の男性歌手にも茶髪や金髪がたくさんいました。しかし、私は日本人に茶髪や金髪は絶対に似合わないという自説を、変えるつもりはありません。
 各民族の顔や髪の毛の色には長い長い歴史があります。何千年、何万年の歴史があります。現在の各民族の髪の毛は、その民族の皮膚の色、顔かたちなど、いろいろな要素の総合体の一つとして、長い歴史の中で作られてきたものです。
 ヨーロッパ民族の混血が進んでいるベルギー人の髪の毛の色は、実に多彩です。皆さんの周囲を見てください。本当にありとあらゆる髪の毛の色があります。ベルギー人の身体には、ヨーロッパ中の血が流れていると言われる理由がわかります。髪の毛の色は民族の血の現れなのです。
 日本人の髪の毛も、長い歴史の中で作られてきました。ヨーロッパの人たちのように多彩な髪の毛の色はありません。日本人の髪の毛の種類はせいぜい3種類でしょう。黒い髪、白い髪、そして髪がない、これだけです。
 つり上がった目、ダンゴ鼻の顔にいきなり金髪をのっけても、似合わないのは当たり前です。ベルギーの人から気味が悪いと言われても仕方がありません。本人が良いと思っていればそれで良いのでしょうが、どうして欧米人の髪の毛の色を真似なければいけないのですか。個性を強調したければ、物真似ではない別の方法を考えたらいいのです。さかやきの剃り跡も青々とした、ちょん髷姿の若い人が、六本木や青山や白金のディスコに現れてもいいじゃないですか。
 私は茶髪や金髪が日本の若い人の没個性の象徴だと思っていました。しかし、もっと別の深刻な理由から、髪の毛の色を染めている中高生がいる事実を最近知りました。それは自己防衛のためだというのです。つまり、髪の毛を染めていないと仲間はずれや、いじめに合うというのです。何とも悲しい日本の現実です。自分の意志に反して髪の毛を染めている中学生や高校生のことを考えると、日本の社会のどろどろとした負の部分を見るようで、暗い気持ちにさせられます。
 一年遅れの紅白歌合戦のビデオを見たことから、なにやら嫌みなオジンの「今時の若いもの」批判になったかもしれません。でも私は少しも気にしません。若いときは批判されるのが当たり前なのです。若い世代は批判されるために存在するのです。人生の先輩の批判のお陰で、どこに行ったらいいかわからなかったエネルギーや可能性に、方向づけが与えられるのです。そしていつの日か、彼らも又次の世代を批判する立場に立つのです。
 「近頃の若い連中は年長者の言うことを聞かず、自分勝手に振る舞い、目を離すとすぐ怠けようとする。」これは2000年以上も昔のローマの賢人の言った言葉です。いつの時代も同じなのです。人間なんて1000年や2000年で変わるものではありません。
 2001年も己の信ずるところに従い、肩肘を張らずにのんびりと行きたいものです。皆さん、暮れには紅白歌合戦を見て、良いお年をお迎え下さい。