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No.122 ベルギー全部丸かじり(その四)

No.122 ベルギー全部丸かじり(その四)





明けましておめでとうございます。
   本年もよろしくお願いいたします。

2005年の終盤は、カシミール地方の地震や、際限なく繰り返される各地のテロ事件、そして車の焼き討ちに象徴されるフランスの暴動など、世の中が騒然とした感じでした。

新しい年は、悲しみに打ちひしがれる人、不幸の壁の厚さの前にててずむ人が、一人でも少なくなることを祈らずにはおられません。

人は何かを信じ、何かに頼らなければ生きていかれない存在だと、私は思っています。「いや、オレは何も信じないし、誰にも頼らずに今日まで生きてきた」と言う人がいたとしても、その人は自分が信頼をおいている対象や、自分を支え、助けてくれている人々の存在に気がついていないだけではないでしょうか。

何かを信じるという行為が、人間の本性に根ざしたものなら、私たちが実にいろいろなことを信じながら生きているのも納得がいきます。

通勤の車の中で毎朝ラジオから流れる「あなたの今日の運勢、星占い」など、バカバカしいと思いながらも、自分の星座の番になると、金運、仕事運、女性運など、つい聞き耳をたててしまいます。

だいたい自分の星座を知っていることじたい、すでに何かを信じている証拠なのかもしれませんね。

星占いはラジオだけではなく、新聞、雑誌など広範なメディアに登場してますから、それだけ愛好者が多いということでしょう。
面白いのは、同じ日付の星占いでも、ラジオとか新聞とか雑誌とか、それぞれの媒体によって内容がみんな違うことです。

天体の軌道が一つなら、その運行によって影響を受ける人の運勢も、一つであるのが理屈ではないのでしょうか。

これは想像ですが、星占い師組合(あるのかどうか)刊行の電話帳みたいに厚ぼったい業務用のネタ本があって、そこに運勢についてのあらゆるケースが網羅されており、占い師は毎日その日の運勢をネタ本から取り出して組み立てているのかも知れません。

ネタ本からどういう内容を取り出し、どういうふうに組立てるかが、占い師のセンスにかかってくるわけです。センスのいい占い師ほど人気占い師になっていきます。

プロの占い師の方に対して、かなり失礼で意地の悪い見方ではありますが、どうもそんな気がしてなりません。

もっとも、占い師全員が同じ内容の運勢を述べていたのでは、商売あがったりになるので、各自が独自の見解の運勢を述べざるを得ないのでしょう。

たまたま見ていたフランスのテレビで、面白い実験をやっていました。

会場に集まった20人のフランス人男女に、各自の星座に由来する性格診断の説明書が渡されます。これをよく読んだ後、自分の星座からくる性格診断が、自分の性格と一致しているかどうかの点数をつけます。

結果は、20人中18人が星座の性格診断は80%以上自分の性格を言い当てている、と答えました。当っていないと答えたのは、2人だけでした。

面白いのは、この実験にはどんでん返しがあったのです。

各人に渡された性格診断書は、星座の名前を変えただけで、内容は全員同じものだったのです。実験を受けた人たちは、顔を見合わせ苦笑いをしてました。

フランスの有名な女性星占い師にエリザベート テシエという人がいます。彼女が過去に占った“実績”にこんなのがあります。

1.クリントンは決してアメリカの大統領にはなれない。
2.リヨネル ジョスパンはフランス大統領になる。
3.2001年9月11日は旅行に最も適した日で、特に飛行機旅行が安全である。
4.EU憲法の是非を問う国民投票で、フランスは“Oui”派が勝利をおさめる。

こういう実績のあるテシエさんですが、彼女は依然として星占い師として活躍していますから、当る時もあるんでしょうね。

皆さんの自宅の郵便受けにも入ってると思いますが、“Vlan”その他のミニコミ誌の広告欄を見ると、じつにさまざまな広告があって面白いです。

その中に「Science astrale,Occultisme]という項目があります。これは天体学、神秘主義、魔術といった意味ですが、要するに占い師や霊媒の広告欄です。

広告欄を読んでみると、彼ら或いは彼女たちの力を借りれば、この世の全ての問題が解決することになってます。

解決すべき問題の中で一番多いのが、男女の愛情問題です。

「失われた愛を取り戻してあげます」。「あなたの元を去った愛する人を、3日以内にあなたの元に戻してみせます」。「あなたの愛情問題を最終的解決し、結婚へ導きます」。

「あなた方の間に愛情を取り戻し、離婚を回避してあげます」。

他には、「痩やせさせてあげます」、「どんな医者も治せなかったあなたの病いを、直ちに癒してあげます」、「金銭の問題を解決してあげます」、「八方塞がりのあなたの最後のより所は私の魔術です」、「あなたにかかっている呪いを解いてあげます」など、いろいろな問題解決をオッファーしてます。

営業トークもいろいろです。

「お代は問題が解決してから頂きます」と言いながら、電話がダイヤルQ2システムになっていて、こちらが電話をすれば1分で1.20ユーロがしっかりと魔術師の懐に入るようになってます。

「アフリカの地で、先祖代代受け継がれてきた魔術能力が、あなたの問題を即解決します」。「他の霊媒師が解決できなかったあなたの問題を、即刻、100%解決します」。

誰がみてもバカバカしい内容で、こんなことにお金を払う人がいるのかしらと思いますが、毎週広告が載るということは需要があるからなのでしょう。

世の中には迷信とか俗信と呼ばれる信仰がありますが、ベルギーにはどんな迷信があるのでしょうか。この場合、ベルギーというより、ヨーロッパにはと言った方が正しいかも知れません。

ご参考までに、よく知られた迷信を述べてみます。

1.鏡を割る、或いは割れた鏡

不吉なことのシンボル。鏡には悪霊が閉じ込めれれているので、これを壊すと悪霊が出てくるのだそうです。

そう言えば、白雪姫にでてくる意地悪な女王さまが鏡に向かって「この世で一番美しいのはだれ」と聞くと、鏡がちゃんと答えてました。

日本ではめでたい時に、こも被りの酒樽のふたを割る鏡割りと言うのがありますが、これはこちらの迷信とは、あまり関係ないですね。

2.梯子の下

梯子を壁に立てかけると三角形ができます。これはキリスト教の父と子と聖霊を意味する三位一体を現します。

従って、立てかけてある梯子の下を通ることは、聖なる三位一体を汚すことになり、不幸や良くないことが身にふりかかってくる原因になります。

特に、13の金曜日に梯子の下を通るのは絶対にやってはいけないそうです。

昔は罪人の首を切る前に、梯子の下をくぐらせたといわれてます。

もっとも、梯子の上でペンキ屋さんが仕事をしている場合、その下は通らない方が無難です。

3.塩

塩入れを倒すと良くないことが起きる。もし倒してしまったら、一つまみの塩を左肩から後ろに投げると悪運が去る。
家から悪霊を追い出すためには、各部屋の隅に塩を盛る。
生まれてくる子供の性別を知るために、母親の乳房の上に塩を置いて、早く溶けたら女の子で、なかなか溶けなかったら男の子が生まれる。
自分に害を及ぼす人間から身を守るためには、買ったばかりの塩袋から小袋分を取り、三日三晩身につけておいて、四日目に川に流すと相手は無害になる。
さすがに塩はいろいろな効能があります。
日本でも玄関に塩を盛ったり、招かれざる客が帰ったあと塩を撒いたり、お相撲さんの土俵上での塩撒きなど、塩は清める力が認められています。

4.蜘蛛

蜘蛛が上からさがってくるのを見たら、近いうちに金が入る。

蜘蛛は動物を守ってくれるので、家畜小屋の蜘蛛の巣を払ってはいけない。

芥川竜之介の小説に「蜘蛛の糸」という小説がありましたが、蜘蛛は東洋でも西洋でも想像以上に大切にされているようです。

5.蹄鉄

幸運と豊かさのシンボル。

形が月が満ちてくる過程に似ているため、力や運勢が満ちてくる象徴。

使用済みの蹄鉄を偶然に見つけるのが一番いいが、誰かにもらってもいい。

家の扉や車につけて置く。

私のところには、使用済みの蹄鉄がいくらでもありますから、ご希望の方には差し上げます。偶然に見つけたいのであれば、お宅の近所にばら撒いておきます。

本当は森に散歩にでも行った時に、偶然見つけるのが有り難みがあっていいのでしょうが、馬の蹄鉄が外れることは滅多にありませんから難しいですよ。

6.兎の足

兎は多産のシンボルなので、子供が授かる。また、悪魔払いにも効能がある。

小兎は目をあけて生まれてくるので、兎には悪霊を見る力がある。

7.数字の13

古代の宗教で、神に仕える者は13人であった。そしてそのうちの一人が神への生贄として殺されていた。
最後の晩餐の席に、キリストと12人の弟子がいたが、その中の一人は裏切り者のユダだった。
従って、西洋の人は13人で食事をすることを嫌うそうです。もし13人で食事をしたら、最初に席を立った人に不幸が訪れるという、迷信もあるそうです。

上記の迷信に深い意味があるとは思いませんが、人は物事を信じることによって、思いがけない力に恵まれることがあるのは事実でしょう。信仰は山をも動かすと言うではありませんか。

お父さん、今年は、お母さんが聡明で美しく、気立てが良くて申し分のない伴侶であるという信念を持って対処してみてはどうでしょうか。でんと構えて、山のように動かないお母さんも動くかもしれませんよ。     

No.123 ベルギー全部丸かじり(その五)

No.123 ベルギー全部丸かじり(その五) ベルギーの偉人たち




皆さんの“ベルギー度”を試してみてください。

下記の二つのリストに載っている人物(重複している人もいますが)の中で、皆さんは何人の人を知っていますか。

10人以上知っている人は、ベルギ-度のかなり高い人です。15人以上知っている人は、ベルギー人と対等に話の出来る人で、ベルギー度が最高点に近い人です。


<リストA>

ジャック ブレル(Jacques Brel)
ボードワン一世国王(Le Roi Baudouin 1er)
ダミアン神父(Pere Damien)
エディー メルクス(Eddy Merckx)
シスター エンマニュエル(Soeur Emmanuelle)
ジョゼ ヴァンダム(Jose Van Dam)
ブノワ プルヴォルド(Benoit Poelvoorde)
エルジェ(Herge)
ルネ マグリット(Rene Magritte)
ジョルジュ シムノン(Georges Simenon)


<リストB>

ダミアン神父(Pater Damien)
ポール ヤンセン(Paul Janssen)
エディー メルクス(Eddy Merckx)
アンビオリックス(Ambiorix)
アドルフ ダーンス(Adlf Daens)
アンドレアス ヴェザリウス(Andreas Vesalius)
ジャック ブレル(Jacques Brel)
ジェラルドゥス メルカトール(Gerardus Mercator)
ピーターポール ルーベンス(Peter Paul Rubens)
ヘンドリック コンシアンス(Hendrik Conscience)


どうですか、皆さんのベルギー度は?

上記二つのリストは、ベルギーの人々が選んだ最も偉大なベルギー人のリストです。

RTLテレビが主催して、ベルギーの歴史上優れた功績を残した100人の候補者の中から、各言語圏の視聴者が投票で10人を選びました。

リストAは、ブリュッセルを含むベルギーのフランス語圏の人たちが選んだ偉人のリストです。

リストBは、フラマン語圏の人たちが選んだ10大ベルギー人のリストです。

両方から選ばれたのは、ジャック ブレル、ダミアン神父、エディー メルクスの3人で、他は全然違っているのが面白いですね。

フランス語圏の人たちが選んだリストAに入っているフラマン系は、ダミアン神父とエディー メルクスの2人だけです。一方、フラマン語圏選定のリストBには、フランス語系ではジャック ブレル1人しか入っていません。

身びいきとはいいながら、言語圏によってこれだけ評価が変わるのは、いかにもこの国らしいと思います。

客観的に見て、リストAのブノワ プルヴォルドより、リストBのメルカトールやルーベンスの方がはるかに有名ですし、リストBのアドルフ ダーンスは知らなくても、マグリットやシムノンを知ってる人は多いと思います。

ベルギーの人たちが、フラマンだワロンだというアイデンテティーの根拠は、どこにあるのでしょうか。血筋でしょうか、あるいは言葉なのでしょうか。

私は言葉だと思っています。

べルギー人の身体にはヨーロッパ中の血が流れている、といわれるぐらい混血が進んでいるこの地域で、オレは純粋のフラマン人だ、わたしは生粋のワロンよ、などと言える人が何人いるでしょうか。

名前を見れば祖先の分かる人が沢山います。

ガチガチのフラマン主義者の名前が典型的なフランス系の名前だったり、ワロン政府の首相の名前がVanで始まるフラマンの名前だったり、例をあげれば切りがありません。ベルギーの人たちは、自分が話す言葉の中にしか自分のアイデンテティーを見つける方法がないのだと、私は思っています。

余談ですが、ベルギーのリンブルグ州にはかって炭鉱労働者として移住してきたトルコ系のベルギー人が結構住んでいます。

今はフラマン語で教育を受けた二世、三世の時代ですが、私の知っているトルコ系二世のベルギー人は、フランス語系のベルギー人を批判し、極めてフラマン主義的発言をします。

「あんたに関係ないんじゃないの」とからかい半分に言うと、「オレには関係ないかもしれないが、それにしてもフランス語の奴らはけしからん」と自説を変えません。

また、フラマンの男性と結婚してフランドルに住んでいる日本人の女性から、フランドル独立を擁護するような発言を聞いて驚いたことがあります。

この女性は、日本にいたころ、つまり旦那さんと知り合う前は、ベルギー人の半分以上がフラマン語を話す事実さえ知らなかったのです。

言霊とはよく言ったもので、言葉は人の魂の奥深く入り込むもののようですね。

さて、せっかくベルギーの人たちが選んだ偉人たちですので、リストに従って簡単に人物紹介をさせて頂きます。

<リストA>

ジャック ブレル
有名な歌手なので皆さんもご存知でしょう。ベルギーに住んでいて、ブレルを知らなかったらモグリと言われますよ。1929年にブリュッセルのスカールベークで生まれました。“Ne me quitte pas”、“Le plat pays”など有名なシャンソンの作詞、作曲家でもあります。晩年をタヒチ島ですごし、1978年にそこで亡くなりました。ベルギー駐在の記念に、彼のCDなど買って帰るのはどうでしょうか?
ボードワン一世国王
ベルギー王国五代目の王様。レオポルド三世国王とアストリッド王妃の長男。国民投票の結果退位した父王の後継者として、1951年若干20歳で王位に就く。1993年8月1日、心臓麻痺で急死。ベルギー建国以来例を見ない数の国民が、    弔問のため王宮の周辺を埋め尽くす。歴代の国王の中で、最も国民に敬愛された国王。リストBに入っていないのが不思議。
ダミアン神父
1840年フランドルのTremelo生まれ。聖心修道会神父としてハワイ群島のモロカイ島に渡り、生涯をライ病患者の救済につくす。当時のモロカイ島はライ患者を捨てるための島で、病院も救護施設もないこの世の地獄と言われていました。ダミアン神父は島に病院や救護施設を作り、患者の人たちの精神的支えとして共に暮らし、自らもライに感染して1889年に亡くなりました。モロカイ島に埋葬されていた遺体は、1936年にベルギー海軍の軍艦によって故郷に帰り、オステンドの港には国王が出迎えて敬意を表しました。
エディー メルクス
自転車競技の不世出のチャンピオン。1945年生まれ。1978年に引退するまで「Tour de France」を始め、数々の競技で525勝という前人未踏の記録をもつ。世界最優秀スポーツ選手に3回もノミネートされてます。ブリュッセルの地下鉄1B線に、彼の名前のついた駅があります。現在は自転車会社の社長さんや、テレビのスポーツアドバイザーとして活躍。“Ecoutez......”で始めるしゃべり方が、よく物まね芸人の材料にされてます。
シスター エンマニュエル
1908年生まれ。教育修道会のシスターとして、各国のミッションスクールで教鞭をとる。62歳の時、教育事業から身を引き、カイロのゴミ捨て場の周囲に掘っ立て小屋を立てて住む極貧の人々の間に住む。一緒にゴミ漁りをしながら、教育とは無縁だった子供たちのために学校を作り、劣悪な衛生環境を改善するため診療所を建てるなどして30年以上を過ごす。周囲にキリスト教徒は一人もいない。シスターが資金援助を求めてヨーロッパに来ると、講演会やテレビに引っ張りだこになります。97歳とは思えない明晰な話しぶりと、天性のユーモアと明るさに、司会の有名キャスターがかすむほど。
ジョゼ ヴァンダム
1940年ブリュッセル生まれの世界的なバリトン歌手。リエージュのコンセルヴァトワールで声楽を学んだ後、パリのオペラ座でデビュー。以後、ミラノのスカラ座、ウイーンの国立オペラ劇場など世界の桧舞台で活躍。日本の斎藤記念コンサートにも招聘されている。ボリス ゴドノフ、フィガロなど当たり役の他、新作オペラ「アシジの聖フランシスコ」の演技で絶賛を博す。彼のお陰でブリュッセルのモネ劇場の評価が高まったと言われています。 近年、アルベール二世国王により貴族に列せられ、ヴァンダム男爵になりました。
ブノワ プルヴォルト
1964年ナミュール生まれ。ベルギーの映画俳優として出発。現在はフランス映画で活躍。代表作として監督兼主演をした“C’est arrive pres de chez vous ”や“Podium ”など。2004年にはカンヌの映画祭の審査員も勤めている。ご本人には申し訳ないことながら、彼がベスト10に選ばれている理由が分かりません。
エルジェ
1907年生まれ。漫画“Tintin”の作者。20歳の時初めて“タンタン“を発表してから1983年に亡くなるまで、タンタンの冒険旅行漫画を次々と発表。世界中の言葉に訳され、映画化もされている。日本語にも訳されているが、日本では余り売れなかった模様。漫画は売れなくても、タンタングッズは結構有名らしくて、グランプラス入り口にあるタンタングッズの専門店には、日本人旅行者の姿がよく見られます。
ルネ マグリット
1898年生まれ。ブリュッセルのアカデミーで学ぶ。絵画上の試行錯誤の後、パリでシュールレアリズム運動に出会い、その代表的な画家になる。1967年に亡くなるまで住んでいたブリュッセルのJette区にある家が、マグリット博物館になっています。
10.ジョルジュ シムノン
1903年リエージュ生まれ。最初は地方の新聞記者として出発。1930年に出した「Commissaire Maigret」の第一作で売れっ子作家になる。彼はメグレ物以外に200以上の小説を書いてますが、“メグレのシムノン“の評判が高過ぎて、余り注目されてません。1989年にスイスのローザンヌで亡くなりました。
<リストB>(リストAと重複する人物は省きます)

2.ポール ヤンセン
1926年医者の家庭に生まれる。自らも医学、薬学を修める。当時の医療、投薬が病気を根本から治すより、一時しのぎの治療であることを憂慮し、小さな医薬品研究所を設立する。これが発展して世界有数の製薬会社Janssen Pharmaceuticaになる。  精神科系、神経科系 消化器系の薬 などで有名だそうです    

4.アンビオリックス
 紀元前50年代のガリア地方(今のフランスやベルギー)にいたEburon族の王。ローマの駐屯軍を攻撃した結果、シーザーの率いるローマ軍の懲罰遠征攻撃を受け、壊滅的な敗北を喫する。この戦いをもってシーザーのガリア征服は完了する。Tongerenの町に彼の銅像が立っています。又、EUの近くにSquare Ambiorixという地名がありますね。

5.アドルフ ダーンス
1839年生まれ。神父にして政治家。キリスト教国民党の創設に加わわり、国会議員に選ばれる。フラマンの権利回復運動にも参加。教会当局の禁止にも拘らず再出馬して当選し、政治活動を続け1907年に亡くなる。

6.アンドレアス ヴェザリウス
1514年ブリュッセル生まれ。ルーヴァン大学やパリで勉強。解剖学の祖といわれている。彼の描いた解剖図はオランダから長崎の出島を通じて日本に入り、ターフェル アナトミアの翻訳書「解体新書」にも使われた。

8.ジェラルドゥス メルカトール
地理の時間に習ったので誰でも知っている名前。1512年生まれ。ルーヴァン大学で勉強。地理上の発見が相次ぎ、従来の世界地図標記の不備が問題になってきた時、かれは独自の製図法を作り出し、有名なメルカトール図法を完成させた。

9.ピーターポール ルーベンス
説明の必要がないほどの有名人。1577年生まれ。アントワープで勉強した後、イタリアで修行する。1608年にアントワープに戻り、活動の拠点とする。1610年に大作『十字架に昇るキリスト』を完成。1611年に家を買ってアトリエにしたのが、現在のアントワープのルーベンス博物館。

10.ヘンドリック コンシアンス
1812年アントワープ生まれ。フラマン文学の先駆者。フラマンの人々の心の琴線に触れる作品を多数世にだす。フラマンの民族意識の覚醒、民族運動の発展に大きく寄与した。フランドルの国歌とも言われている“De Leeuw van Vlaanderen ”(フランドルのライオン)の歌詞は彼の作品です。


AとBのリストをみて感じたのは、当選している一部の人たちよりはるかに有名で、大きな業績を残している人がベルギーには沢山いるのに、何故選ばれないのだろうということです。

ベルギーの人たちが選んだリストに、外国人の私がケチをつけるのは思い上がりも甚だしいと、お叱りを受けるかも知れませんが、投票に組織票が動いたのでは、などという妄想が頭をかすめました。

ところでお父さん、お父さんにとっての偉人は誰でしょうか。自分を引き立ててくれる役員のSさんですか。或いは、一代でこの会社を築いた創業社長のTさんですか。

ま、いろいろ思いついたとしても、お父さんにとっての偉人はやっぱりお母さんじゃないでしょうか。年金受給日に「お世話になりました」なんて言われないように、今から奉っておいた方がいいですよ。                

No.124 ベルギー全部丸かじり(その六)

No.124 ベルギー全部丸かじり(その六) 資格試験:白耳義国史



しばらくは、ベルギーモノで会報のネタを稼ごうと云う魂胆から、今回は、わたしたちがお世話になっているこのベルギー国の歴史を題材にしたいと思います。

会報2月号に引き続き、皆さんの“ベルギー度“が試してみてください。

下記の問題10問中、1問も正解を出せなかった人は、この国にお世話になる資格がありませんので、荷物をまとめて日本へ帰っていただきます。(お帰りの航空券は是非弊社でお願いします)

ベルギーの歴史と云いましても、簡単ではありません。

建国以来175年しか経っていませんが、それ以前のベルギーの歴史にはヨーロッパの歴史が錯綜して入り込んでおり、この国の歴史を勉強すると云うのは実に大変なことになります。

ですから、今回はほんのさわりの部分だけを見てみたいと思います。

<資格試験10問>

1.1830年の独立前に、ベルギーを支配していたのはどの国ですか?

1) オランダ
2) オーストリー
3) スペイン      

2.ベルギーの国祭日は7月21日ですが、理由は何ですか?

1)1830年7月21日に、モネ劇場で上演されていたオペラ、 「La Muette de Portici」の中にある愛国心を高揚する一節を聴いた民衆が、支配国の軍隊に対して一斉蜂起をした。
2)1830年7月21日に、国民議会がベルギーの独立宣言を行った。
3)1831年7月21日に、レオポルド一世国王が国王としての宣誓を行った。

3.コンゴはベルギーの植民地でしたが、その前は何でしたか?

1) レオポルド二世国王の私有財産
2) ベルギーの財閥、La Societe Generale de Belgiqueの所有地
3) 國際連盟の委任統治国        


4.ベルギーの初代国王、レオポルド一世の出身は?

1) フランス国王ルイフィリップの弟
2) ハプスブルグ家
3) ドイツのハノーバー家

5.ベルギー人についての記述が初めて出てくる史料は?

1) シーザーの「ガリア戦記」
2) タキトゥスの「ゲルマニア」
3) アウグスチヌスの「神の国」


6.ベルギーの歴史を揺るがせた王制問題(Question Royale)とは?

1) オポルド二世国王が世継ぎを残さずに亡くなったこと。
2) レオポルド三世国王が第二次大戦中の行動を非難され、国民投票の結果退位し、1951年に王位を長男のボードワン一世に譲ったこと。
3) 1990年、ボードワン一世国王が中絶合法化の法案に対して、自分の良心に従って署名を拒否したため、政府は、国王が数時間の間だけ国王として君臨不可能な状態になったことにして、法案を実効化させたこと。


7.ベルギーが日本と外交関係を結んだのはいつですか?

1) 明治維新前の慶応2年、1867年に「修好通商及航海条約」を結んだ。
2) 明治3年、1870年に上記条約を結んだ。
3) 明治27年、1894年に条約改正で治外法権撤廃を盛り込んだ最初の条約

を結んだ。


8.ベルギーを初めて訪問した日本の天皇又はその名代はだれですか?

1) 大正天皇
2) 昭和天皇
3) 徳仁皇太子


9.ベルギーはいくつ州に分かれていますか?

1) 9つの洲
2) 10の州
3) 12の州


 10.フィリップ皇太子とマチルダ妃の長女で、未来のベルギー女王になるエリザベートちゃんの身体にはいくつの血筋が流れていますか?

1) 3つ
2) 5つ
3) 7つ


答えを見てみましょう。

問題1.の答えは1)です。

ナポレオンがワーテルローの戦いで敗れた後、ベルギーは列強の取り決めでオランダ領に編入されました。

問題2.の答えは3)です。

7月21日は初代国王レオポルド一世が国王としての宣誓を行った日です。

問題3.の答えは1)です。

領土がベルギーの80倍もあるコンゴは、レオポルド二世の私有財産でした。同国王は探検家のスタンレーに資金援助をしてコンゴを踏査させ、コンゴ独立国のタイトルで私有することを国際的に認めさせました。1908年に国王の意志でコンゴはベルギー領になりました。

問題4.の答えは3)です。

ベルギー国王になる前のタイトルは、サックスーコブール-ゴタ公爵でした。1816年にイギリスの王位継承者、シャルロット王女と結婚しました。しかし翌年に王女が亡くなり、やもめ暮らしのところに、1830年、ベルギーの独立政府から王位のオッファーがありました。その前に、ギリシャからも王位のオッファーがあったのですが、これは断ってます。

問題5.の答えは1)です。

シーザーの「ガリア戦記」に、シーザーがガリア(いまのフランス、ベルギーに相当)征服で戦った相手として、ベルガエ族というのが出てきます。シーザーはこのベルガエ族のことを、“敵ながら勇敢でよく戦う“と誉めています。

第一次大戦前夜、ドイツ軍のベルギー侵攻が焦眉の急を告げている時、当時のベルギー国王アルベール一世が、ベルギー軍向けの演説の中で、シーザーのこの言葉を引用して兵士の士気を鼓舞した話は有名です。

問題6.の答えは2)です。

この事件は、戦後のベルギーを真っ二つに割った大事件でした。

レオポルド三世は、戦争中ロンドンに樹立されていたベルギーの亡命政府と行動を共にしなかったことや、フラマンの女性、リリアン ドゥ バール嬢と関係を持ち、子供ができたため密かに結婚していたことなどが国民の怒りを買い、国民投票にかけられました。国王を支持する票が50%を越えたのですが、レオポルド三世は自ら退位を決意し、長男のボードワン一世に王位を譲りました。

問題7.の答えは1)です。

ベルギーと日本の付き合いは意外と古いのです。幕末にはもう正式な条約を結んでいます。幕府と修好条約を結んだ国の順番でいくと、アメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランス、ポルトガル、プロイセン、スイスの次で、ベルギーは9番目に入ってます。このへんの事情は、本会報に詳しい日―白関係史を書いておられる萩原さんに聞くのが一番いいと思います。

問題8.の答えは2)です。

昭和天皇は大正天皇の摂政の宮時代、1921年に、イギリス、ベルギーなどを訪問しています。その時、当時ブリュッセルのジェネラル ジャック通り 1番地にあった日本大使公邸で催された晩餐会で、昭和天皇は生まれて初めてダンスを踊ったそうです。

1971年に天皇としてベルギーを公式訪問した昭和天皇は、昔ダンスの相手をしてくれたベルギー貴族の令嬢(すっかりおばあさんになってましたが)と再会を果たしたというエピソードが残っています。

問題9.の答えは2)です。

知ってる州を言ってみてください。いくつ言えますか。

以前はベルギーは9つの州に分かれていました。1995年にブルッセルを中心としたブラバン州がブラバンフラマン州とブラバンワロン州に分離され、州が一つ増えました。

ついでですから全部書いてみます。

上記2つのブラバン州の他に、ゲントを中心にした東フランダース州、ブルージュなどが入る西フランダース州、アントワープ州、ハッセルトがあるリンブルグ州、リエージュ州、ナミュール州、アルロンが中心のルクセンブルグ州、モンスがあるエノー州です。

問題10.の答えは2)です。

正確を期すなら、この設問は正しくありません。

ベルギー王室の家系を遠くまで遡ったら、その血筋は数え切れないほど多くなってしまうからです。従ってこの設問は、直系の血筋だけでという意味です。

初代国王、レオポルド一世はドイツ系で、妃のルイ-ズマリーはフランス王ルイフィリップの娘ですからフランス系になります。二代目のレオポルド二世に子息がいましたが早世してしまい、王弟フィリップ殿下の次男、アルベールが王位に就きました。アルベール一世のお母さんマリーはドイツ系貴族出身でした。

アルベール一世の妃エリザベートはババリア公爵の娘ですから、こちらもドイツ系になります。四代目レオポルド三世の妃はスウェーデン王室出身です。五代目ボードワン一世の妃ファビオラはスペインのアラゴン家の出ですが、子供がありませんでした。

現国王アルベール二世の妃パオラはイタリア貴族出身です。

その息子であるフィリップ皇太子の妃、マチルドさんはベルギー王室史上初めてのベルギー人です。

将来のベルギー女王エリザベートちゃんの身体には、こんなにいろいろな血が流れているのです。さらに云うなら、マチルド妃のお母さんはポーランドの王族出身ですから、エリザベートちゃんにはポーランドの血も入っています。

如何ですか。何点とれましたか。荷物をまとめる必要はありませんか。

ご安心ください。

10問のうち、7.と8.の日本関係を除いた8問をベルギーの一般の市民の人たちに答えてもらった場合、正解率は恐らく50%を越えないと思います。

ですから、わたしたち日本人が1問か2問に正解が出せたら、それは上出来と言うべきでしょう。

正解率50%を超える方はベルギー度の非常に高い方で、ベルギー政府から特別永住権並びに生涯年金が授与されるかも知れません。

弊社としましても、そういう方には日本往復ビジネスクラス航空券など進呈いたしたのですが、諸般の事情厳しき折柄、涙をのんで諦めざるを得ません。

ところでお父さん、お父さんはわが愛する子供の身体に流れている血筋を、全部知っていますか。

「そらま~、オレの血が流れてるわな」なんて、軽々しく考えていいんですか。

ユダヤ民族の掟では、母親がユダヤ人でないかぎり、子供はユダヤ民族として認められません。子供に流れている最も確かな血は、お母さんの血なのです。

お父さんなんて、どうにでもなりますからね。 


No.125.ベルギー全部丸かじり(その七)

No.125.ベルギー全部丸かじり(その七) (ベルギーよいとこ、一度はおいで....)



「ベルギーよいとこ」なんて書くと、「ベルギーのどこがいいんだ、この~」などと、憤慨する方がいるかもしれません。
そういう方は、生まれ育った日本からいきなりベルギーに来て、異国の制度や習慣に戸惑い、こちらでの生活に苦労している方でしょうか。
或いは、ベルギーに来る前に勤務したさる国での思い出が余りにも素晴らしく、ついつい比べてしまうからでしょうか。

この国に住んで早や30年を越える私などから見ると、ベルギーは、昔流行った歌の文句ではありませんが、“酒は旨いし、ネエちゃんはきれい”なだけでなく、よく見るといい所がたくさんある、ヨーロッパの穴場的な国ではないかと思うのです。

まず、場所がいいです。
ベルギーはヨーロッパの心臓と呼ばれるぐらい、ヨーロッパのど真ん中位置しています。国の形も心臓に似ているような気がしますが、どう思いますか。
ベルギーから近隣の国へ行くのは、本当に楽です。
短い所なら、車で1時間も走らないうちに隣の国に入ってしまいます。これを助けてくれるのが、全長149,028kmで、世界のトップクラスといわれる高速道路網です。
しかも、この高速がタダなのですから、なんとも涙が出るほど有り難い国ではありませんか。

素晴らしい高速道路網は、ベルギーの国民の皆さんの税金で作って頂いたのですから、
われわれお世話になっている側としては、高速を走るたびにベルギーの皆さんに感謝の念をもつべきです。
たまに駐車違反などで罰金をとられることがあったら、道路を作って頂いたベルギーの皆さんへのささやか恩返し、と考えたらどうでしょうか。

もう一つ、ベルギーが世界に誇る素晴らしいものがあります。
それは、高速道路の照明です。これは文句無しに世界一です。
皆さんも経験があるでしょうが、夜、車で近隣の国からベルギーに入るとホッとします。真っ暗だった高速から明るい高速に入るからです。
宇宙飛行士が宇宙船から地球を見る時、夜のヨーロッパの部分でベルギーの位置だけが識別できるというのは有名な話です。

高速道路を照らす電気代がもったいないのでは、と考える方がいるかも知れません。確かに、他のヨーロッパ諸国が高速道路を照らしていないのは、経済的な理由からでしょう。
この問題についてベルギーの人たちも十分に考え、協議をした筈です。
その結果、高速道路全線を照らす方がよいという結論に達したのでしょう。どういう理由で、この世界でも珍しい決断をしたのでしょうか。

暗い道路と明るい道路とでは、どちらが交通事故の発生率が高いでしょうか。云うまでもないことながら、暗い道路の方が交通事故の発生率がずっと高くなります。
そして、交通事故がどれだけ大きな人的、物的損害を引き起こすかは、皆さんご承知の通りです。

私は、我が社のベルギー人社員が買ってくる地元の大衆紙を、彼が読んだ後に読ませてもらいますが(自分で買えばいいのにみみっちいですね)、毎週月曜日に出る週末に起きた交通事故のニュースは本当に悲惨です。
少ない時で7~8人、多い時だと10~12ぐらいの人が命を落としたり、重軽傷を負っています。事故は殆どが一般道で起きており、犠牲者の年齢が若いのが特徴です。

鉄くずの塊みたいになった事故車の写真を見る時、その車に乗っていた人の人生を考えてしまいます。
交通事故は直接的な人的、物的損害以外に、国家や共同体、家族や当人の人的つながりのある周囲に、計り知れないダメージを与えるものです。
愛する人を失った家族やパートナーの悲しみ、事故によって劇的に変わってしまった当人の人生への絶望感などを、計量化することは出来ませんが、厳然たる事実として関係者を苦しめ続けるのです。

高速道路を照らすことによって、人的、物的損失を減らし、人々が悲しみや苦しみに出会う機会を減らすことができるなら、電気代の方が安いと、この国の人々は考えたのです。素晴らしいことだと思います。

高速道路と並んでベルギーが世界に誇るものに、その鉄道網があります。
本会報に萩原さんが書かれているように、ベルギーはヨーロッパ大陸で最初に蒸気機関車を走らせた国です。
1835年に、メへレンとブリュッセルの間に鉄道を開通させました。独立国家になって、まだ5年足らずの時です。その頃の日本はまだ江戸時代ですから、駕籠かきが「エイホー、エイホー」と駕籠を担いで走り回っていました。
尚、中国大陸に最初に鉄道を敷設したのは、ベルギー人の技術者です。

余談ですが、鉄道開通から7年後に,ブリュッセルのグランプラス横にある有名なアーケード「Galerie de la Reine」ができています。
意外と知られていませんが、雨の日でも濡れずに買い物ができるアーケードとしては、このギャラリーがヨーロッパで一番最初にできたものです。
同じ時期の江戸の町では、雨が降ると道路はたちまち泥濘となり、人々は買い物どころか、外出さえも見合わせる生活をしていました。

鉄道に戻りますが、ベルギーの鉄道網はその密度においてヨーロッパ一です。
でも、いくら密度の濃い鉄道網でも、その正確さとサービスを聞かれると、ちょっと困ります。
SNCB(ベルギー国鉄)の人に言わせると、これでもヨーロッパ諸国の中では時間に正確な方なのだそうです。
しかし、わがJRの奇跡的な(SNCBの人談)正確さに慣れている我々には、とても満足は出来ませんね。

小さな国、ベルギーが持っている“世界一”の中に、Teledistributionと呼ばれているケーブルテレビ網があります。

皆さんがこちらに赴任する時、家探しをしたと思います。
日本人のわれわれは余り気にしませんが、こちらの人が住まいを探すと時は、電話線とケーブルテレビの線が入っているかどうかを、必ずチェックします。
よっぽど古い家でない限り、この二つの線は必ず引かれています。

引越しをした家かアパートにテレビを備え付け、自分の住んでいる地域をカバーしているケーブルテレビの会社にお金を払って、リビングのどこかに必ず付いているソケットに接続してもらいます。
これだけで、ヨーロッパ中のテレビが見れるのですから、実に大したものだと思います。

ところで、ベルギーで一番の金持ちは誰でしょうか。
アルベール フレールさんという人です。個人資産が20億ドルで、今年発表の世界の金持ちランキングでは、200何十番目かにつけています。彼はベルギーだけでなく、フランスの有力企業の大株主にもなっている実業家です。
前は世界ランキング360何番目かでしたから、フレールさんはさらに稼いで100人以上の金持ちを追い越したようです。

個人的には何の関係もない金持ちの話は措いといて、ベルギーの一般の人たちは豊かだと思いますか?
EU加盟国の国民一人当たりの購買力順位では、トップがルクセンブルグで、ベルギーは7位だそうです。
地球上で最も豊かな地域の一つであるEU圏で、上から7番目というのは、世界的にみてもベルギーの人たちはかなり豊かな生活をしている、と考えていいんじゃないでしょうか。

「ベルギーのどこが豊かなのか、ちっとも分からん」とおっしゃる方は、まず自分の囲りをちょっと点検してみてください。
今賃借している住んでいるアパートか家の家賃、間取り、広さ、会社までの通勤時間などを、日本の首都圏住宅と比べてみてください。
住まいの周りの緑地や、散歩に行く公園や森の広さはどうですか。電柱や看板がなくて、自分勝手な色がついてないレンガや屋根瓦の色が作り出している調和の取れた街並みはどうですか。

子供がお世話になっている近所の幼稚園に、毎月いくら払ってますか。余りいないでしょうが、子供をベルギーの大学に行かせた方は、その授業料をみてどう思いましたか。日本の大学と比べたら、ただみたいなので申し訳ないと思いませんでしたか。

お父さんの会社のベルギー人スタッフの中に、片道2時間、往復4時間もかけて通勤している人はいますか。
お父さんは、会社のベルギー人スタッフの住んでいる家を、見たことがありますか。さる日系企業の現法社長のお父さんは、ベルギー人社員の結婚式に招かれて彼の家に行った時、「日本のオレの家よりよっぽど立派な家だった」と、慨嘆していました。

これは、ベルギーの豊かさと関係があるのかないのか、旧ベルギーフランのコインが77億フランも中央銀行に戻ってきてないそうです。

ところで、ベルギーは歌の文句のように、本当に“酒は旨いし、ねえちゃんはきれい”なのでしょうか。
確かに、ベルギービールは旨いですね。種類の多さでは勿論、質の面でも世界のトップクラスといって間違いないでしょう。高名なビール評論家のマイケル ジャクソンさん(ポップスターとは別人)が挙げる世界のビールのトップクラスに、ベルギービールががずらずら入っています。

“ねえちゃんはきれい”などという言い方は、今はまずいのかもしれませんが、昔流行った歌の文句ですから勘弁してください。
ベルギーは、ヨーロッパのいろいろな血が混じり合っている地域なので、結構美人の多い国だと思ってます。
よく考えてみれば、ある人を美しいと見るかどうかは、見る人の主観がかなり入ってくるのではないでしょうか。「あばたもえくぼ」と言うではありませんか。

お父さんだって、お母さんをこの世で一番美しい人と、見とれた時があったでしょう。お母さんも、お父さんに出会った時、「何て凛々しい方」とうっとりしませんでしたか。
お互いにあの時の感動を忘れないようにしましょう。そうじゃないと、綾小路きみまろさんのセリフみたいに、「プロポーズ、あの日にかえって断りたい」なんてことになり兼ねませんから。                      

No.126.困った I.KANTOさん

No.126.困った I.KANTOさん


 “ベルギー全部丸かじり“シリーズはちょっと措いといて、今回は困ったKANTOさんについて書きます。

ブリュッセルに自分と同じ名前の人がいることは、かなり前から知っていました。
この人のファミリーネームがKANTOで、イニシアルがIなので、わたしと同じI.KANTOになります。

この人がブリュッセルのアンデルレヒトに住んでいる、ハンガリー系のベルギー人であることも知っています。
KANTOさんがハンガリー系であることを知ったのは、ずいぶん前に自宅にかかってきた電話によってです。
「もしもし、カントーさんのおたくですか」
「はい、カントーですが」
「カントーさんはハンガリーのxx地方の出身ではありませんか」
「いや~、わたしは日本人なんですけど」
「え~!!ハンガリー人じゃないんですか」
「正真正銘の日本人です」
「そうですか。失礼しました。電話帳でたまたまKANTOの名前を見たものですから、もしやと思って電話をしてみました」
「ハンガリーにはカントーという名前があるのですか」
「え~、ありますよ」

この時の電話の主が、後でわたしに迷惑をかけることになるアンデルレヒトのカントーさんだったのかどうかは分かりません。

カントーさんがアンデルレヒトに住んでいるのを知ったのは、ベルギー財務省T.V.A.(付加価値税、日本の消費税)局の査察官からの電話によってでした。
この事実は、前に会報に書きましたがもう一度書きます。
「カントーさんですか」
「はい、カントーです」
「あなたは、当局からの督促状にも召喚状にも全く答えないのはどういうことですか」
「はあ?」
「はあじゃないでしょう」
「何の話か分かりませんが」
「T.V.Aですよ、T.V.A!!あなたはT.V.A.をずっと滞納しているじゃありませんか」
「覚えがありませんが」
「あなたは自分がやっている食料品店のT.V.Aを、払ったかどうかも覚えていないと言うんですか」
「わたしは旅行代理店をやってますが、食料品店はやってません」
「何を言ってるんですか。あなたはアンデルレヒトのxx通りで食料品店をやっているじゃありませんか」
「わたしはウォリュエサンランベールに住んでます。アンデルリヒトに住んだことはありません」
「あなたの名前はIshevan KANTOですよね」
「いいえ、Isamu KANTOです。国籍は日本です」
(一瞬、ことばにつまったようす)
「もう一度調べてから電話をします」
「そうしてください」
(10分ほどたってから)
「カントーさんですか。先ほどは大変失礼をしました。当方のミスで人違いをしてしまいました。本当に申し訳ありません」
(おうように、罪びとを赦すキリストさまのような感じで)
「分かっていただけたのなら結構です」

これが一回目の迷惑でした。そしてつい最近、I.KANTOさんのお陰で、再度迷惑を蒙るはめになりました。
原因は車の保険です。
私の前の車はルクセンブルグで登録されていましたので、保険もルクセンブルグの保険会社のものでした。
今回買い替えた車は、ベルギーで登録することにしました。従って、保険もベルギーの保険会社のを使うことになります。

書類万端が整い、保険会社の証書があればくるまのプレートがもらえるところまできました。
ところが、プレートがもらえると思っていた日に、保険会社から電話がかかってきました。
「カントーさんですか」
「そうです」
「こちらはxx保険会社の車保険の係りのものですが、あなたの保険申請は却下されました。当社だけでなく、ベルギーのいかなる保険会社もあなたの車保険申請を受け付けないとおもいます」
「なんですって!!理由は何ですか、理由は」
「あなたの名前が、好ましからざる人物として保険会社のリストに載っているからです」
「何を言ってるんですか。私は7年間以上も無事故で、保険料の指数も14から8までさがっている優良ドライバーですよ」
「いいえ、あなたは何度も事故をやってますし、一度は廃車になるほどの事故もやっています。それに、保険の期限が切れてしまった後も、あなたは車を運転して警察につかまったいます」
「馬鹿なことを言わないでください。全然身に覚えがありませんよ、そんなこと」
「あなたはI.KANTOさんですよね」
「そうですよ」
「だったらあなたじゃないですか」(ガチャン)

実にとんでもない濡れ衣があったものです。
この問題のせいで予定の車が入手できず、泣く泣くレンタカーを借りるハメになってしまいました。

結局、保険代行業をしているベルギー人の知人に頼んで、保険会社に説明ををしてもらいました。彼は、仕事がら各保険会社に知り合いが多く顔もきくので、問題はあっという間に解決しました。
当たり前ですよね、人違いなんですから。
問題を起こしているI.KANTOと、善良このうえない私、I.KANTOが別人であることは、ファーストネームのスペルをちゃんと調べるとか、生年月日を照合するとかすれば、簡単にわかることです。
保険会社の担当者も本当にいい加減なものと、今でも腹がたちます。

表音文字のヨーロッパに住んでいると、“KANTO”は“神藤”と書くなどといくら説明してもわかってもらえません。
ただ、日本でも同姓同名はありますので、人違いによる迷惑が全くないとは云えないでしょう。
自分の不幸な物語をベルギー人の友達に話したところ、似たような目にあった人のことを話してくれました。

その人、Aさんはブリュッセル近郊のフランス語圏に住んでいるのですが、ある時期から交通違反の罰金支払い命令が頻繁に届くようになりました。
もとより身に覚えのないことなので、ほったらかしておいたところ、或る日「Huissier de Justice」と呼ばれる法の執達吏が裁判所の命令書を持って彼の自宅に現れました。
命令書によれば、交通違反の罰金(一つや二つではなく、かなり数があったそうです)を何月何日までに払わなければ、差し押さえを行うという厳しいものです。
びっくり仰天したAさんは、すぐに知り合いの弁護士に連絡をとり、真相究明を依頼しました。

答えはバカバカしいほど簡単なものでした。
交通違反の常習者はブリュッセル近郊のフラマン語圏に住んでいる人でした。問題はこの人、BさんとAさんの姓名が全く同じで、しかも生年月日まで同じだったのです。
どこでどう間違えたのか、支払命令が関係のないAさんのところに届くようになり、Bさんはゆうゆうと違反を繰り返していたわけです。

I.KANTOさんの話には後日談がありまして、フランスのカンブレというところに住んでいる人から電話がありました。
「や~、カントーさん、息子のピートは元気ですか。赤ん坊の時見ただけだから、今会ってもわからないでしょうが」
「うちにピートという息子はいません。うちの息子はケンといいますけど」
「でもカントーさん、あなたはハンガリーのxx地方の出身でしょう」
「いいえ、同じような電話を前にももらいましたけど、私はハンガリー人ではなくて、日本人なんです」
「いや~、失礼しました。私はハンガリー出身のフランス人です。ブリュッセルの電話帳をみたらKANTOとあったので、ハンガリー動乱の時以来会ってない知り合いのKANTOさんかと思って電話をしたのです」

これから先、何度こういう電話をもらうのでしょうかね。
電話はいいのですが、T.V.A.局や保険会社で人違いされるのは困ります。
アンデルレヒトのI.KANTOさん、T.V.A.をちゃんと払って、ベルギーの法律を守って暮してください。日本人のI.KANTOが困ってますから。

皆さん、もしあなたと姓名が同じ、生年月日が同じで、しかも顔かたちがそっくりの人がいたら、どう思いますか。ちょっと怖いと思いませんか。

その人があなたと同じように、人さまに迷惑をかけることなく、善良な市民として生活しているのならいいでしょう。
でも、その人が犯罪者だったり、ヤクザの抗争で敵対する組から追われている人間だったら、人違いでズドンなんてことも考えられるわけですよね。
或いは、誤認逮捕されて無実の訴えも聴いてもらえず、何年間も刑務所暮らしを強いられるなんて、考えただけでもぞっとします。

ちなみに、2005年にベルギー法務省にファミリーネームの変更を申請した人の数が602人、ファーストネームの変更を申請した人の数が530人だそうです。
変更申請の理由は、同姓同名の人がいて、そのために迷惑を蒙るからとか、身の危険を感じるからといういうよりも、自分の名前そのものが社会生活をおくる上で不都合だから、というものだそうです。そして、そういう理由以外は認められないそうです。
確かに、Monsieur VergeとかMadame Salopeなんていう名前は困ると思います。

お父さんが改名するとしたら、どんな名前にしたいですか。私の場合、風貌からいって、「渡哲也」なんてぴったりかと思うのですが、知り合いのお父さんに話したら、「あんた、気は確かか」と言われました。         

No.127.地獄の沙汰も........

No.127.地獄の沙汰も........


“金で買えないものはない”と豪語していたホリエモンさんが、塀の向こう側に落っこちてしまいました。
あのトシであれだけの金を持てば、“金で買えないものは....”の錯覚に陥るのも、分からないでもありません。こちとらは貧民は、あんな金を持ったことがないのですから、錯覚に陥りたくても陥りようがないのです。
六本木ヒルズの豪華なアパートから、3畳一間の部屋に強制引越しをさせられた彼は、読書以外に日々なにを思いながら暮してきたのでしょうか。

前回日本へ出張で行った時、用事もないのに六本木ヒルズの周りをうろついてきました。こう見えても好奇心と野次馬根性では、子供のころから人さまに遅れをとったことはありません。
六本木ヒルズの塔を見上げながら、ここでホリエモンさんやIT関係の寵児と呼ばれている方々が仕事をされているのかと、無意味な感慨に浸ってきました。

お金で買えないものがあることを、ホリエモンさんはちゃんと知っているはずです。事実、3畳一間に行きたくないからといって、彼がどんなにお金を積んでも、どうにもならなかったのです。
また、彼も寿命がきたらこの世を去らなければなりません。どんなに札束をつんでも、「人は死すべきもの」という命題を、何人も逃れることは出来ません。
でもホリエモンさんは今回、3億円の保釈金をポンと積んで拘置所から出てきましたので、“世の中、やっぱり金だな”なんて考えているのでしょうか。

一方、世の中はお金で買えるものだらけであることも事実です。
個人的には、買い物にまったく興味がありませんので、売っていただける物がいくらあっても、“あっしにゃ関わりのねえことでござんす”と、木枯紋次郎的な心境でブティック街を通り過ぎることにしています。

日常的な買い物とは違って、常識からいったらまず買うことができないものを、お金の力で入手した経験があります。
こういう話を、本会報誌上で公表していいものかどうか迷うところですが、国の名前を出さないで書くことにします。

南米の某国は、有名なガラパゴス諸島の所在する国です。(わかっちゃいますね)
所在するといっても、ガラパゴス諸島はその国から1000Kmも離れた太平洋上に点在する群島です。隔絶した場所にあって外敵がいないことから、海生、陸生のイグアナや象亀など、珍らしい動植物の宝庫として有名です。
ダーウィンが「進化論」の着想を得たのは、ガラパゴスにおいてであったのは、よく知られた話です。

3泊4日のクルーズ船によるガラパゴス諸島探訪は、大変興味深いものでした。
外敵の脅威を知らないので鳥も動物も人をおそれませんが、訪問者であるわれわれ人間の島内での行動は、厳しく制限されています。
レンジャーに従って決まった道しか歩いてはいけませんし、動物や鳥に触ること、モノを捨てることなどは厳禁です。
ガラパゴスくんだりまで来る人たちは、物見遊山的な観光客よりも探訪目的の人がメインで、だれ一人規則を破る人はいませんでした。

今回はちょっとした大旅行で、ガラパゴスの後はブラジルのリオに行って、かの有名なリオのカーニバルを“視察”する予定を立てていました。
ガラパゴスからその国に首都まで飛行機で戻ってきて一泊。翌日飛行場に戻り、サンパウロ経由リオでジャネイロは向かうことになりました。

チェックインのため列をつくっていると、当該航空会社の職員が一人一人のパスポートと航空券を調べにきました。
わたしの番になりました。
「サンパウロからリオですね」
「そうです」
「イエローカードを拝見します」
「そんなもの持ってません。どうしてですか」
「この国からブラジルに入る人は黄熱病の予防接種の証明が必要です」
「そんなバカな。ブリュッセルのブラジル大使館は黄熱病の予防接種が必要だなんて、ひとこともいいませんでしたよ」
「ヨーロッパや日本から直接ブラジルに入るのでしたら、予防接種はいりません」
「黄熱病の予防接種はアフリカに行った時に受けています。10年間有効ですから今も有効です。でもそれを証明するイエローカードは家においてきました。どうすればいいですか」
「取り敢えずあなたは、このフライトには乗れません」
「困ります。明日までに絶対にリオに行かないといけません。この空港にクリニックはないんですか」
「ありますが、今日は日曜日でドクターがいません。市内に戻って救急病院でワクチンの注射を受けても、このフライトには間に合わないでしょう」
「なんとかなりませんか、お願いしますよ」
「いったん外に出て、インフォーメーションデスクに相談してみてください」

とんでもないことになったと思いながら、インフォーメーションデスクに行きました。
係りの女性はとても親切で,空港クリニックに電話をしてくれたり、動物検疫の事務所に人間用ワクチンはないかと聞いてくれたり、いろいろやってくれましたが結果はノーでした。
万策尽きて、今日のブラジル行きは絶望かと思い始めた時、彼女がインフォーメーションデスクの後ろにある地元旅行代理店のカウンターの男性となにやら話し始めました。話し終えると彼女はわたしにむかって、「彼が何か方法があるかも知れないと言ってるわよ」と言いました。

藁にもすがる思いで、代理店カウンターの若い男性スタッフの所に行きました。
「本当に何か方法があるんですか」
わたしの顔を見ずに書類をみながら、「難しいけど、何か方法があるかも知れません」
「どうすればいいんですか」
「ここではなんですから、ちょっと来て下さい」

荷物を引っ張って彼の後をついて行くと、なんと連れていかれた先は空港の手洗いでした。ここで身ぐるみ剥がれるのかと、一瞬危険を感じました。
しかし彼は、どうみても凶悪な顔はしてないし、手洗いには掃除中のおじさんもいたので、まず身ぐるみを剥がれる心配はないなと判断しました。

代理店のお兄さんはわたしに、「あなた50ドルもっていますか」と聞きます。「ええ,持ってますよ」と答えると、お兄さんは、おもむろにうちポケットに手をつっこみました。銃をつきつけてくるのかと思ったら、なんとイエローカードを取り出しました。
「あなたが欲しいのはこれでしょう」
「そうですけど、本物なのそれ」
「よく見てください」といって、手渡してくれました。
確かに国連のマークのついた「World Health Organization」の正式なカードで、International Certificate of Vaccinationと堂々と表示されています。

しかも黄熱病予防接種済みの証明が記載されており、クリニックのスタンプ、ドクターのサインまで入っています。だれが見ても、本物のイエローカードです。
わたしはこのカードを“買って“ブラジルに行くことを決断しました。
自分はもともと10年間有効の黄熱病の予防接種は受けているし、ベルギーや日本から行くのだったら要らないものだし、本当は要らないのに彼らが金儲けのために必要だと言ってるのかも知れないしなどと、いろいろな理由を考えました。

彼にO.Kをいうと、彼はわたしのパスポートから姓名、パスポートナンバーなどをイエローカードに書き写して、これを完成させました。
お金を払うだんになって、「この国を旅行中、相手の云い値で物を買ったことは一度もない。ここは一番値切るべきではないか」という、誠にせこい考えが浮かびました。
彼に「ねえ、これ40ドルでどう」というと、彼はいとも簡単に「ああ、40でいいよ」答えました。
40ドルは、代理店のお兄さん、航空会社のスタッフ、ドクターの間で分けるのか、インフォーメーションデスクのお姉さんも少しは貰えるのかなどと、どうでもいいことを考えながらチェックインカウンターに戻りました。

不思議なことに、カウンターの職員はイエローカードの提示を求めることもなく、すんなりと搭乗券をくれました。
これは騙されたのかもしれないと思い、近くにいたこの国のビジネスマン風の人にイエローカードについて聞いてみました。
その人は、「この国のアマゾン寄りの地方で黄熱病が発生したため、各国が予防接種の証明を要求するようになったらしいです」と、教えてくれました。

サンパウロの空港には、パスポートコントロールとは別に検疫のカウンターがありました。列に並びながら、もしこのカードで捕まったらどうしようと、さすがに胸がどきどきしました。
ブラジルでは服役者の待遇が余りにひどいため、刑務所で暴動があったばかりでした。囚人としてブラジルの刑務所に放り込まれて自分の姿など想像しているうちに、自分の番がきました。
係官は日本のパスポートを見ると、イエローカードはぜんぜん見ないで「はい、次の方」と、あっけないほど簡単に通してくれました。偉大なるわが祖国日本のパスポートに感謝しました。

ここ数ヶ月、ベルギーのサッカー界が大揺れに揺れましたが、これもお金がからんでのことです。
サッカー賭博にからんで、ベルギーサッカー一部リーグのいくつかのチームの選手が、金をもらって八百長試合を仕組んだというものです。

この事件の黒幕はYe Zheyun(叶 澤雲)という自称実業家の中国人でした。
Ye氏は昨年からベルギーやフィンランドのサッカーチームに資金援助をしたり、チームの買収を画策したり、派手な動きをしていました。
地元の新聞によれば、Ye氏は中国でサッカー賭博を仕切る中国マフィアのエージェントで、ベルギーの選手を買収して八百長試合を仕組むのが任務だったようです。

この事件で悲しいのは、八百長試合を引き受けた選手が手にしたお金が、500ユーロとかせいぜい1000ユーロぐらいだったことです。
この程度の金額で選手生活を棒にふり、社会的な指弾を浴びるのは、実に割の合わないことであると、その時は考えなかったのでしょうか。

お父さんがお母さんと出会い、結婚を考えた時、或いはお母さんがお父さんと出会って、恋に落ちた時、お金のことを考えましたか。
「彼女、貯金はどのぐらいあるのかな」とか、「この人の投資信託の利回りはどのぐらいかしら」なんて考えましたか。
普通は、まず「愛があれば」でスタートし、それがいつの間にか「金があれば」になり、まかり間違うと年金受給日の熟年離婚へ進んでいくケースもあります。
愛は消えてもお金は残ります。怖いですね、お金は。  

No.128.“身をたて 名をあげ......”

No.128.“身をたて 名をあげ......”



皆さんは卒業式で、「あおげば尊し」を歌いながらポロポロと涙を流した経験はありませんか。

卒業式場で、この曲のメロディーが鳴り出すともう涙腺はゆるんできた、少年少女時代を思い出しませんか。

中には、「なんでわが師が尊いんだ、この野郎」などとつっぱっていた輩もいたでしょう。

でも、「あおげば尊し」と「蛍の光」は日本の卒業式には欠かせない味付け、これなしには卒業式の雰囲気がでない、まさに、“金鳥の夏、日本の夏“の感覚、といってもいいのではないしょうか。

もっとも、最近の日本では卒業式のあり方についていろいろと議論もあるようで、「あおげば尊し」が今でも歌われているのかどうか、私には分かりません。

卒業式でこの曲を歌った経験のある方々に、少年少女時代にもどって涙を流していただくために、歌詞を書いてみます。この曲は作詞作曲不詳だそうですので、日本人会報に載せても、版権の問題は起きないはずです。

       あおげば尊し、わが師の恩
       教えの庭にも、はや幾年(いくとせ)
       思えばいと疾(と)し、この年月(としつき)
       今こそ 別れめ、いざさらば

       互いにむつみし、日ごろの恩
       別るる後(のち)にも、やよ 忘るな
       身をたて 名をあげ、やよ はげめよ
       今こそ 別れめ、いざさらば

       朝夕 馴れにし,まなびの窓
       蛍のともし火、積む白雪
       忘るる 間ぞなき、ゆく年月
       今こそ 別れめ、いざさらば

どうですか、涙がにじんできましたか。じいんときましたか。

多感な少年少女時代からはや幾年(いくとせ)、この歌詞を読んでも、何の感動も感慨も浮かばないわが心が寂しいです。

こうして読んでみると、なかなか格調高くいい詞(ことば)だと思いませんか。

歌詞一番の“思えばいと疾(と)し”の“と”が、こんな漢字を書くとは知りませんでした。意味も知らずに歌って泣いていたのですから、わが心はあくまで清らかにして純情だったのです。

ただ、二番の歌詞がちょっとひっかかります。        

二番の歌詞には、一番と三番にはない命令口調が出てくるのです。

“別るる後にも、 やよ 忘るな”とか、“身をたて 名をあげ、やよ はげめよ”とか、卒業していく少年少女の行く末に干渉する態度が見えるのです。

確かに、なにも知らないハナ垂れ小僧や小娘に、読み書きそろばん(表現が古いですね)を教えて下さった先生のご恩を、忘れてはならないでしょう。

机を並べて勉強した級友の思いでも大事でしょう。ともにいたずらを企み、女先生を泣かせた悪童仲間との思い出にも、忘れ難いものがある筈です。

しかし、“身をたて 名をあげ”とはなんですか。“やよ”などという強調の呼びかけまでして、“はげめよ”とはなんですか。

何故、身を立てなければならないのですか。身を立てたくても立てられずに、市井の片隅で小さな悲しみやささやかな喜びに泣いたり笑ったりしながら、つつましく一生をおくるのが、大多数の人々の生涯なのです。

いきなり“身を立てよ”なんて言われたら、ニートの方々はどう答えればいいんですか。リストラに合い、ハローワークに通う人たちにとって、余りにも残酷な言葉ではありませんか。

この、身を立てるということが、ヤクザな渡世人などにならず、まっとうな仕事に就きなさいよと、諭しているならまだいいでしょう。

しかし、“名をあげよ“となると、これは問題です。

名をあげるということは、人に知られるようになる、有名になるということでしょう。

卒業式に、“あなたたちは有名人になるんですよ“なんて、言っていいものでしょうか。それでなくても最近は、「セレブ」などという変なカテゴリーに入りたがる軽薄な人間が多すぎます。

セレブにも二つのカテゴリーがあります。

一つは、絶えずマスコミを賑わせ、パパラッジ(有名人密着して公私に関係なく写真をとりまくるプロ写真家)に追いかけまわされている人たちで、芸能人やスポーツ選手がこのカテゴリーに入ります。

このカテゴリーのセレブは一代限りですので、年月とともに忘れ去られていきます。

もう一つのセレブは、何代にもわたる古い家柄で、資産の運営もきちんとされている裕福な家系で、社会的にも銀行の頭取とか、大会社の社長や役員など、高い地位に就いている人たちです。

このカテゴリーに入るベルギーのセレブは、だいたい200家といわれてます。中には、名前を見ればすぐに分かるぐらい、ベルギーの社会で知られている人もいますが、多くの名家は、知る人ぞ知るという感じで目立ちません。

「あおげば尊し」が卒業式向けであることは、歌詞を読めばあきらかです。いつごろからこの歌が、日本の卒業式で歌われるようになったのでしょうか。

一門の誉れ、一族の栄誉、故郷に錦を飾るなどという言葉が、日本の社会で意味をもっていた時代だったのでしょうか。

今の日本の社会で少なくなっているとはいえ、家を継ぐとか、家名を守るという概念が、まだまだ残っているのは事実でしょう。

ベルギー暮らしの長い私でさえ、将来ベルギーかヨーロッパで暮すであろう息子に、結婚してもしなくても男の子をたくさんつくって、カントーの名前をベルギーだけでなくヨーロッパ中に広めろ、などと言って笑われている始末ですから。

べルギー人の友人に、家名を守るという概念について聞いてみました。

彼は、自分にはそういう考えは全くないと答えました。自分の家族が幸せに暮せて、子供たちが将来幸せな人生をおくれるなら、名前などどうでもいいことじゃないかと言いました。

この国で、家名を気にする人たちがいるとすれば、貴族の称号を持っている階級や、200の名家の人たちぐらいなのかも知れません。

家名の点で、ヨーロッパの社会でいいと思うことが一つあります。

それは、女性の家名が生涯にわたり、社会的に認められていることです。つまり、結婚後も女性の家名(日本でいう旧姓)が消えてしまわないことです。

むしろ、結婚した女性にとって法的に有効なのは、あくまでも彼女の家名であって、旦那さんの姓ではないということです。

結婚した女性が旦那さんの名前でサインしても、その書類は法的に無効なのです。

こちらでも、結婚した女性は“Madamexx”と便宜上旦那さんの名前を名乗る人が多いですが、中には堂々と自分の名前と旦那さんの名前を併記してる人もいます。

いい例が、テニスの世界的なプレイヤーとして有名なベルギー人のJustine Henin-Hardenneさんです。かの女は、結婚前はJustine Heninでしたが、Pierre-Yves Hardenneさんと結婚してからは、自分の姓の後に旦那さんの姓をつけて名乗るようにしています。

日本で夫婦別姓に関する法案がなかなか通らないようですが、どうもその理由がよく分かりません。

おじさん議員たちが、夫婦の絆がくずれるとか言って反対しているやに聞きましたが、名前ぐらいで壊れる絆なら、どっちに転んでもダメになるんじゃないでしょうか。

「あおげば尊し」から話が逸れてきてしまいましたが、逸れたついでにベルギー人のファーストネームについての記事を地元に新聞で見ましたので、さわりの部分だけ紹介します。

男子の名前で最も多いファーストネームをアルファベットの順に並べると、次のようになるそうです。

Albert,Andre,Christophe,David,Jean,Joseph,Kevin,Marc,Nicolas。

女子は、Carine,Isabelle,Julie,Laura,Marie,Martine,Nathelie,Sarahだそうです。

皆さんの知り合いのベルギー人の方の名前はありませんか。

欧米の人のファーストネームは、聖書の登場人物や聖人の名前から取ったものが殆どで、名前そのものには特に意味はないと思っていましたが、実はあるんですね。

簡単に紹介してみます。

Albert:現国王の名前ですが、ゲルマン系の言葉で、高貴、優秀、信頼。
Andre:ギリシャ語で勇気、力強さ、責任感
Christophe:ギリシャ語でキリストを運ぶの意味。信頼、強靭、分析力
David:へブライ語で愛された者。責任感、秩序、献身
Jean:ヘブライ語で神が恩寵を賜る。社交性、創造性、楽観主義
Josephe:ヘブライ語で神が加え賜う。権威、自立心、エネルギー
Kevin:アイルランド語で美男子。哲学的、知識欲、独創性
Marc:軍神マースに捧げられたもの。忍耐、野望、力
Nicolas:ギリシャ語で人々の勝利。ダイナミック、豪胆、解決力


女子の名前はどうでしょうか。

Carine:ギリシャ語で純粋。大胆、創造性、決断力
Isabelle:へブライ語で神の約束。不退転、直感力、組織力
Julie:ローマ時代の家族名。現実主義、楽天家、交際家
Laura:月桂樹の冠を被った女。戦略家、リーダーシップ、情熱
Marie:へブライ語で育てる女。独立心、大胆、迷わない
Martine:軍神マースに捧げられたもの。生命力、達成力、戦略家
Nathalie:ラテン語で生まれる日。明敏、知識、感性
Sarah:へブライ語でプリンセス。貞淑、適応性、合理的

まだまだあるのですが、切りがないのでやめます。ベルギー人に限らず、お知り合いの方に、該当する名前の方がいたら意味を教えてあげてください。 

ところでお母さんは、今お父さんの姓を名乗っていますか。もうすっかり慣れましたか。新婚当時は、お父さんの姓を自分の名前として口にすることが、うれし恥ずかしの気持ちと同時に、自分は結婚したんだなという実感をもちませんでしたか。

でもお母さん、新婚当時のときめきが、はるかなる記憶の底に埋没してしまっている

とはいえ、今になって旧姓に戻ろうなんて考えるのはどうなんでしょうか。

よく言うではありませんか。国民は自分たちのレベルに合った政権を選び、人は自分のレベルに合った配偶者を選ぶと。        

No.129.ベルギー全部丸かじり(その七)

No.129.ベルギー全部丸かじり(その七) (ベルギー数字万華鏡)



困った時のベルちゃんで、ネタ切れになると「ベルギー全部丸かじりシリーズ」に戻ってきます。

今回はベルギーのいろいろな分野を数字で見てみます。

数字というとまずお金ですが、折りしもベルギーは6月~7月が税金申告の月です。

この時期の週末は、約400万人といわれるベルギーの勤労者の皆さんが、申告書の書き込みに頭を痛めるのが年中行事になっています。

 税金の申告で思い出しますが、かつてベルギーの某有力政治家が税金の申告を4年間もしていなかった事実が明るみに出て、連立を組んでいた与党政党の党首の座を追われたケースがあります。

申告をしていなかったということは、税金も払っていなかったわけですから、どんでもない政治家です。われわれ庶民がちょっとでも申告期限に遅れると、罰金だなんだと脅すくせに、一方では巨悪を見逃しているこの国の税務署も、権力には弱いのですね。

ベンジャミン フランクリンが言ってます。「人生において最も確かなことが二つある。それは死と税金である」と。

まともな民主国家に住んでいたら、どんなに有力な政治家であっても、税金を逃れようなどと考えてはいけないのです。

税金に限らず、交通違反の罰金とか、その他日常生活で必要なガスや電気など各種の請求書を喜んで払う人はあまりいないでしょう。

この国の人たちも例外ではありません。というより、どちらかというと払いの悪い国民といった方がいいかも知れません。

大手の保険会社、AXAの資料によれば、AXAだけで年間50万通もの保険料支払い督促状を出しています。

保険料の支払い期限がきても、支払わない人が約20%はいるそうです。第一回の督促状をだすと、未払い者の50%が支払いを実行します。

しかし、残りの10%の未払い者がなかなか手ごわくて、弁護士からの手紙その他いろいろな手を使わなければなりません。

数ある支払い請求書の中でもっとも払いの悪い請求書は、いわずと知れた罰金の請求書です。

ブリュッセル首都圏で、交通違反関係の罰金を督促をうけずにすぐに払ってくる人は、30%~35%しかいません。督促状がきてから払う人が約30%です。

同首都圏の2005年の交通違反関係罰金の回収率が65%だそうですから、35%の人は依然として払ってないのです。それでも、2004年の回収率63%に比べると、少しは払いがよくなっているみたいです。

面白いのは、同じ罰金でもフラマン語圏の人たちは払いがいいのです。フランドルでは、85%の人が督促なしに払ってくるそうです。フラマンの人たちは真面目なのでしょうか。

でも、罰金を払わないでおいておくなんて、大した度胸ですね。

わたしなど、気が小さいものですから、お上から来る罰金支払い命令には真っ先に従います。できれば違反の現場で、お巡りさんにキャッシュで罰金支払いを済ませてしまいたいぐらいです。

罰金を払いたくない気持ちは分からないでもありませんが、病院の入院費や治療費を払わない人がいるのは驚きです。

ブリュッセルのさる大手の病院は、2004年に135,930通の請求書を発行しました。これは、保険でカバーされない経費の請求書です。

このうち30,000通に対して支払いがないため、督促状を送りました。その結果、半分は払ってきましたが、残りの15,000人からは支払いがありません。

最終的には1,300件以上の未払い請求書が裁判所の扱いになっています。

病気は所得に関係なく、だれにでも取り付きます。病気になれば、費用の問題よりもまず快癒することが第一です。病院側も患者に支払能力があるかどうかを確かめるよりも、病魔との闘いを優先しなければなりません。このへんが、病院にとって難しいところです。大手の病院では、患者に支払い能力がないため請求放棄が、年間平均600件ぐらい発生するそうです。

悪い人間はどこにでもいます。泥棒のいない国はありません。

掏り、置き引きのメッカ、ブリュッセルミディ駅には、掏り、置き引きの専門家が常勤、非常勤合わせて、60人~70人ほど“勤務”しているといわれています。

駅の警察官も彼らの顔を知っていますが、駅構内をうろうろしているからといって彼ら逮捕することはできません。現行犯の現場を押さえないことには、どうにもならないのです。

皆さんの中で、不幸にもミディ駅で掏りとか置き引きの被害にあわれた方はおられませんか。駅の警察に被害届けを出した時、泥棒どもの顔写真を見せられませんでしたか。少なくとも60人以上の顔写真があったはずです。

私は思うのですが、あの顔写真を引き伸ばして、駅の構内にべたべたと貼りだすわけにはいかないのでしょうか。ずいぶん被害が減ると思います。人権問題とかで貼り出せないことは分かっていますが、日本人の方の被害が余りにも多いので、真面目に顔写真を張り出して欲しいと思ってしまいます。

ベルギーの犯罪調書の数は、年間約100万件だそうです。調書にならない、つまり被害届け出のない犯罪はどのぐらいあるのでしょうか。同じぐらいあるかも知れません。

100万件の中で、半分は泥棒、強盗関係で、空き巣狙いが7万件以上あります。これに、車泥棒が22,500件、車上荒らしが86,500件、そして殺人関係の840件が続きます。皆さんの中で、空き巣狙いや車泥棒、または車上荒らしなどの被害にあった方がいるかも知れませんが、自分の身体、財産は自分で守るしかありません。気をつけましょう、お互いに。

ところで、日本から来た人に言うと、みんなびっくりする消費税21%を始め、平均30%~40%の所得税など、ベルギーはヨーロッパ有数の重税国です。

ベルギー人の知人によれば、ベルギーの平均的サラリーマンは、1年のうち2ヶ月から3ヶ月は国のために働く勘定になり、所得がある水準を超える人は、6ヶ月以上も国のために働く仕儀に相成るそうです。

そんなに重い税金を払っても、ベルギーの人はわれわれ日本人と比べて質の高い生活水準を維持していますから、立派だと言わざるを得ません。

これは、資産家の方にしか関係のない話かもしれませんが、ベルギーの遺産相続税はヨーロッパで堂々第3番目の高率を誇っています。

トップがイギリスとフランスで40%、次がスペインの34%、そしてドイツとベルギーが30%です。この税率は、配偶者並びに直系の子供が遺産相続をする場合です。身寄りのない人が、親切に面倒をみてくれた隣人に遺産をあげたいという場合、なんと80%もの税金がかかりますから、恐ろしい限りです。

こういう場合は、正式に認可されている財団や基金、或いは宗教施設などに寄付すると、寄付を受ける側が6%の税金を払うだけで、遺産の受領ができます。

相続税が一番低い国はイタリアです。イタリアの相続税はたったの3%ですから、これまた驚きです。資産家の方々は、資産をイタリアに移しておいた方がいいかも知れませんよ。

ところで、ベルギーの人たちは年間どのぐらい稼いでいると思いますか。

2003年のベルギー人の平均所得(申告分)は、24,621ユーロです。この中でフラマンの人たちの方がワロンとブリュッセルの人たちより2,000ユーロ多く、25、620ユーロ稼いでいます。噂に違わず、フラマンの人たちが金持ちであることは、税金の申告にもはっきりと現れています。

ベルギーには、100歳を越える人が1,163人もいるのをご存知でしたか。1,000万人ちょっとの人口の国で、1,163人の長命者の数は、日本と比べた場合比率的にどうなのでしょうか。ご存知の方、教えてください。

ベルギーの長命者(100歳を越える人)の数は、年とともに増加の傾向にあるそうです。1999年には、長命者の数は925人だったそうです。

長寿は喜ぶべきことなのでしょうが、このままベルギーの人口構成が推移していくと、2050年には65歳以上の人口が19歳未満の人口を上回るという統計が出ています。

日本でも少子化が盛んに論じられています。このまま行ったら、統計的には、地球上から日本人が消えてしまうなどという、極端な意見もありました。

9時00~5時00で家に帰る人が圧倒的に多く、児童手当も日本よりずっと手厚いベルギーでも、少子化が問題になっています。

ベルギー少子化の原因の一つとして、ベルギーの離婚率がEU加盟国の中でトップクラスにあるという事実も考慮すべきかも知れません。

何しろ、離婚率が50%を越える国です。既婚カップルの二組に一組は別れるのです。ですから、たまたま教会から式を終えて出てくる幸せいっぱいの新郎新婦を見ても、「この二人、いつまでもつのかしら」などと、不埒な考えが頭をよぎってしまいます。

日本人が地球上から消えてしまうことはないにしても、政府がよほど思い切った施策を実行し、われわれ日本人の生活スタイルが改善されない限り、日本の少子化に歯止めをかけることは難しいでしょう。

或いは、ヨーロッパの長い歴史の中で、さまざまな民族が入り乱れて国を作ってきたように、日本もアジアやその他の国々の人々が来て、日本という国を作っていく手助けをしてくれるようになるのでしょうか。

将来、国会議員にグエン ドックさんというベトナム系の日本人が当選したり、閣僚に王小偉さんという中国系の日本人が入閣したり、モハメッド ベライさんというパキスタン系の日本人がどこかの市の市会議員に当選したりする、そんな日本を想像するのは愚かなことでしょうか。

もしあなたが、そんなバカなことが日本起こるはずがないと考えるのでしたら、あなたの心の国際化はかなり遅れているかも知れませんよ。

なぜなら、上記のような現象は、ヨーロッパ諸国ではごく当たり前に起きていることだからです。

例えば、べルギーの仏語系社会党の党首、エリオ ディルポさんはイタリア移民の子供ですし、ワーテルロー市長で国会議員、閣僚経験も豊かなセルジュ キュブラさんの両親はブルガリアの出です。他にも、トルコ系或いはモロッコ系ベルギー人国会議員や市会議員の例をあげるのは簡単です。

フランスの次期大統領候補としてトップを走っている、現内相のニコラ サルコジーさんの両親はルーマニア出身です。

ドック衆議院議員、王国務大臣、べライ市会議員が日本に誕生する時、日本は初めて国際化した国になるのでしょう。その頃は、国際交流課などというセクションが日本各地の市役所や町役場から消えているでしょう。

ダメですよ、お父さん。「オレも国際化するためにお母さんと別れて、ベルギー人女性と再婚するか」なんて考えては。無理ですよ、お父さんの頭の中身はこてこての日本人なんですから。

No.130.ワイオミングの夏

No.130.ワイオミングの夏



本稿130回を記念して、夏休みにはるばるアメリカ西部のワイオミング州まで行ってきました。(前号は128回でしたが、2月号と3月号に同じ番号をふってましたので、本稿で130回になります)

というのは嘘です。会報原稿とアメリカのワイオミングとは何の関係もありません。本当は、アメリカ西部の大草原でウエスタンスタイルの乗馬をやって、できればカーボーイの真似事だけでもできればと思い、ワイオミング行きを計画しました。

昔から映画といえば、西部劇と時代劇が好きでした。

「黄色いリボン」、「アラモ」「帰らざる河」などの西部劇の名作は別にして、わたしが特に好きなのは、不当にもマカロニウエスタンなどと呼ばれている、セルジオ.レオーネのイタリア製西部劇です。

「荒野の用心棒」や「夕日のガンマン」のクリント.イーストウッドが特に好きです。彼の演じる西部劇の主人公は、お尋ね者狩りをして懸賞金稼ぎをする西部の渡世人ですが、実に味があります。

不精ひげに薄汚れたポンチョ、口にはシガリオをくわえ、虚無の陰をやどしたそげた頬、そして抜く手もみせぬ早や撃ち、たまらないですね。

対するリー.ヴァンクリーフもいいです。

いつもコ-ンパイプを手離さず、相手を愚弄するような皮肉な笑いを口元にうかべ、目にもとまらぬ早や撃ちの名手、こちらもいいです。

というわけで、自分もいつの日か、西部劇の主人公の真似ごとだけでもしてみたいと、

密かに計画を練っていました。人に言えば、「いい歳こいてなに考えてんの」と言われるのがオチですから、誰にも言いませんでした。

もとより、自分がクリント.イーストウッドのようなかっこいい主人公になれるとは思ってません。不精ひげを生やしたところで、せいぜい中国マフィアの下っ端ぐらいにしか見えないでしょう。

ポンチョを着れば、裾が膝どころか、足首まで届きます。

似てるといえば、リー.ヴァンクリーフに似てるかもしれません。彼の髪の毛も在庫が僅少になっていますので。

ブリュッセルからワイオミングまでは、長い道のりでした。

ブルッセルからフランクフルト経由でコロラドのデンバーまで行き、そこから乗り継いでワイオミングのキャスパーまでが第一の行程です。

ブルッセル-フランクフルトは問題なかったのですが、フランクフルトの空港でアメリカ行きフライトの乗客の手荷物検査が厳重で、いつ果てるとも知れない長蛇の列。

ロンドンヒースローでのテロ未遂事件の後なので、これは仕方がないと諦めて列に並びました。フランクフルトで4時間の余裕をもって行きましたが、ちょうどでした。

やっと搭乗口にたどり着いたものの、フライトは1時間以上の遅れが表示されています。 搭乗開始になって、機内の指定の席に座った途端、疲れがどっと出る感じでした。

フランクフルト-デンバー間は、9時間の飛行時間です。時差が7時間あります。

デンバーでアメリカ入国の手続きをすることになります。

口髭に白いものが混じっている年配の係官はえらく愛想のいい人で、わたしのパスポートを見ながら、いろいろ聞いてきます。

「やあ~元気かい」

「元気ですよ。ときに、子供さんたちはげんきですか」

「ああ~元気だ、元気だ、ありがとう」

(勿論、わたしはこの係官の子供のことなどこれっぽちも知りません。でもわたしは、どこの国の空港でも、子供がいそうな係官には“子供さんは元気ですか”と聞くことにしています。係官の態度は途端に好意的になります。皆さんも試してみてください)

「ところで、デンバーになにしに来たんだい」

「デンバーからワイオミングまで行って馬に乗るんです」

「へえ~、日本からわざわざ馬乗り来たの。ま、気をつけてね」

と言って、わたしの両人差し指の指紋を取り、ポンと入国のスタンプを押してくれました。

ここまではよかったのいですが、ルフトハンザ機のザデンバー着が遅れたため、次の目的地キャスパー行きの最終便は飛び立った後でした。やむなく、航空会社が提供してくれたデンバーのホテルに一泊という仕儀になりました。

「翌日のキャスパー行きは5便あるが、これは全便満席なので乗れるかどうか分からない」という、航空会社係員の誠に有り難いおことばを思い出しながら、アメリカ最初の夜の眠りにつきました。

翌朝の一番便から、当該航空会社のカウンターに張り付いてスタンバイをやった結果、運よく二便目の便に乗れました。

キャスパーの空港には、滞在予定先のRanch(牧場)の人が待っててくれました。どのフライトで来るか分からないので、全部のフライトを待つつもりだったといってくれました。親切なことです。

皆さんは、アメリカのワイオミング州について何か知ってますか。

西部劇に詳しいひとなら、カスター将軍率いる騎兵隊がインディアンのスー族だったかシャイアン族だったかによって全滅させられた場所が、ワイオミングであることを思い出すでしょう。

とにかく人がいません。キャスパーの空港から滞在先のランチ(牧場)まで、車で1時間半以上かかりますが、途中、家一軒、人っ子ひとり見ませんでした。

なにしろフランスの半分、ベルギーの12倍もある土地に、住民が45万人しかいないのです。

わたしが滞在したランチは中規模なのだそうですが、それでもブリュッセル19のコミューンを合わせたよりも大きな土地に1,000頭近い牛を放牧していました。

昔、アメリカには東京23区がすっぽりはいるぐらい大きな牧場があると聞いた時、カーボーイのホラ話として信じませんでしたが、来て見てこれがホラ話でないことが分かりました。

このランチは、フランスの乗馬専門のエージェントの紹介でした。現地で、フランスから来た5人の馬仲間と一緒になりました。

自己紹介をした時、世の中は本当に狭いと思いました。

フランスで開業している歯科医のアンヌは、リエージュ出身のベルギー人でした。ブリュッセルウォリュエ区のサンリュックルーバン大学医学部歯学科の出身です。

驚いたことに、彼女のお父さんはわたしの知っているリエージュ大学の教授でした。アメリカの西部で、知人の娘さんに出会うなんて、夢にも考えませんでした。

牧場の朝はお祈りから始まります。

食堂に全員が集まり起立して、オーナーのビルか、娘婿のベアリーがお祈りを先導します。食事を与えてくださった神への感謝、それを収穫し、調理をしてくれた人への感謝、ビジターの安全、牛や馬の息災などいろいろなことをお祈りします。ランチのひと達はみんな真剣にお祈りするので、こちらも厳粛な気持ちさせられます。

雲ひとつない青空と雄大な景観を見ながら、本職のカーボーのベアリーとジェッシーの案内で、道なき道をどこまでもどこまでも行きます。馬はアメリカ産のクオーターと呼ばれる馬で、しっかりした足でどんな悪路でも急な登り下りでも平気で進んで行きます。そして、よく言うことを聞きます。鞍も長時間乗っても疲れないウエスタンの鞍なので、とても楽です。

途中、群れから離れれた牛がいると、これを群れに戻す仕事があります。ベアリーとジェッシーはさすがに本物のカーボーイなので、馬を巧みに走らせながら牛を追い込んでいきます。

わたしも、群れから離れた子牛がいたので、これを追い込もうとしましたが、逆に群れから遠くに追いやってしまい、本職に笑われてしまいました。

お昼は、食事係りのスージーが作ってくれたサンドイッチをたべます。何しろ広大な場所を移動するので、昼食にランチに戻ることなど不可能です。

外で一番大事なものは水です。朝、ランチを出るとき水を3本もって出ますが、帰りには一滴も残りません。強烈な日差しと、乾燥した空気の中を丸一日外にいるので、水と日焼け止めのクリームが必需品です。

わたしは海水浴に行くわけではないので、日焼け止めのクリームなどもって行きませんでした。その結果、一日で顔は真っ赤に焼け、唇はひび割れができて血が滲んでくるしまつ。翌日からは、アフターシェーブ用のクリームをべたべた塗って外に出ましたが、一度焼けた皮膚がはがれてきたりして、せっかくの美貌が台無しでした。

夕食は楽しいひと時です。

アメリカでおいしいものは期待できないと言うのは、偏見でした。スージーは賞を取ったことがあるほどの料理上手で、彼女のつくる夕食は本当においしいものでした。

それと、ここの水が飛び切りおいしいのです。地下300mから汲み上げて、ランチ全体に供給しているのですが、わたしは滞在中この水ばかり飲んで、アルコール類は一滴も飲みませんでした。

夕食時も含めて滞在中に困ったのは、ワイオミングの皆さんの話す英語です。これが半分も分かりません。

もとより自分の英語力は、”I am a boy”,”This is a pen”のレベルですが、年の功で通常の会話はなんとかなってきました。しかし、アメリカもこの辺まで来ると、自分の英語力がまるでパーであることが、よく分かりました。

楽しい乗馬を終えて、キャスパーからソートレークシティー経由で、ラスベガスに来ましたが、今度は荷物が届きません。翌日グランドキャニオンに行くのが目的なので、荷物がないと困るのです。夜中の12時00までは届けるというロストバゲージの係員の約束もむなしく、荷物は届きません。仕方がないので、着の身着のままで眠り、カメラがないので使い捨てカメラを買って、グランドキャニオンに行ってきました。

グランドキャニオンから帰ってきたら、ホテルに荷物が届いていました。

今回は忙しい旅で、ラスベガスで大儲けするヒマも無く、サンフランシスコ経由で成田に来ました。ここで失敗したのですが、日付変更線のため日本には翌日着くという事実を忘れて、東京でアポイントをいれてました。これでも旅行代理店をやっているのです。

日本からベルギーに戻る際に、もう一つ失敗をして、今回の旅の締めくくりとしました。成田のカウンターで航空券を差し出すと、係員が“お客様、ご予約は明日のフライトになってますが”といいます。

そうなんです。一日間違えて成田に行ってしまったのです。しかも朝の5時起きしてです。ワイオミングの太陽に脳をやられたのでしょうか。再度都内に戻るのも面倒なので、そのまま帰ってきました。これでも旅行代理店をやっているのです。恥ずかしくて人には言えません。時差ボケは直りましたが、通常ボケが始まってます。                              

No.131.ベルギー選挙風景

No.131.ベルギー選挙風景



この原稿を書いているのは10月始めですが、今月の8日、10月8日(日)には、ベルギー全土で市町村議会議員の選挙が行われます。
この選挙の結果は、来年の国政選挙に大きな影響を及ぼしますので、各政党とも党首が先頭に立って国政選挙並みのキャンペーンを繰り広げています。
皆さんも、住んでいる市やコミューンで、指定の掲示板にべたべた貼られている候補者の顔ビラを見たことでしょう。

ベルギーの選挙はいたって静かなものです。演説会もなければ、街宣車もありません。政党やグループが候補者名簿に順位をつけて、届けるだけです。
後は各候補者が自費で大小のビラを印刷して自宅の窓や指定の掲示板に貼ったり、選挙区内の各家庭の郵便受けに入れたりするのが選挙戦です。

ところで、日本が導入した選挙の比例代表制は、ベルギーが発祥の地であることを皆さんはご存知でしたか。
比例代表制を考え出したのは、ゲント大学法学部のVictor D’Hondt教授(1841-1901)です。一般にはドント方式と呼ばれている投票システムは、1899年にベルギー政府が採用してから、各国に広まりました

ドント方式によれば、有権者は政党やグループに投票し、さらに候補者リストのなかで自分が是非当選して欲しい候補者にも投票できます。この方式は、選挙民の民意が当票結果にもっともよく反影される方法として、高い評価を受けています。
日本が比例代表制を導入する前に、日本からいろいろな調査団がベルギーに調査にきたのを覚えています。

わたしの住んでいるブリュッセル19コミューンの一つ、Woluwe Saint Lambertでは、今期限りで引退する市長の後継者派リストと、市長の地位狙って与党から除名された女性助役派リストが鎬をけずっています。
当初は、市長派が楽勝と思われていたのですが、女性助役がなかなかの政治手腕の持ち主で、野党各派をまとめ上げて統一リストを作ることに成功しました。世論調査では両派とも支持率が拮抗していて市長派が危機感をもっています。

一方、市長派、助役派のどちらにも与したくない市議会議員が、第三のリストを作って選挙に出ています。
ところが、この第三のリストの中に、わが家のお隣さんが入っているのには驚きました。お隣さんの家の窓に、彼の顔写真入りビラが何枚も貼りだされたので分かりました。

ビラを見た時はわが目を疑いました。何故なら、この人は隣近所の嫌われ者だからです。些細なことですぐ文句を言ってくるし、出会ってもろくに挨拶もしないし、とにかく不愉快の国から不愉快を広めにきたような人なのです。奥さんも旦那と同じ不愉快国の出身です。
わたしも引っ越してきてすぐに、車の停め方のことでさんざん文句を言われました。以後、この隣人を完全に無視して口をきいた事がありません。

隣人が当選する可能性はゼロです。彼が入っているリストの得票数から見て、リストトップの現職市会議員一人の当選がやっとでしょう。
ただ、これだけ隣近所に嫌われていながら、選挙にでるその神経が分かりません。彼の名前の所に、何人の人が印しをつけるか是非知りたいものです。

選挙が近づくと、政治家がいろいろな発言をして選挙民の注意を引こうとするのは、どこの国でも同じです。
各政党の党首が丁丁発止とやり合うテレビ討論などが公の場とすれば、親しい記者に自分の意見をそれとなくリークするのも一つの方法です。

最近話題になったのが、フラマン行政府の首相でフラマンキリスト教民主党の党首、
Yves Letermeさんの発言です。
ルテルムさんの発言は、ベルギーのフランス語圏の人間は、フラマン語を習得する知的能力に欠けるというものです。勿論、この発言に対して、フランス語圏からごうごうたる抗議と非難の声があがりました。

同国人を愚弄するルテルムさんの発言は、同氏が責任ある地位にある人だけにどうかと思いますが、これが選挙目当てであることは明らかです。
同氏の従妹でフランス語圏で環境党の市会議員をしているマリアンヌさんは、「イヴは穏健な考えの持ち主で、あんな過激な発言をする人間ではない。彼はVlaamsBelang(フラマンの極右政党でフラマン至上主義を掲げる政党)に流れる票を食い止めるため、あのような発言をしたのに違いない」と言ってます。
もともとYvesさんは、フランス語圏のベルギー人になる可能性が大きかったのです。同氏のお父さんはフランス語しか話さないワロンの人で、お母さんはフラマンの人でした。Yvesという名前は典型的なフランス語の名前です。イヴさんは3歳までフランス語しか話しませんでした。

お父さんはイヴ少年をフランス語の小学校に入れるか、フラマン語の小学校に入れるか迷った末に、フラマン語の小学校に入れました。これが、将来のフラマンの政治家,Yves Letermeの運命の分かれ道となったのです。
Leterme家の人々は、フランドルとワロンの両地方に住んでいます。家族の集まりでは、フラマン語とフランス語が飛び交うそうです。

選挙のためとはいえ、自分のお父さんを始め身内に沢山のフランス語系がいるルテルムさんが、フランス語系を嘲るような発言をしなければならないところに、言語問題、民族問題、極右政党の伸張問題などを抱える、ベルギーという国の悲劇があるのではないでしょうか。

選挙とは直接関係がないのかも知れませんが、近年フラマンのプレスによるベルギー王室攻撃が目立ちます。王室関係者で特に攻撃されているのが、フィリップ皇太子です。

曰く、フィリップ皇太子は将来のベルギー国王としての適正に欠けている。彼はその能力、資質において、国王の器ではない等々。

フィリップ皇太子に対するフラマンプレス攻撃は、昨日、今日に始まったことではありません。
発端は、2004年11月にフィリップ皇太子が中国を訪問した時、同行記者団にフラマンの極右政党Vlaams Belangについて皇太子が私的意見を述べたことでした。
皇太子は、「彼ら(Vlaams Belang)はベルギーを破壊しようとしている連中です。私が彼らの相手になること約束します」と、記者団に話しました。

皇太子のこの発言を、ベルギーのフランス語系国民は歓迎しましたが、フラマン語系は王室の政治介入として反発しました。
又、2005年2月に行われた、ベルギー経団連とギリシャ経団連のビジネスランチの席で、フィリップ皇太子はギリシャ側の要求に肩を持つような思いつき的スピーチをして、王位継承者として軽率であると批判されました。
フラマンプレスのフィリップ皇太子攻撃の大合唱の機会となったのは、今年の3月に行われた南アフリカへのベルギー経済ミッションでした。
ベルギーの公式な経済ミッションの団長は、歴代の皇太子が勤めることになっています。現国王のアルベール二世も皇太子時代は、度々経済ミッションの団長を務めました。

ミッション終了後に、ミッションに参加したフラマンの財界人が皇太子批判を新聞に語り始めました。
「彼の態度は経済ミッションに興味を持っているとは思えない。メンバーの顔と名前さえよく覚えてない」
「彼はビジネスチャンスの扉を開けるどころか、閉めてしまう」
「王室の儀典にこだわりすぎて柔軟性に欠ける」等々。
これに対して同じミッションに同行したフランス語系財界人は、「フィリップ皇太子は団長としての責務を十分に果たし、ミッションの成果を挙げるのに大きな貢献をした」と、発言してます。

フラマンの有力紙の編集長が、筋金入りの王制廃止、共和制支持論者であることも影響しているのかもしれません。
しかし、フラマンのプレスがこれだけまとまってフィリップ皇太子や王室関係者を攻撃するのには、何か裏があると勘ぐるのは自然な感情でしょう。
これに対するわたしのフランス語系の友人、知人達の意見ははっきりしています。
彼らによれば、フラマン側はベルギーからの分離独立を準備していると言います。フランドル共和国の樹立の地ならしとして、まず王制を廃止する方向に持っていこうとしている、のだそうです。

すぐには信じ難い話ですが、どうなんでしょうか。
国王の権限を大幅に縮小すべしという主張はフラマンのプレスだけでなく、フランス語の有力紙にも見られます。国王の役割は儀典、儀礼的な分野に徹すべし。国王の仕事は、災害にあった国民を慰めに行ったり、オープニングパーティーでテープカットをするぐらいでいい、といったものです。

2か3年前に「ベルギーの消滅」という本が出ました。
フラマンのジャーナリストが書いた本ですが、フラマン側の自治拡大要求がこのまま進んでいけば、ベルギーという国は朝の霧のように消えてしまうであろう、といった内容でした。本はあまり売れなかったようです。
しかし、昨今のベルギー国内の動向をみていると、この本の言ってることが、必ずしも荒唐無稽なものではないような気がしてきます。

フランドルの世論の中に、昔から王室に好意的ではない部分が見られます。理由は、王室では日常フランス語が話されており、中には満足にフラマン語が話せない王族がいるからです。
現在は、フィリップ皇太子夫妻の長女、未来のベルギー女王、エリザベートちゃんを始め、アストリッド王女の子供達も含め、全員幼稚園からフラマン語で教育を受けています。将来の王族は、フランドルから非難されることは無くなるでしょう。

ところで、世界にはどれだけの君主国があると思いますか。
全部で30ヵ国です。この中には、日本や英国のような長い伝統をもつ君主国から、
トンガ、サモア、ブータン、レソトなどの国も入ってます。
歴史的に見て、君主国は減っていく傾向にあります。その中で最も安定している君主国は、日本とタイだと言われています。特に日本の皇室は、ローマカトリック教会よりも古い歴史をもつ世界最古の君主制であると、ヨーロッパの王室ウォッチャーが書いてます。

選挙の話からそれてしまいましたが、今朝家を出る時に見たら、隣人の家の窓から選挙ポスターがきれいに無くなっていました。選挙が終わって、彼は落ちました。

ところで、お父さんの所は君主制ですか、それとも共和制ですか。今どき君主制の家庭なんて存在しないと思うでしょうが、見方を変えれば君主制は堂々と存在しています。
お父さんの所だって、お母さんが女王として君臨しているではありませんか。

No.132.語学事始め

No.132.語学事始め



わたくしこと、恥ずかしながら9月から語学の勉強を始めました。
“いい歳こいて、何やってんだか“という、まわりの冷ややかな目にもめげず、フラマンのブリュッセル自由大学(V.U.B)の夜の語学講座に申し込みをしました。言葉はイタリア語です。
“ほら言った通り、2、3回でやめちゃったでしょう”なんて云われないように、
今のところ真面目に無欠席で通っています。

何故イタリア語かと聞かれても、返事に困ります。イタリア美人との出会いがあったわけではありません。
強いて理由を挙げれば、食事やワインを含むイタリア文化が好きだからでしょうか。
それとイタリア語の響きも好きです。明るいですしね。

皆さんも、ベルギー在勤中に一度はイタリア旅行をしたか、これからするのではありませんか。
イタリアは見る所も多いし、食事もおいしいし、ワインもいいしで、旅行先としてはヨーロッパで5本の指に入る所でしょう。これで言葉が分かれば、旅の楽しみが何倍にもなることは間違いありません。

ある人が言いました。
英語は馬の言葉、フランス語は天使の言葉、イタリア語は神の言葉であると。
英語圏の人が聞いたら怒りますね。どうせ、フランス人かイタリア人が言ったのでしょう。

ゲント生まれの神聖ローマ皇帝カール五世が言ってます。「余はフランドルの代官達と話すためにフラマン語を学び、ローマ法王と話すためにイタリア語を学んだ」と。
太陽の沈むことなき大帝国の皇帝として、寝る間もないほど帝国の政務と軍務に忙殺されていたカール五世でさえ、寸暇を惜しんで外国語の習得に励んでいました。
カール五世は5ヶ国語を自由に話しました。
自分をカール五世と比べようなどと、そんな大それた気持ちは毛頭ありません。ただ、カール五世は偉かったなという、尊敬の念は持っています。

15世紀のベルギーでは、ブルゴーニュ公国最後の王女マリーが、ハプスブルグ家のマクシミリアンと結婚しました。
ただ、マクシミリアンはフランス語もフラマン語も話せず、新婦のマリーは夫の言葉であるドイツ語が全く分からなかったそうです。結婚当初は、お互いにたどたどしいラテン語で意志の疎通を図ったといわれてます。

もっとも、マクシミリアンは金髪に青い目の凛々しい若武者だったそうで、マリーはうっとりと夫を眺めてばかりいて、言葉などいらなかったのかも知れません。
それにマクシミリアンの方が、あっという間にフランス語を習得し、愛妻との会話に少しも困らなくなったそうです。

マクシミリアンの孫が神聖ローマ皇帝カール五世ですから、ハプスブルグ家の君主は語学に強かったようですね。

われわれの住むベルギー王国の王様も、憲法に記載されているベルギーの公用語、フランス語、オランダ語、ドイツ語の三つが話せないと王様になれません。
総理大臣の資格も、ドイツ語は勘弁してもらえても、フラマン語とフランス語を話すことは絶対条件です。
ワロンの社会党党首エリオ ディルポさんが首相になれないのは、彼のフラマン語が不十分だからとは、昔から言われてます。ベルギーで王様や総理大臣になるのは、結構大変なんですよ。

バベルの塔の話ではありませんが、世の中にはどうしてこんなに言葉があるのでしょうか。國際語として世界中の人々に話されている言葉や、中国語のように話す人の数が圧倒的に多い言葉もあります。
また、料理のフランス語や音楽用語のイタリア語のように、その分野で世界に広く行き渡っている言葉もあります。
日本語も、柔道、剣道、空手、合気道などの用語として、世界中で使われています。
一方、世界のいたる所に、その地域の人にしか通用しない言葉も無数にあります。

ちなみに、自分達の言葉を子々孫々に伝える努力の点では、中国とイスラエルの人達が一番ではないでしょうか。
中華料理屋がない所はよほどの僻地といわれるぐらい、中国の人達は世界中に住んでますが、彼らはどこの国に住んでいても中国語を話します。
これは大変なことだと思いませんか。何故なら外国生まれの二世、三世は、その国の言葉が母国語になってしまい、親の言葉が話せなくなるのが一般的な現象だからです。
何かと話題になったペルーの前大統領アルベルト フジモリさんも、日本語は殆ど話せませんよね。

イスラエルの人たちも、ヘブライ語を子々孫々に伝えていく努力の点では、断とつの一番です。彼らの場合、言葉だけではなくモーゼの五書、トーラを子供達にしっかりと教えることを、数千年に渡って続けてきました。たいしたものです。

自分の言葉は大事にしたいと、常々肝に銘じています。
外国に長く住んでいるからあの人の日本語はおかしいなんて、絶対に言われたくないものです。
ボケで言動がおかしくなるのは、まあ大目に見てもらえるとしても、これだけ日本人のコミュニティーが発達しているベルギーに住んでいて、日本語がおかしくなるなんて、ご先祖さまに申し開きが立ちません。

フランスにちょろっと住んだでけで、“会話にフランス語が出てきて困っちゃうの”なんて言うフランスかぶれに限って、フランス語が上手ではありません。

ところで、これだけ数多くの言葉があるのに、どうして人々は理解し合えるのでしょうか。考えてみれば、不思議なことと思いませんか。
ある国の言葉を習得すれば、その国の人々の言うことが理解できて、こちらの考えもその国の人々に分かってもらえる。当たり前のことのようですが、よく考えてみると実に不思議なことなのです。
この不思議さへの思考を深めて、西洋哲学の概念論の基礎を築いたのが、ギリシャの哲人プラトンです。

“Initium philosophiae admirandum est”というラテン語の言葉を、今でもよく覚えています。“哲学の始まりは驚くことにある”とい、アリストテレスの言葉だったと思います。
この言葉は、昔ベルギーに来てルーバン大学の最初の講義に出た時、今は亡きファンステーンベルゲン先生が黒板に書いてくれた言葉です。
大学で学んだことなどすっかり忘れていますが、時々こういう言葉が何の関係もないところで、ふっと浮かんでくることがあります。皆さんも経験があるでしょう。
もっとも、元カレとか元カノのことがふっと浮かんでくるなんて云うのは、別問題ですね、これは。

相手の言葉を学べば、意志の疎通が出来るこの不思議さから、プラトンは有名な「イデア論」を展開しました。
人間の魂はイデアの世界に住み、イデアを観照していたと、プラトンは述べています。
だからこそ人間は、言葉の違いを超えた本質、つまりイデアを互いに理解し得るのである。言われてみれば、そんな気がしませんか。
 ヨハネ福音書の出だしに、「始めに言葉ありき」とあるのも、なんとなくイデア論めいて聞こえますが、聖書の専門家からはとんでもないと叱られるのでしょうか。

 プラトンのイデア論は、アリストテレスの「有」の概念を基礎にした存在論に引き継がれます。存在論は当時回教圏であったコルドバのイスラムの碩学、アヴェロエスらによってギリシャ語からアラビア語に訳され、さらにラテン語に訳されて中世のヨーロッパに伝えられました。
 アリストテレスの存在論を取り入れてキリスト教の理論的土台としたのが、13世紀のキリスト教世界最大の学者と言われたトーマス アクイナスです。

固い話はこのぐらいにして、イタリア語の授業に戻りましょう。
講義は週一回、夜の6時00から9時30分までです。途中15分の休憩がありますが、結構長いです。お腹も空いてきます。
先生はカレン先生といって、フラマンの若い女の先生です。

生徒は20人ぐらいで、ベルギー人、しかもフラマンの人がマジョリティーを占めています。フラマンの大学なのですから、当たり前です。
他に、アメリカ、モロッコ、コソボ、イスラエルなどの生徒がいます。東洋人は、不肖わたくしめが一人だけです。

カレン先生は最初から最後まで、イタリア語しか話しません。
当方、全くの初心者で、クラスも初心者コースなのですが、カレン先生は全く頓着することなく、まるでイタリア人に話すみたいにわれわれ生徒にイタリア語をぶっつけてきます。
多少フランス語の心得があるので分かる単語もありますが、全体にはまるで分かりません。幸い教科書があるので助かります。

“語学に王道なし”といいますが、その通りです。聖霊降臨でもないかぎり、いきなり外国語を話すようになんかなりません。
言葉を一つ一つ、言い回しを一句一句覚えていくしか方法はありません。
机に座って授業を受ける体験は、本当に本当に久しぶりです。
クラスメートは学生やサラリーマンの若い人が殆どで、わたしなどはリタイアーしたフラマンのカップルに継ぐ長老生徒です。

席は一番前のまん中に座っていますので、よく指されます。
子供の時からの悪い癖で、授業中に先生の顔をじっと見てしまいます。目が合えば先生は、“この生徒は答えたがっている”と思うらしく、すぐ指してきます。
小学校の父兄参観日に、難しい質問が出てみんな下を向いているのに、自分だけ先生の顔を見ていたために指されてしまい、答えられずに親に恥をかかせたことがあります。
“三つ子の魂百まで”とは、よく言ったものです。

いつまで続くか分かりませんが、やれるところまでやってみましょう。
そのうち流暢にイタリア語を操り、ソレント近くのあの美しいアマルフィ海岸の高台にある優雅なヴィラで、イタリアの美女とトスカナの銘酒、ブルネロディモンタルチノなどを酌み交わす日がくることを夢見ながら、今日も空腹に耐えつつカレン先生の講義を聞いているのです。

では、覚えたばかりですが、Ciao, alla prossima volta !! 皆さん、よいお年を。